連載
#59 平成家族
大学生の息子が「不登校」に 大学「全入時代」卒業→就職がすべて?
大学生の子どもが「不登校」に。「大学全入時代」に生まれている悩みとは
18歳人口が減り、えり好みをしなければほとんどの受験生が大学へ入れる「大学全入時代」を迎えています。保護者世代はその価値観や経験から「先行き不透明な社会でよりよい就職をするために、いわゆる『いい大学』へ進学してほしい」と願う傾向がある一方で、受験生の中には「同級生が進学をするから自分も大学を受験する」と考えている人も少なくないかもしれません。「大学には当然進学し、そして卒業するものだ」と考えていた東京都内のある女性は、子どもが大学入学後に「不登校」となり、自身の価値観について考え直したといいます。(朝日新聞記者・円山史)
「おかしいなと思う時はありました」。都内に住む会社員のひさえさん(56)はそう振り返ります。
仕事が終わり、いつもより早く帰宅すると、都内の私大に通っている長男(23)の姿がある。そんなことは何度かありました。「あれ、今日はまだ授業あるはずじゃない? なんで早いの?」「休講なんだ」。そんなやりとりをしたのですが、「もうちょっと突っ込んで話を聞こうとすればよかった」といいます。
長男が全く大学に行っていないことを知ったのは、今年の2月のことでした。その時点で、長男はすでに半年ほど休んでいました。
3人の子がいるひさえさんにとって、長男は「全然手がかからない子」だったといいます。中学時代は勉強もできて、明るい性格で人気もありました。高校は進学校に入り、家族で大喜びしました。
ところが、高校入学直後のテストで「下から数えた方が早い順位で、自信をなくした」と長男は言います。「大学はみんな行くもの」と考え、手が届く範囲の私大を選びます。でも「大学に行って、何か意味があるのか」という思いが消えず、休みがちに。3年生の後半には全く行けなくなってしまいました。
義務感はありました。でも「なんで行けなくなったのか、考えても本当にわからない」。
そんな長男の行動や思いを、ひさえさんはどうしても理解できませんでした。
ひさえさんも都内の生まれです。両親からは大学進学の条件として「都内の自宅から通える大学」とされ、第1希望の国立大をあきらめ、都内の私大に入学します。大学卒業は、男女雇用機会均等法の成立1年前。「いいところに就職して男性と肩を並べて働くんだ」という思いでした。
新卒で就職した銀行の研究所ではコンサルティングなどを担当し、転職すると新しい銀行の立ち上げにも関わります。「頑張って働いて稼いだお金で、子どもにいい教育を受けさせ、いい就職をしてほしい」と思っていました。
だから、つい、長男を問い詰めてしまいました。「何が嫌なの」「どうするつもりなの」
「自分なんか生きている意味はない」。長男はそう言って、自宅マンションの12階まで上がって行きました。
何とか思いとどまらせましたが、動揺もあり、どう接してよいかわかりません。当時、夫は海外出張中。すがる思いで、長男が慕っていた、小学校時代の担任の男性教諭に連絡をしました。
すぐに駆けつけてくれた教諭は長男に「気になっていることを書き出してみようよ」。2人で話し始めると、少しずつ長男は落ち着きました。でも、この先どうなるのかと思い、ひさえさんは、何も考えられませんでした。
しばらくして、社会人の長女や夫も交えて話し合いました。ひさえさんは4月に大学へ戻ることを念頭に、自宅を出て寮に入ることを提案しました。ところが、夫は「すぐ戻らなくてもいいんじゃない? 半年くらい何かしたら?」。
「そんな方法もあるの!」と驚きましたが「落ち込んだ状態で無理に戻すことが心配」でもあったといいます。
夫の「ボランティアとかないかな?」という一言で、北海道の農家でボランティアも含むアルバイトをすることに。ひさえさんは「少し離れて暮らすことで、今後の関わり方を考えよう」と心に決めました。
4月になり、長男は自宅を出て、北海道へ出発しました。住み込みで働く先はメロン農家。春先はメロンの苗を作り、お中元シーズンの夏になると、朝5時すぎに起きて、メロンの収穫や箱詰め作業に追われます。
長男は「生活リズムが違いすぎてショック療法みたいだった」と笑います。ストレスと過労で体調を崩すこともありましたが「仕事で人から頼られたり、人間関係で自分が潤滑油のようになったり。場所が変われば自分の役割まで変わるのか、と不思議でした」。
長男の帰京がせまった8月の下旬、ひさえさんは長男から、メロンと一緒に手紙を受けとりました。「迷惑かけてごめん。立ち直って頑張るから」。その後電話があり、ひさえさんも応じました。「ママも、悩みに気づけなくてごめん。大学に行けって言うばかりで、その道しかないと思わせてしまったね」
長男と離れている間、ひさえさんはこれまでを振り返っていました。高校に入学して初めて挫折を味わった時、長男をもっと気遣ってやればよかった。子どもらしい気持ちに気づいてやればよかった。大学は行くものだということを言い過ぎた――。
「大卒が当然になった今の時代で、格差社会の中でなんとか生き残ってほしいという思いが強すぎたかもしれません」
今年の秋から復学した長男は今、教育関係の資格取得をめざしています。以前学童保育でアルバイトをした時「様々な状況に置かれた子どもがいる」ことを知り「苦しい状況にある子どもたちを守るような仕事をしたい」といいます。まだ、劣等感はあります。でも「今まであったことすべてを含めて、他の人にはない経験がいつかプラスになるかもしれない」と感じています。
ひさえさんの心配は、ゼロになったわけではありません。でも「私自身の変なプライドは捨てられたかもしれないな」。大学を卒業すること、大企業へ就職することが正解ではない、と思うようにもなりました。
「遠回りでもいいから、自分の力で生活できるようになってくれたら、それでいい」。今は、そう感じています。
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