連載
#7 #となりの外国人
日本人と交わした酒「戻ってきたい」 実習生の人生変えた2カ月
外国人技能実習生として3年間、日本で過ごしたベトナム人青年のグエン・ドク・カインさん(25)。「建設機械・土木」の技術を習得するという名目で来日しましたが、十分な説明もないまま従事させられたのは、東京電力福島第一原発事故に伴う除染作業でした。意を決して駆け込んだ保護施設での不安な8カ月を経て、ようやく別の実習先に身を落ち着けることができました。そこで過ごしたたった2カ月の日々が、日本の印象を変えました。(朝日新聞機動特派員・織田一)
カインさんが帰国する9月21日昼、私は東京・品川で久々にカインさんに会い、一緒に羽田空港に向かいました。細身の体つきは相変わらずでしたが、日本語はなめらかになり、髪は黒く染められていました。
半年前にインタビューしたときは、「危険な作業だと分かっていたら絶対に日本に来なかった」と私に悔しがったカインさん。空港に向かう電車に並んで座り、その後の生活を尋ねると、驚いたことに「また日本に戻ってきたい」と切り出し、笑顔で話し始めました。
無事に新しい実習先が決まった8月から、三陸海岸の宮古市と盛岡市を結ぶ新道路のトンネル工事に携わっていたと言います。
法務省入国管理局が、多くの実習生の受け入れ窓口となっている監理団体に、カインさんが本来日本で学ぶ予定だった「建設機械・土木」の趣旨にあった実習先を探すよう頼んだそうです。
朝6時45分の朝礼で一日が始まり、午後5時まで、トンネルの内側の壁をコンクリートで固める作業に励みました。工事現場から車で5分ほどの宿舎で、他の従業員約20人と寝起きしました。うち8人がカインさんをはじめとするベトナム人実習生でした。
「専門の日本語を覚えるのが難しかった」というカインさん。でも、忘れられない思い出ができました。
同宿の40歳代、50歳代の日本人とお酒を飲んだことです。彼らにとって、カインさんは息子と同世代。カインさんが交際している女性の話などで盛り上がったと言います。
帰国の日、カインさんを見送るため、宮古市から上司が来ていました。羽田空港には職場を紹介した監理団体のスタッフと、別の上司も駆けつけました。3年前にカインさんが来日したときの迎えは1人だけでした。手厚い見送りでした。
夕刻の帰国便を待つ間、カインさんを囲んで食事をしました。
宮古市から一緒に上京した上司には、カインさんと同年代の息子がいます。「日本語がすごく流暢。仕事も分からないなりに一生懸命やってくれた。またぜひ日本に戻って、うちで働いてほしい」と目を細めました。
監理団体のスタッフは「ベトナムに帰ったら気をつけるんだよ」と何度も念を押しました。まとまった金を手にした実習生が帰国後、バイクを乗り回して事故を起こしたり、賭博にはまったりするケースが少なくないと言います。
カインさんは、保護施設にいた8カ月は働けず、除染作業に伴う特別手当の一部もピンハネされていました。せっかく転職できた会社での勤務も2カ月足らずでした。
でも日本に来るためにベトナムで作った約100万円の借金は返済でき、貯金も20万円ほどできたと言います。
搭乗前、カインさんと2人になったときに「正直な日本の印象は?」と聞きました。カインさんは「難しい質問ですね」と間を置き、自分に言い聞かせるように語りました。
「ひどい目にもあったが、優しい人もいた。いい国だと思う」
日本で働く技能実習生は約25万8千人います。
受け入れる企業や、窓口の監理団体の多くは「実習生がいるから経営が成り立っている」と感謝し、気を遣っています。地域に早くなじめるように、手弁当で日本語教室を開いたり、社員旅行に連れて行ったりしている経営者もいます。
カインさんは来日して2年10カ月後に、ようやくそういう職場に恵まれました。
一方で、実習生に対する賃金の未払いや超過勤務などの不正行為は後を絶ちません。減少しているとはいえ、昨年も299件ありました。支援団体には今でも「仕事が遅いことなどを理由に強制帰国を迫られた」(ベトナム人女性)「社長にゴルフクラブで殴られた」(モンゴル人男性)との悲鳴が相次いで寄せられています。
日本人でも運悪くブラック企業に身を置き、厳しい労務環境に苦悩している人は少なくありません。ただ、外国人技能実習生は法律で原則職場を変えることを禁じられています。来日前に作った膨大な借金の返済というプレッシャーのなか、日本語も片言で権利の主張もままならず、与えられた仕事にしがみつくしかないのが現状です。
そこをつけ込まれています。
NPO法人「移住者と連帯する全国ネットワーク」代表理事の鳥井一平さんは、「人権侵害問題を起こした企業の経営者はもともと気が良い人。外国人を受け入れようというぐらいだから」と前置きし、続けます。
「時間がたち、親しくなった実習生がからかいの冗談を飛ばすと、社長も冗談で『帰国させるぞ』と返す。すると、実習生はびくっとしてしまう。その姿をみて経営者は『これはいける。彼らには何をやってもいいんだ』と増長し、パワハラやセクハラに走る。人をゆがませる奴隷労働構造だ」
しかし、そういう構造が続くことを、世界は良しとしていません。実習生を受け入れている企業に対する法令順守の圧力は、国内外で強まっています。イギリスでは、一定の売上高がある企業に対し、サプライチェーンでの奴隷労働を根絶する取り組みに関する情報の開示を義務づけました。
「技能実習制度は強制労働」と問題視されている日本でも、SNSの広がりが思わぬプレッシャーを企業に与えています。
民放番組が昨年末、中国人実習生を低賃金でこきつかっている縫製工場の実態を報道しました。実習生らが発注元のアパレルブランド企業に窮状を訴えようとしたものの、門前払いされる映像がネットで広まりました。その企業は悪質工場とは資本関係などはありませんでしたが、ネット上で炎上し、謝罪に追い込まれました。
こうしたなか、女性下着大手のワコールホールディングスが、自社製品の製造工程にかかわる製品供給網(サプライチェーン)に実習生の人権を侵害している会社がないか調査を始めました。悪質な工場が組み込まれていたら、ワコールブランドも大きく傷つく、と心配したからです。技能実習制度の専門家からは「労働者の人権を大事にする意識が広まる」と評価されています。
カインさんのスマートフォンには、「除染作業をしていたときに撮影した」という写真がありました。郡山市での除染作業中に、作業服姿でポーズをとった全身写真。記念に、と軽い気持ちで撮ったようです。私が「おやっ」と思ったのが左腕の黄色の腕章でした。元請けである、売上高数百億円の大企業の社名が入っていました。その一枚は元請けのブランド信用力を揺さぶりかねないものです。
実習生の人権侵害はもっぱら大半が働いている零細・中小の問題とされてきました。大手企業にとって都合の良い、そうした線引きは通じなくなっています。技能実習制度と「地続き」の新しい在留資格が検討されているいま、実習生依存の日本の産業構造が改めて問われています。
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