連載
「幻聴妄想かるた」予想外のヒット続ける理由 全然、他人事じゃない
「あ、宇宙人!先っぽが光ってる!」「これから躁の合宿です」。何やら謎めいた言葉たち。幻聴や妄想の経験談を、あえてさらけ出した、「幻聴妄想かるた」の読み札にあるものです。発売以来、異例のヒットとなり、第3弾まで生まれています。「幻覚をいじって笑い飛ばす」。かるたが伝えるメッセージには、誰もが直面するかもしれない「心のつまずき」と、うまく向き合うヒントがありました。(withnews編集部・神戸郁人)
「何だ、これ?」。ある取材に向けたリサーチ中、ネット上で偶然見かけた書籍の情報が目にとまりました。
スマートフォンの画面に大写しになったのは、「幻聴妄想かるた」と書かれた表紙画像です。タイトルの周辺を、人らしきキャラクターたちがぐるりと囲んでいます。
でも、頭からホースのような管が飛び出ていたり、肌が緑色だったり……ちょっとへんてこです。
購入してみると、読み札も独特の言い回し。その魅力に、私はすっかりとりつかれてしまいました。
付録の解説書によると、手がけたのは、東京・世田谷にある障害者向けの就労継続支援事業所「ハーモニー」のメンバーたち。精神疾患を抱えた末に起きた、それぞれの幻覚体験を描き出したといいます。作った経緯が聞きたくて、施設に足を運ぶことにしました。
11月中旬、世田谷区の住宅街。「どうぞ、これから週に一度のミーティングですよ」。雑居ビルにある、ハーモニーの事務所に到着すると、スタッフの方が大部屋に招き入れてくれました。
ここは、心身に障害がある人向けの、公園清掃などを行う就労訓練の場です。木製の壁や天井を、肌色の蛍光灯が照らし出し、優しい雰囲気に包まれています。29人の男女が通い、私が訪れた日は、15人ほどが顔を出していました。
開始から約40分。参加者の近況報告が一段落すると、同席していた小川隆一郎さん(68)が、おもむろに話し始めました。
「最近ね、『砂かけ』の力が弱まってきた気がするんだ」
「砂かけ」とは幻覚のことです。外出するたび、なぜか体中強いかゆみに襲われるという小川さん。「(妖怪の)『砂かけ婆』に何かかけられたんじゃないか」。相談した友人に、そう言われたことが、名前の由来といいます。
「郵便局に行くとポストの裏に潜んでいる」「コンサートで行った、東京ドームのトイレにもいたよ」。真に迫った言葉に、私も他の参加者も興味津々です。
「砂かけの性別は?」「どんな時に現れるの?」――。質問が飛び交う一方、語りが遮られる気配はありません。日光が差し込む部屋で、昔話に耳を傾けているかのような、穏やかな時間が流れていきます。
「こうした光景は、毎回のことですよ」。そう笑うのは、施設長の新澤克憲さん(58)です。
ハーモニーは1995年、「共同作業所」としてオープンし、家具製作などを請け負っていました。メンバーの大半は、統合失調症やうつ病の人たち。全員で食卓を囲むなど、「生活の拠点」であることを大事にしてきました。
当時から珍しくなかったのが、幻覚体験を訴える人たちです。
「今日も闇の組織に追われた」
「鼻の奥で『殺すぞー!』と声が聞こえる」
「毎日、悩み事のように相談されるから、みんなで解決策を考えました。でも、よくよく聞いてみると面白い。どうせなら、良い形にまとめられないか、と思ったんです」
2006年には、障害者への福祉サービスを拡充する「障害者自立支援法」(現・障害者総合支援法)が施行されます。これを機にハーモニーは、通所者と雇用関係を結ばず、作業量に応じて工賃を支払う「就労継続支援B型事業所」になることが決まりました。
ただ、当時のメンバーの平均年齢は50歳ほど。体力面に不安がある人も多く、木工を続けるのは難しい状況でした。
そこで幻覚体験を劇にし、観覧料を得ようとしたものの、肝心のセリフが覚えられません。代わりに出た案がかるただったのです。
「それなら見ただけで内容がイメージできる!」。スタッフも大盛り上がりし、手作りして08年に発表すると、注文が殺到。後に出版社から改めて販売されるほど人気が出ました。
好評を受け、14年には第2弾「新・幻聴妄想かるた」を発売。今年6月にお目見えした第3弾「超・幻聴妄想かるた」まで含めると、延べ50人分の経験談が掲載されています。
メンバーは、どんな体験をかるたにしたのでしょうか?ミーティング後、第3弾にエピソードを寄せた田中純さん(55)に聞いてみました。
田中さんは10代の頃、コックを目指し専門学校に通っていました。しかしストレスから、アルバイトでためた学費を使い込んだ上、自主退学してしまいます。
両親と大学病院の精神科を受診し、下された診断は「思春期挫折症」。聞き慣れない病名に驚いたといいます。
仏教徒の父の影響で、宗教やオカルト好きだった田中さん。主治医に「悟り」について語ると、入院させられてしまいました。「(で)」の一枚には、その思い出を込めたそうです。
もう一つ、田中さん自身の言葉を記した札があります。
ある夏。そう状態が極まり、プレゼントを渡そうと深夜に友人宅へ押しかけた後のこと。再び入院が決まり、新澤さんへ送った報告メールに、こんなフレーズを書いたといいます。
当の新澤さんは、「入院を合宿にたとえるなんて、しゃれてるなぁ」と感心したそうです。
一方、「境界性パーソナリティー障害」がある平和(たいら・なごみ)さん(53)は、夫婦のやり取りをかるたに盛り込みました。
元になったのは、ハーモニーで出会った、夫の諸星純さん(39)との間に起きた出来事です。
発達障害などを抱え、人間関係に苦労してきた諸星さん。いつしか読書に安心を求めるようになり、かつては、2千冊以上の本に囲まれながら寝起きしていました。
3年前に結婚した後も、本に入れ込む生活は相変わらず。平さんには、納得がいきません。
ある日、平さんの不満が爆発します。夫が外出した隙を狙い、「城のように積まれた」本の表紙に、サインペンやはんこで落書きしてしまったのです。
諸星さんはその後、落書きされた本を少しずつ処分。それでも買うのをやめられず、結局冊数は増えているそうです。でも、ぜんそくのある平さんのため、生活スペースには古本を置かないといった配慮を重ねるうち、一定の理解を得られました。
「今では図書館に行くのも、何とか勘弁してもらっています」。諸星さんは頭をかきます。
話に耳を傾けるうち、ふと疑問が浮かびました。メンバーは、自分の過去を人前にさらすのに抵抗がないのでしょうか?
新澤さんにぶつけてみると「むしろ、『他の人の話が私より多く載っている』と怒られるくらいです」と笑顔で答えてくれました。
それぞれが幼い頃から経験してきた話も、カルタの読み札に採用されています。中には、離婚や勘当などの原因になるとして、語られてこなかったものが少なくありません。
「そんな誰かの体験を、ある種全員で『いじり倒す』。みんな『しょうがないな』と、良い意味で諦めているから排除もしない。すると体験の『色』が変わり、とげとげしかった筋書きが軟らかくなっていくんです」
ちなみに絵札を作る時は、エピソードを寄せた人が下絵を描き、別のメンバーが着色するといいます。だから時には、絵柄と全く無関係な色に塗られてしまうことも。でも、そうした「ゆるさ」が、かえって「心の重荷」を軽くしてくれるのだそうです。
新澤さんには、特にお気に入りの一枚があります。
3年ほど前、都内の大学で開いた出張講義で、「自分の体験をかるたにする」という課題を出したところ、ある学生が作ったものです。
友達からのメッセージを気にするあまり、携帯電話が鳴った気がしてしまう……。そんな、ストレスフルな心の状態を書いたのだといいます。
「幻聴や妄想も、根っこは同じ。実は、誰しもが体験するかもしれない、ちょっとした『心のつまずき』への反応なんです」
この言葉を聞き、私はハッとしました。思い当たる節があったからです。
新人記者の頃、事件や事故の取材にかり出されることが多く、常に「上司から呼び出しがあるのでは」と身構えていました。就寝中、携帯電話が震えた感覚で跳ね起きたものの、着信履歴はゼロ……。そんな体験を、何度もしていたのです。
縁遠かった幻覚の世界が、自分の人生と地続きであると思えた瞬間でした。
12月上旬。世田谷区の駒沢大学で、ハーモニーが出張講義を開くと聞き、私も参加してみました。
この日の課題は、かるたで遊ぶこと。出席した1年生約50人は、かるたにも、精神疾患にも、ほとんどゆかりがありません。冒頭、一人一人の表情は緊張気味に見えました。
「12センチくらいの可愛い小人が、ぐるぐる走り回るのを見た」
「誇大妄想から現実に戻ると、落差にがっかりする」
メンバーが読み札を音読し、元になったエピソードについて語ると、だんだん和やかな雰囲気に。後半は、笑顔で絵札を取ったり、メンバーに話を聞いたりする学生の姿も目立ちました。
「幻聴や妄想って、小説みたいで面白い。ネガティブなイメージだけで捉えるのはもったいないですね」。出席者の近藤なつきさん(19)は、そんな感想を持ったそうです。
ちょっと迷惑だけれど、良い距離感を保てば、日々を彩ってくれる仲間。もしかしたら、幻覚とはそんなものなのかもしれません。
かるたを通じて、一番伝えたいことは――。講義後、新澤さんに改めて問いかけてみました。
「妄想を笑い合える環境があれば、心を病んだとしても、誰もが楽しく生きていける……かな。必ずしも真面目なやり方じゃないかもしれないけれど、続けていきたいですね」
生きづらさに潰れてしまいそうな人にとって、幻覚は、時に害となる現象です。でもうまく付き合えたら、自らの心のありようを受け止め、ともに過ごしてくれる。取材を通じ、私はそう思いました。
ハーモニーのメンバーには、日々の生活の中で傷つき、居場所を無くした経験がある人も少なくありません。親や友達、職場の同僚や恋人。様々な人たちとの関係性の中で、心をむしばまれる瞬間は、誰しもに訪れる可能性があります。
妄想や幻聴は、現れ方こそ特殊ですが、当事者にとって切実な経験が反映されています。それをあえて他人と共有し、客観視することで、人生の仕切り直しにつなげる。かるたの意義は、そんな所にあると感じました。
自分が「心のつまずき」を体験した時、どう向き合うか。その問いを考えるための、すてきなヒントが、ハーモニーの取り組みに隠れているのではないでしょうか。
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