連載
#17 「見た目問題」どう向き合う?
「顔の差別で人は死ぬ」あざ・まひ・傷の痕…ユニークフェイスの闘い
顔の変形やあざ、まひ、傷の痕……。普通とは異なる顔を持つ人たちを支援し、「容貌(ようぼう)差別」を20年前に世の中に問うた男性がいます。石井政之さん(53)。当事者の自助組織「ユニークフェイス」の創始者です。11年前に活動から身を引きましたが、ことし9月に再び活動を開始。石井さんは、「顔の差別で人は死ぬ」と訴えます。
愛知県の豊橋駅で10月下旬、石井さんと会いました。石井さんの顔の右側には大きな赤あざ。思わず目線を向けてしまいました。まるで、地図のように見えます。
その後、顔にまひがある女子大学生と合流。「就活で顔について聞かれたらどうしよう」という女性の不安に、石井さんは耳を傾け、「しどろもどろになっちゃいけない。想定質問をつくり、はきはきと答えよう。印象が違うよ」と、アドバイスを送っていました。石井さんが9月から開いている交流会の一場面です。
11年の時を経て、なぜ活動を再開したのでしょうか? 理由を尋ねると、石井さんは一瞬、鋭い目線を向け、よどみない口調で語りました。
「私の力不足で、ユニークフェイスの活動が停滞し、顔の差別で苦しんでいる人たちに最後まで手を差し伸べることができませんでした。その悔いがあり、もう一度、苦しんでいる人に寄り添いたいと思いました」
石井さんが1999年に東京で立ち上げた自助組織「ユニークフェイス」(後にNPO法人化)は、「固有の顔」という意味で、当事者を指す言葉としても使われています。容貌差別を解決しようとする初の団体として、全国的に注目されました。会員は300人を超えました。
石井さんはもともと、フリージャーナリストでした。団体を立ち上げる前、自らの差別体験を描いた著書「顔面漂流記」を出版すると、反響は大きく、段ボール2箱分の手紙が届きました。いじめを受けた告白など壮絶な体験が記されており、自殺した子の親からも手紙が来ました。
「普通の外見でも、いじめられる子がいる世の中で、顔が普通と違えば、格好のいじめの対象になる事実があります。顔の差別で人は死にます。この問題に本気で取り組もうと思い、団体を立ち上げました」
石井さん自身も幼少期から差別を受けてきました。小学校時代のあだ名は、「人造人間キカイダー」。当時放送されていた特撮ヒーロー番組のキャラクターでした。中学生のときには街で、通りすがりの女性に、「もし私があんな顔なら死ぬわ」と言われました。
「当時、強烈にひとりぼっちでした。でも『悪いのは僕じゃない。悪いのは、世の中だ』と考えていました。ジロジロと顔を見られたら、にらみ返しました。顔にあざのある私は、『この社会で生きることを許されているのだろうか』と強い不安があり、私を否定する社会のまなざしに抵抗したいとの思いがありました」
ユニークフェイスは、当事者が悩みを語り合う交流会や、あざや傷を隠すメイク勉強会などを開催。講演やメディアを通し、顔への差別を巡る問題を訴えました。しかし、講演を聴いた男性から、「見た目の問題なんて、たいした問題ではない。大切なのは、顔よりも心だ」と言われることもありました。
「私は男性に聞き返しました。では、顔半分にペンキをぬって街を歩けますか? もし娘さんの顔に大きなあざがあったら同じ言葉を言えますか? もし配偶者にあざがあったら結婚していましたか? と。自分事として考えた時、問題の深刻さがわかります」
「あざはメイクで隠せるから、問題ないと言う人もいます。でも、セックスする時、どうするんですか? 友人と温泉旅行するときは? そこまで突っ込んで議論せず、『問題ない』とは言ってほしくありません。メイクで隠せたとしても、自己肯定感に大きくかかわる問題です」
「ユニークフェイスの人たちは、外見が普通とは違うがゆえに、『学校でのいじめ』『就職差別』『恋愛・結婚できない』という三つの困難に直面します。自己肯定感も低く、三つすべてをクリアできる人は、なかなかいません」
ユニークフェイスの活動中、当事者の親から「活動をやめて。うちの子が『ユニークフェイス』とあだ名をつけられ、いじめられたら責任がとれるのか」との声も届きました。
「気持ちはわかります。でも、悪いのは私ではなく、いじめる側です。それに、それまでは私たちを指す呼び名はなく、『バケモノ』と呼ばれていました。それと比べれば、ユニークフェイスという呼び名ができたことは前進だと考えていました」
ユニークフェイスでは、カモフラージュメイク講座を開き、あざの当事者とメイクアーティストと互いに意見を交換していました。画像中のバーをスライドすると、メイク中とメイク後が比較できます。*一部環境では動かないこともあります=石井さん提供
2007年、石井さんは結婚を機に、静岡県の会社に就職し、活動からは身をひきました。このため、ユニークフェイスの活動は滞り、2015年には、NPO法人解散を公表しました。
「人材も運営資金もギリギリで、身も心もすり減っていました。持続可能な組織ではありませんでした。そんな時、自分には縁がないと思っていた結婚をしました。家族を養うため、収入が不安定なフリージャーナリストをやめ、静岡県の一般企業に就職しました。活動から逃げてしまったという後ろめたさもありましたが、当時の判断は間違っていなかったと考えています」
「ユニークフェイスの活動を振り返ると、『社会への問題提起』には成功したと思います。それまで私たちの存在は社会的に認知されず、少数者でさえありませんでした。そんな中で、活動を通し、自分たちの存在を世の中にアピールはできました。でも、苦しんでいる当事者を救うまでには至りませんでした」
ユニークフェイスが活動を実質的に停止している間に、元事務局長の女性がNPO法人「マイフェイス・マイスタイル」(東京)を立ち上げました。当事者が差別にあうことを「見た目問題」と名付け、今も解決に向け取り組んでいます。
一方の石井さん。2011年に愛知県豊橋市に移り住み、仕事に子育てにと忙しい日々を送っていました。しかし、ユニークフェイスから活動の半ばで身を引いた後悔が消えませんでした。2016年に「ユニークフェイス研究所」を発足。サービス業の仕事のかたわら、今年9月から、交流会や大学での講演を始めました。
まずは2年間、月に1度の交流会を豊橋市で続ける予定です。そして、ネットでの情報発信を続けていくと言います。当事者の自伝を出版するユニークフェイス専門の出版社を立ち上げる構想もあります。
「ユニークフェイスを当事者運動としてとらえたとき、世の中に顔と実名を公表して、『私たちは差別を受けているんだ』と抗議する声が、まだまだ足りないと考えます。もちろん、メンタルにダメージを受けた人が表に出るのは簡単ではありません。それでも、社会を変えるには、差別を受ける側が声をあげていかなければなりません。それが、障害者やLGBTなど他の当事者運動が教える教訓です」
「交流会に参加した人が、ユニークフェイスの旗を掲げ、各地で声を上げてほしい」
それが石井さんの願いです。
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