連載
#57 平成家族
「学校行けなくてもいい」のその先 親の会で見た、追いつかない現実
「学校がつらいなら、行かなくてもいい」、その先を考えるために。
「学校がつらいなら、行かなくてもいい」。昨今、そんなメッセージがメディアやSNSで叫ばれるようになってきました。2017年度、不登校の小中学生は14.4万人で、過去最多。保護者にとっても、学校に行かない子どもを受け入れやすくなりつつありますが、教育の選択肢はまだまだ狭いままです。不登校の保護者が参加する「親の会」から、「学校がすべてじゃない」という思いとシステムのずれが見えてきました。
「学校は行かないなら行かないで、いいと思うんです」
そう語るのは、東北地方に住む木村ユキさん(39)です。
木村さんの長男は小3の頃、担当教諭の指導がきっかけで、学校に行こうとすると体調を崩すようになりました。話しかけても反応が鈍く、以前の元気がない長男を見て、「休ませないといけないと思った」と振り返ります。
以前から、ホームスクーリングなど海外の多様な教育事例を耳にしていた木村さんは、息子が学校へ行かないことに大きな戸惑いはなかったといいます。
ところが、「『じゃあここからどうする?』って思ったとき、情報がなかったんです」。
「窓口という窓口はとにかくあたってみた」という木村さん。市役所や学校に問い合わせても、学校以外の居場所や教育の情報は得られませんでした。地域の不登校の親の会に足を延ばしてみましたが、そこに集まっていたのは、支援者や元教員。不登校の子どもの保護者はいませんでした。
「地方はまだまだ不登校に否定的。自分の子どもが不登校であることを隠したがるのかもしれない」と木村さんは話します。相談しても、学校への復帰が前提でした。選択肢が広がらず、落胆して帰ったといいます。
「いま学校に行くか行かないかではなく、子どもたちの将来の話をしたかったんです」
2017年に教育機会確保法が施行され、児童生徒にとって休養が必要であることや、学校以外の学びの重要性が法律で認められました。少しずつではありますが、家庭や学校でも、不登校の子どもを尊重する姿勢が広がってきています。
それでも、不登校の子どもや保護者の受け皿となる、相談窓口や居場所が十分にあるとは言えません。特に地方となると、選択肢の少なさやコミュニティーの狭さから、フリースクールや親の会へのアクセスはしづらくなります。木村さんのように「不登校のその先」に目を向けたくても、周囲の価値観に合わず、孤立してしまうケースもあります。
木村さんは、「他の地域には興味のある居場所や団体もあった」といいます。しかし、参加するには生活圏からの移動を考えなくてはなりません。物理的な距離が、選択肢を狭めていました。
そんなときに出会ったのが、「イクミナル」です。
子どもが不登校になったことがきっかけで、「生きることや学ぶことを考え直すチャンスをもらった」と話す加藤さんも、このように考えられるようになるまでには時間がかかりました。そこで少しでも参考になる情報を届けたいとフェイスブックやブログで発信し続けていると、共感する人が集まってきました。
不登校の子を持つ保護者から聞く経験談は、地域差・学校差はありながらも、相談先がなかった過去の自分の境遇と、あまりにも重なっていたといいます。自身の経験を軸に、地方在住や、子どもが家にいるから外出できない人こそ、情報や別の価値観に触れる機会がほしいというニーズをすくい上げ、オンライン交流会を続けてきました。
この日のテーマは「地方の不登校事情」。東北から九州まで、それぞれの地域の参加者が、相談できるカウンセラーなどの状況を共有した結果、都市部か地方かにかかわらず、学校だけではサポートが行き届かない現状が見えてきました。
一方、画面越しにある参加者が「家以外に子どもの居場所がない」と話すと、同じ都道府県に住む参加者がフリースクールの情報をチャットに入力。地域で孤立している点と点が、学校を介さずともつながっていくのが見えました。
加藤さんは、別の価値観やリアルな事例など、保護者にとって励みになる情報に早期に触れられるかどうかが、不登校のその先を豊かにしていくと感じています。その情報を得るためには、親の会に行けるか行けないかも大きなポイントになっていました。
「オンライン交流会によって、『その間』の選択肢ができた」と加藤さんは期待します。仲間たちと運営するイクミナルでは、交流会に限らず、リアルな場での勉強会もインターネットから参加できるようにしています。「パソコンの画面が、家庭と社会をつなぐ『窓』になればと願っています」
取材に「地方では自分の思いに共感してくれる人に出会うのは難しい」と話していた木村さん。イクミナルに参加するようになって、「今」を起点とした子どもの将来を考える仲間に出会い、コミュニティーづくりをともにすすめています。
木村さんは会の終わり、参加者に「たとえ距離が遠くても、思いが近ければ集まれる」と呼びかけます。画面に表示された参加者たちの顔が、また大きくうなずきました。
「1980年代は、学校側が『とにかく学校に通わせよう』としていて、それに拒否感を持つ子どもとのはざまで困惑している、という相談が多かった」という奥地さん。保護者も根底では「学校に行ってほしい」と思っていたため、困り度もより強かったといいます。
それが、不登校への認識は、徐々に変わってきました。学校や保護者に「学校を休むこともアリかな」というマインドが広がり、「無理な登校をさせてもうまくいかないという実感から、学校の態度もソフト化してきています」。学校や教育委員会の強いプレッシャーに悩む声は減っており、それにともなって家庭内暴力や自傷行為の相談も減ってきているといいます。
「それでも」と続ける奥地さん。「子どもが学校に行かなくなったとき、保護者が持つ罪悪感や自責感というのは、何年経っても変わらないものですね」
悩みがなくなっているわけではなく、「このままで大丈夫なのか」という将来への不安は変わらずあるといいます。不登校への抵抗感が薄れたぶん、「学習への不安」や「ゲームなどの学校以外の過ごし方」といった悩みが目立つようになってきたそうです。
「教育熱心な両親のもとで育ってきたので、勉強や成績に口出しされるのは当たり前。私も当たり前のように期待に応えようとしていました。『学校に行かない』という選択肢はなかったです。だから、『どうして?』『何がいけなかったの?』と思ってしまいました……」
こう話すのは、東京シューレの親の会に参加しているナオミさん(仮名・30代)です。長男は中学生の頃、学校に行かなくなりました。
学校が合わない子がいる、ということはぼんやりとは知っていました。「でも、まさか自分の子どもが」とナオミさん。なんとか学校に戻したいと思う一方、無理やり子どもを学校に行かせ、ほっとする自分も嫌だったと振り返ります。
会に参加するなかで、学校に通わずとも自立している人がたくさんいることを知りました。特に、これまで何組もの親子を見てきた奥地さんの言葉に救われたといいます。他の保護者の話にも、「将来こうなっているのかもしれない」と、先が見えるようで気持ちが楽になりました。
「学校に行かないことが悪なのではなく、学校に行かない子どもたちを追い詰め、傷つけることがよくない結果を生むんです。学校という選択肢しかないだけなのに……」
不登校の子どもたちは学校という枠の外にいるからこそ、「自分は何がしたいのか」に本気で向き合っていると感じるようになったそうです。ありのままの息子を受け入れようと思うとともに、ナオミさんは自分の子ども時代のことを振り返るようになったといいます。
「私は社会や親が敷いたレールの上を走っていただけで、自分で考え、選択することがありませんでした。私ができなかったことを、息子はやろうとしているのだとわかったんです。それは楽な道ではないけれど、私も一緒に育っていかないといけませんね」
近所で、制服を着た子どもを見ると、「うらやましい」と思うこともあります。PTAの知人や親族と接するうちに、長年積み重ねてきた価値観に引っ張られそうにもなります。「でも、親の会に行くと、『これでいいんだ』ってほっとするんです」と、ナオミさんは話します。
親の会に集まる保護者の話からは、不登校という選択が以前より受け入れられるようになった一方、自分の子どもが学校に行かない選択をすることで生まれる心配はなくなっていない現実が浮かび上がります。
多様な生き方を認められるようになった世代が親になっているのに、今の社会に新しい価値観の受け皿が用意されていない。不登校をめぐる「ずれ」による悩みは、むしろ深まっているような気もします。
不登校を認められるようになった時代だからこそ、あらためて学校の役割について考えてみる時期に来ているのかもしれません。
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