連載
#10 #まぜこぜ世界へのカケハシ
「これは、善意じゃない」東ちづるさんが障害者エンタメを開く理由
東ちづるさんは今、障害者とのステージに取り組んでいます。数々のドラマや映画に出演してきた俳優が、なぜ、この道を選んだのか? その動機について「善意ではない」と語る東さん。むしろ自身が抱く「生きづらさ」が原点にあるといいます。「平成の見せ物小屋」という刺激的な言葉で、世の中を揺さぶろうとする生き方から、「不便と不幸をごっちゃにしない」社会について考えてみました。(withnews編集部・神戸郁人)
――17年12月に、東京・港区で「月夜のからくりハウス」を開催しました
30人を超えるアーティストが出演しました。障害者が中心で、他もLGBTなどのマイノリティーが大半です。スタッフを入れると総勢150人ほどが運営に関わりました。
――そもそも、なぜ企画しようと思われたのでしょうか
2011年に一般社団法人「Get in touch」を立ち上げたのがきっかけです。どんな状態でも、どんな状況でも、誰も排除しない「まぜこぜの社会」の啓発のため、マイノリティーの存在をアートや音楽イベント、映像などを通じて広めてきました。その過程で、障害者パフォーマーたちと出会ったんです。
全盲の落語家や車いすダンサー、いわゆる「小人症」のプロレスラー。私が思っていた以上に魅力的で、様々な人々がいました。でも、彼らが表舞台に出ることって、あまりにも少ない。「障害者をさらし者にするのか」と批判されることもありますし。
だから、法人の応援者との懇親会などに来てもらっていたんです。すると、「有無を言わさない、圧倒的なパフォーマンス」と評価されたり、「色んなアーティストが一堂に会する場は無いのか」と要望されたりしたため、「月夜」の開催を決めました。
――「平成の見せ物小屋」という、刺激的なテーマを掲げられていましたね
センセーショナルに見せたくて、わざと名付けたんです。障害者パフォーマーは、生きるため人前に出ている。私の仕事もそうです。歌舞伎だって、相撲だって、見てもらわないと成立しない。だから、どうやったら話題になるかを考えた末の判断です。
――どんな反応がありましたか
批判は無かったですね。耳の聞こえない人や、車いすユーザーを含め、たくさん来てくれて。障害がある人も、無い人も一緒になって楽しむという、まさに「まぜこぜ」状態でした。
――印象的だったパフォーマーはいますか
二分脊椎(せきつい)症で、義足のダンサー・森田かずよさんです。舞台で踊る際に、「私はさらし者になりたい」というせりふを語ってもらいました。
これは、彼女自身の言葉なんです。以前、街中である親子とすれ違った時のこと。幼い娘さんの方に笑いかけたら、横にいた母親が「見ちゃダメ」と手で目を覆ったそうです。「その時、私は存在しないことになった。だからこそ、さらし者になると決めた」と。
――切実なメッセージですね
だからこそ間違って受け取られないよう、台本のセリフも丁寧に考え、担当のメンバーと一緒に、20回くらい手直ししました。
――イベントでは障害のある人たちと、どのように向き合ってこられたのでしょう
たとえば、自閉症の人向けに、パニック状態になったとき、1人になれる個室を用意するなどしました。障害に触れないのはおかしいし、それぞれが何に困っているかをリサーチしました。一方的な「支援」や「施し」ではなく、一緒に活躍できるチャンスを作りたいと思ったんです。そうしたことも合理的配慮ですよね。
あとイベントの開始前、注意事項の説明を、ろうあ者のふたりにお願いして演出しました。「携帯電話の音は切って下さい」「私たちには聞こえないけどね」などと、手話漫才で(笑)。普段は「聞こえる人」が優位な社会で、存在を主張してもらうという狙いです。
――東さんが、そこまで情熱を注げる理由は何なのでしょう
自分が不安だからですね。芸能界では、「若い」「可愛い」といった価値が重視されますよね。芸歴を重ねるほど生きづらくなる。必ず高齢者になるし、障害者や難病患者になる可能性もあります。そうなった時に、私や家族、大切な人が生きづらさを感じるのは嫌なんです。
――ご自身の人生とリンクしているんですね
それはすごくあります。昔から、生きづらさを感じることが多かったんです。長女であるがゆえに、母から「しっかりしなさい」「愛される人になりなさい」と言われて。以前は、彼女が望む人間になろうと、無自覚に必死でした。
高校時代に教師を目指していたんですが、それも母の希望だったような気がします。「人に愛される人間であるべき」「社会の役に立つべき」。親を通じてもたらされる、そんな世間一般の「長女像」を、過剰に受け取っていたんでしょうね。
――現在の取り組みを始めてから、心持ちは変わってきましたか
とても楽になりましたね。「月夜」もそうなんですが、「どんどん失敗しよう」「間違おう」という方針で臨んでいるのが大きいと思います。
私、リーダーなんですが、仕事を他のメンバーに振りまくるんです(笑)。互いに迷惑を掛け合うし、決して一方通行な関係じゃない。それってすごく快適じゃないですか。
「こう生きなきゃいけない」などの「べき論」が、今の社会にまんえんしていると感じます。「もっと楽に過ごそうよ!」ということは、活動を通じて伝えているつもりです。
――おっしゃったように、「正しさ」への信仰は根強いですよね。時に耳にする「障害者は不幸」という言葉にも通ずる気がします
不運と不自由、不便と不幸をごっちゃにしている人が多いと思うんです。たとえば平和な時代ではなく、戦時下に生まれるのは不運かもしれません。そして障害があると、今の社会では不便さや不自由さを味わうかもしれない。でも不幸かどうか決めるのは、絶対的にその人の感覚です。
たとえば、小人症の人とは、「自動販売機で上の方にあるボタンが押せない」「高身長の障害がある人と比べ、自分たちに活躍の場が無い」などといった話になることがあります。そこで初めて気づくんですよね。そこから不便を解消できる対応につながると良いなと思います。
――その労力をかけることは、決して「迷惑」ではないと?
全然迷惑じゃないですよ!必要な配慮ですから。そうした認識が共有されるためにも、マイノリティの存在を発信し続けたい。その結果、色んな人が生きやすい社会をつくれれば良いな、と考えています。
「月夜」に参加した自閉症の男性アーティストが、観覧者で同じ障害の男の子から「お兄ちゃん、かっこよかった」と声をかけられていました。その後、話を聞くと「東さんに出会えなかったら、俺は世間や人を恨むことが原動力のアーティストになっていた」と教えてくれた。
存在を認められてこそ、自分を肯定できる。障害があろうとなかろうと、それって同じですよね。色々な特性を持った人が、目の前にいる。たとえ理解できなかったとしても、それをそのまま認め合えるのが、「まぜこぜの社会」なんだと思っています。
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