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#6 #となりの外国人

「嫌なら帰れ」実習先は除染現場だった ベトナム青年が夢見た日本は

ベトナム人青年のスマホにあった「実習」の様子とは……
ベトナム人青年のスマホにあった「実習」の様子とは……

目次

 「外国人技能実習制度」が問題になっています。本来の目的は日本で働きながら技能を身につける「途上国への技術移転」。けれどその実態は、農業や漁業、建設など人手不足の現場で、日本社会を支えるために働いています。一方で「実習先」によっては、地獄を見る実習生もいます。働ける3年の間、日本での実習の明暗を見た、とあるベトナム人青年の思いをたどりました。(朝日新聞機動特派員・織田一)

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「建設機械・土木」の技能習得のため来日したベトナム人実習生。しかし実際に派遣されたのは、東京電力福島第一原発の事故の除染作業の現場だった。ときおり、声を詰まらせながら、東京・上野で実態を告発した=織田一撮影

「日本に行けば……」ハノイの街角で見た夢

 9月21日夕、1人のベトナム人の若者が東京・羽田空港から帰国しました。グエン・ドク・カインさん(25)。外国人技能実習生として来日し、東北地方で3年を過ごしました。
 「初めての日本でした。楽しいこともあった。不安になることもあった。3年は早かったな」。そう振り返って、ベトナムに向かう飛行機に乗り込みました。

 カインさんと私が初めて会ったのは3月。「全統一労働組合」(東京・上野)から、「東京電力福島第一原発事故に伴う除染作業を強いられた外国人実習生がいる」と聞いて、引き合わせてもらいました。

 身長170㌢の細身で、髪を金髪に染めた青年。スマホで撮った作業の写真を見せながら、たどたどしい日本語で話してくれました。


 始まりは1枚のポスターでした。
 3年前の2015年3月。ハノイの街角。高校を卒業し、建設業で働いていたカインさんは、そのポスターから目が離せませんでした。
 「日本に行けば稼げる。行きたい人は連絡して」

 技能実習生は現地の「送り出し機関」と呼ばれる人材派遣会社を通して、日本に来ます。カインさんが見つけたのは実習生募集のポスターでした。

 派遣会社は、出発前に、日本の実習先(企業)が求める技能や日本語を教えます。その代わり、高額の授業料や手数料をとります。カインさんは「160万円払った」と言います。約100万円を銀行から借りました。「稼げると思ったし、日本にも関心があった」

日本や韓国、台湾への「留学・労働」を勧誘する看板=2016年、ベトナム、岡田玄撮影
日本や韓国、台湾への「留学・労働」を勧誘する看板=2016年、ベトナム、岡田玄撮影

 カインさんはその年の9月、ベトナム人男性2人と東京・羽田空港に降り立ちました。実習先は盛岡市の建設会社。「建設機械・土木」の実習という名目でした。

 しかし、最初の作業現場は福島県郡山市で5カ月間、住宅地の土壌をはぎ取ったり、側溝を洗ったりしたそうです。

 7年前の3月11日、東日本大震災が発生。東京電力の福島第一原子力発電所が大きく損壊し、放射性物質が約50㌔離れた郡山市に流れました。

カインさんに割り当てられたのは、放射性物質が付いた可能性があるものを取り除く「除染」と呼ばれる作業でした。

 実習生の受け入れ窓口である監理団体の代表からは「仕事は簡単。だれでもできる」としか説明されませんでした。「私は日本語はできなかったし、通訳もいなかった」。もちろん「除染」の話は出ませんでした。

 その後、岩手県釜石市に移り、住宅解体工事などをしました。16年9月には再び福島県に。避難指示区域だった同県川俣町で、国直轄の建物解体工事に従事しました。

 スコップで落ち葉などを集めました。このとき心が騒いだと言います。

 住民の姿が見えない町。マスクをつけないと仕事場に近づけない。

 「特別手当」を渡されたとき、さすがに「親方、これは何ですか」と聞いたら「危険手当だ」と返されました。驚き、「どんな危険があるんですか」と食い下がると、「嫌なら帰れ」の一言で話を打ち切られたそうです。
 
 「何かおかしい」。不安が膨らむ中で、それでも約4カ月、働き続けたと言います。

説明ないまま送られた「誰もいない町」

カインさんがやった業務。背中のゼッケンに「除染業務」と書かれている(画像は一部加工しています)
カインさんがやった業務。背中のゼッケンに「除染業務」と書かれている(画像は一部加工しています)

「分かっていたら、絶対日本に来なかった」

 手取りは12万円程度でした。でも、働かざるを得ない理由がありました。日本に来るため、銀行から借りた100万円超。ベトナムの平均年収で、数年分を返済しなければならなかったからです。それに、実習生は自由に勤務先を変えることもできません。与えられた仕事をこなすしか道はなかったのです。

 17年に入り、福島県飯舘村、山形県東根市、仙台市と転々とした後、3月にまた川俣町で約2カ月間、建物解体作業をしました。直後に、知りあったジャーナリストから「除染は危ない」と忠告され、初めて放射能のリスクを知りました。11月22日、寮を飛び出し、支援者が運営する郡山市の保護施設に身を寄せました。

 「危険な作業だと分かっていたら絶対に日本に来なかった」。そう私に悔しがったカインさん。インタビューを受けた18年3月、上野公園で外国人労働者の支援集会に参加し、ステージ上で「告発文」を読み上げました。

「郡山で除染の仕事をしました」「自分の体がどうなってしまうのか、とても心配です」

◇◇  途上国の若者らに日本の技術を学び、母国に持ち帰って経済発展に役立ててもらう。技能実習制度はそんな「国際貢献」の看板を掲げて1993年に始まった。しかし、現実は、最長3年(現行5年)の期間限定、低賃金の単純労働者として扱われているのがほとんど。  実習生として働くことができる職種は農業や建設、食品製造などの77に限られている。その中に「除染」はない。
 技能実習生を受け入れる企業は、実習生に技術を教える計画書を国に認めてもらう必要がある。法務省は7月、この計画と異なる作業をさせ賃金の不払いもあったとして、カインさんを受け入れた会社に5年間の実習生受け入れ停止の措置を発表した。  しかし、除染作業に従事させたので処分されたというわけではない。全統一によると、問題の建設会社は「土木作業の一環だった」「機械作業に付随する仕事だった」と開き直った。なお、この会社は4月には解散の準備に入っていたという。 ◇◇
東京・上野で除染をさせられていた告発文を読み上げたカインさん(右)。「嫌なら帰って」と言われた場面では顔を赤らめ言葉を詰まらせた=織田一撮影
東京・上野で除染をさせられていた告発文を読み上げたカインさん(右)。「嫌なら帰って」と言われた場面では顔を赤らめ言葉を詰まらせた=織田一撮影

刻々と迫る帰国の期限

 17年11月に駆け込んだ郡山市のシェルターは2階建ての民家でした。同じように実習先から身を寄せたベトナム人実習生男女12人と共同生活をしました。昼間は寝て、夜はテレビでサッカー観戦と、たまに日本語の勉強、という日々。

 「みんなで家族のことや給料のこと、いろんなことを話した」。手持ちタイプのマイクでカラオケを楽しんだりもしました。

 しかし、焦りは募る一方でした。

 技能実習生として日本で働くことができる期間は最長3年。保護施設に来た時点で、カインさんに残された滞在期間は1年を切っていました。

 「みんな、自分の将来を心配していた。このまま帰国することになるのかな、と。働かずに時間を過ごすのが本当にもったいなかった」

 事態が動いたのは、カインさんが3月に東京・上野公園で告白のスピーチをして間もなくでした。新聞やテレビが「除染実習生」と大々的に報じ、国も重い腰を上げました。

 「除染作業は技能実習の趣旨にそぐわない。これからは除染作業を含む実習計画は認めない」と発表しました。

 日本で技術を身につけ、母国の経済発展に役立ててもらうはずの技能実習。でも、除染作業は一般的に海外で行われている業務でもなければ、ましてやベトナムでは稼働している原発もありませんでした。

 カインさんの告発が、「国際貢献」をうたう制度のひずみをさらけ出しました。

自分の健康だけでなく、将来生まれる自分の子どもへの影響について不安を訴えたカインさん
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 日本で働き、学ぶ「外国人」は増えています。でも、その暮らしぶりや本音はなかなか見えません。近くにいるのに、よくわからない。そんな思いに応えたくて、この企画は始まりました。あなたの「#となりの外国人」のこと、教えて下さい。

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