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アイドルの私が突然、車いすに「もう、需要がない…」復帰までの日々
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障害って生まれつきのものだと思っていませんか? ある日突然、事故による怪我で……。そんな出来事を経験した女性がいます。彼女の職業はアイドル。脊髄(せきずい)を損傷して車いす生活となり、リハビリを続ける日々に「アイドルとしての需要がなくなるのでは」と思ったことも。「あきらめる」にあらがった彼女が教えてくれたものは……。地下アイドルグループ「仮面女子」の猪狩(いがり)ともかさん(27)に、ステージに復帰するまでの歩みや今の思いを語ってもらいました。(朝日新聞文化くらし報道部記者・岩井建樹)
12月上旬、猪狩さんと会いました。手には、もちろん仮面女子のトレードマークであるホッケー用のマスク。「車いす生活となって、見える世界は変わりましたか?」と尋ねると、「温かい人もたくさんいるけど、そうでない人もいるんだなって思いました」と言いました。
「鉄道の駅って、車いすが通ることができる広い改札が少ないんです。私が、そこを通ろうとしているとき、前方からずかずかと入ってくる人がいます。目の前にいる私のこと、見えているはずなのに……。そうなると、私はそこしか通れないので、待つしかありません。もちろん譲ってくれる人もいますが、そうでない人もいます」
「事故前には意識していませんでしたが、街には段差がたくさんがあることに気づきました。あるファストフード店に入ろうとしたとき、段差があってあきらめたことがあります」
猪狩さんの人生を一変させた事故は、都心で強い風が吹いていた4月11日に起きました。猪狩さんはダンスのレッスンに向かうため、東京都内の路上を、一人で歩いていました。
「左から何か降ってくるのが見えました。あっという間に、案内板の下敷きになりました。とにかく息苦しくて。通行人が案内板を持ち上げ、救急車を呼んでくれました。仰向けにしてもらうと、腰に激痛が走って、『痛い、痛い』と叫びました」
足や胸の骨折に加え、脊髄を損傷。猪狩さんは、昨年2月に仮面女子の正規メンバーに選ばれたばかりで、アイドルとして軌道に乗り始めた矢先の事故でした。
「主治医の先生から、脊髄を損傷して、足がマヒしていると説明を受けましたが、数カ月すれば治るのかなと思っていました。でも、ネットで「脊髄損傷」と検索したり、周りの人の言動を見たりして、『足は治らない可能性が高いのだろうな』と思いました。母に確認すると、『うん』と」
「最初に考えたのは、ライブのことでした。自分にはもう、アイドルとして需要がないんだろうなって。やめようとは思いませんでしたが、『どうしよう、どうしよう』って思っていました」
悩んでいた時、猪狩さんは兄から「車いすに乗っていても人を幸せにしたり、元気にしたりできるよ」と励まされました。復帰の決断に向け、多くの人に背中を教えてもらったと言います。
ほかにも、たくさんの人に支えられました。父からは「人を明るくすることができる子だから、どんな形であっても、それを続けてほしい」、事務所のスタッフから「猪狩が前向きに強く生きる姿を見せることで、たくさんの人を救えるんだよ」と言葉をかけてもらいました。ファンからも、手紙やTwitterで励ましてもらいました。
でも、リハビリは、つらい日々だったと振り返ります。
「一番始めに車いすに乗ったときは、冷や汗がドバドバ出て、気持ち悪くなってしまいました。リハビリ中に、めまいがして、目の前が真っ暗になることも何度もあって……。『もう嫌だー』って、泣いていました」
事故から約1カ月後の5月、ブログで「大切な皆さまへ」と題し、事故についてファンに報告。「絶望しました」と事故直後の気持ちを吐露し、「私は前を向いています。もう心配しないでね」とつづりました。
「ファンの皆さんに報告するのは怖かったです。ショックを与えてしまうかなと不安で。なんとか安心してもらいたいと思って報告しました」
その後は、ブログで日々のリハビリの様子や活動内容を報告。6月には「私を見て少しでも勇気をもらってくれたら嬉しく思います」と記しました。
「人間って、誰もが下を向いてしまう時があると思うんです。ましてや、私と同じように突然の事故で障害をおってしまうと、ふさぎ込んでしまう人が多いみたいです」
「私の前向きにリハビリする様子や、アクティブに街に出る姿を見て、『私も外に出ようと思いました』と言ってくれる方もいました。そういう人が一人でも二人でも増えてくれたらなと思います」
8月末、アイドルとして、仮面女子のステージに復帰しました
「すごく緊張していました。車いす姿をファンの方に見せるのが初めてだったので。でも、ステージに出たら温かい拍手で迎え入れてくれて。泣いているファンの方もいました。こんなに私のことを待っていてくれる方がいるんだと思って、緊張も吹き飛びました」
「腹筋が半分効かないので、若干歌いづらいです。この前、久しぶりに6曲出演したら、具合が悪くなってしまい、体力が課題だなって感じました。今はライブ中にあまり動けないのですが、車いすを自在に操れるようになったら、フォーメーション移動にも加われるようになりたいです」
プロ野球の埼玉西武ライオンズのファンという猪狩さん。9月には、本拠地メットライフドーム(埼玉県所沢市)での始球式に挑みました。
「昨年も始球式に出たときは、球場は『仮面女子って誰?』って雰囲気でした。今年は、球場全体が『猪狩さん頑張って』と温かいムードに包まれました」
「車いすでノーバウンドって意気込んでいましたが、結果はツーバウンドでした。来年こそ、ノーバン投球をするために、今はボールを投げるための筋肉を鍛えています。まだ来年呼ばれるかどうかわからないのに、勝手にやる気満々になっています」
車いすに乗っていても、前向きにアイドル活動を続ける猪狩さん。ただ、恋愛については臆病になっていると言います。一方で、結婚は「いつかしたい」と考えているそうです。
「車いすだから、少しハンデがあるかなと、勝手に感じています。恋愛できないとは思っていないですけど、相手の重荷になるのかなぁって。今後もしお付き合いする方がいたら、その人との結婚も考えるのかなぁって、始まってもいないものを想像しています」
そして、よく使われる「障害者アイドル」「車いすアイドル」との呼称。実は、ちょっと苦手意識があるといいます。
「車いすに乗っている人間として、注目されることは別に大丈夫です。今、こうして取材されるのも車いすだからってわかっていますし。車いすでもあきらめずにアイドルをしている姿をどんどん知って欲しいとも思っています」
「ただ、見出しで『車いすアイドル』ってされるのは、ちょっと……。事実だし、そういう表現しかないのはわかるし、しょうがないかなとは思っているんですけどね。うーん、何て言ったらいいんだろう。言葉で説明するのが、難しいです」
猪狩さんは、車いす生活になった今だからこそ、「マイナスの要素がないアイドル」になりたいと言います。
「小学生時代、『モーニング娘。』のファンで。キラキラして、そんなアイドルになりたいなって」
車いすって、マイナスの要素ではないですか――。そう尋ねると、きっぱりと「私は負だとは思っていません」との言葉が返ってきました。
「ネットで『障害者アイドルなんていらない』って書き込みがあって、そういう風に感じる人がいることも知っています。そこは、私の中で、うまく流すしかないです。ただ、自分自身で、車いすに乗っていること自体が、負の要素だとは思っていません」
事故前は、歌って踊れるアイドルとして活動し、障害者は遠い存在だったという猪狩さん。今は、街で見かけると、仲間意識のようなものを感じると言います。
「車いすの方とすれ違うとき、思わず会釈してしまいます。『あっ、こんにちは』みたいな。仲間意識と言えるものかもしれませんね」
「障害がある先輩の方々にもアドバイスをもらっています。遠征のときとか、ホテルに泊まるので、お風呂やトイレをどうするのかを聞いています」
健常者にとって、障害者は距離を置きがちな存在です。猪狩さんは「ちょっと不便なことがある人」と思ってもらえればと、訴えます。
「どう接すればいいのか難しいのはわかります。でも、困っている人って何となくわかるじゃないですか。そういう時は見て見ぬ振りをせず、『お手伝いすることはありますか』と声をかける人が増えたらいいなぁと思います」
突然の事故で歩けなくなった猪狩さん。取材では、笑顔でハキハキと語ってくれましたが、その苦しみや悲しみは、想像できないほど深いものだったと思います。
ましてや、猪狩さんは、アイドル。一人一人のファンの頭の中にある「理想像」に応えなければならない中で、車いす姿になってしまった葛藤は大きかったでしょう。
事故や病気で障害者となることで、仕事を失ったり、恋人とうまくいかなくなったりする人もいます。それまで当たり前だったことを「あきらめる」ことに迫られてしまっているとも言えます。
そんな厳しい現実がある中で、猪狩さんが様々な人たちに支えられながら、アイドルを続ける姿は「障害を背負っても、あきらめなくてもいいんだよ」という強烈なメッセージになり、多くの人たちを勇気づけることになるでしょう。
障害があっても、能力を生かし、やりたいことに挑戦できる社会。理想論かもしれませんが、猪狩さんの挑戦は、それを体現しています。アイドル界に、新たな風を吹き込んでもらいたいと思います。
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