連載
30代で「余命宣告」受けたSNS相談員、生きづらさ抱える若者への答え
難病を抱え「生きていることが奇跡」と告げられながら、若者の悩みを受け止めるSNS相談員になった女性がいます。原因不明の「しんどさ」に襲われ、学校に通えなくなった中学時代。そのしんどさを信じてもらえず、自ら命を絶とうとしたこともありました。関西在住で30代のゆきこさん(仮名)は、原因が難病だったことが判明した後も、闘病しながら、命に向き合ってきました。(朝日新聞新聞記者・松川希実)
「死にたい」
LINEの画面に、10代の相談者からそう打ち込まれました。ゆきこさんに緊張が走ります。
死にたいほど苦しい気持ちが分かりました。その苦しさを口にできなくさせてしまうかもしれないから、「死なないで」とは応えません。
ゆきこさんは「すごく、つらいよね」「誰にも言えないし」と返しました。続く相談者の言葉に神経を集中させます。
「怖くてたまらない」。相談者が発する言葉の裏に、ゆきこさんは10代のころ、自分が感じていた孤独を重ねていました。
同級生に置いていかれるような不安。しんどいことを隠すために家族の前で明るく振舞っていたこと。
「今、私は生きたいと思う。死にたいと思うあなたと、私が出会えたのは縁だと思うよ」とゆきこさんは相談者に伝えました。「一緒だね。きっと縁があったんだ」。相談者は少しずつしんどい思いを話してくれるようになりました。
しんどさの原因は人それぞれ、原因がはっきりしない苦しさを抱える人も多いとゆきこさんは考えています。でも、「本当にしんどい」ことを、理解してくれる人、それがゆきこさん自身が、10代のとき、一番ほしかった存在だったと言います。
「あの頃は、世界が学校と家だけ。学校で嫌なことがあっても、家では隠さなければいけないことに思えて、無理に明るく振舞っていました」。ゆきこさんは、中学時代を振り返ります。
スポーツが得意で、活発な女の子。しかし中2のころから、原因不明の微熱やめまい、痛みが出るようになります。病院も回りましたが、原因は分からず、「精神的なもの」「肩こり」だとも言われました。
友達から遊びに誘われても断るようになり、学校を休みがちになると、「登校拒否」だとうわさされました。
「テストだけでも受けに来て」と教師に促され登校すると、クラスメートから「なんでくるんだろう」と言われることもありました。
ゆきこさんは「何が原因かも分からないから、説明もできず、悔しい思いをしました」と話します。
何とか受験して、高校に進学しましたが、無理に登校すると熱が上がります。せっかく合格した学校だったので、家族も最初は無理にでも登校するよう励ましたり、校門まで送ったりしました。
学校を休めば、母が祖母に責められ言い争いに。「私がいなければ、問題は起こらない」。ゆきこさんは、家族がいない自宅で、のどに包丁を突き刺そうとしたことがありました。ただならぬ様子を察した愛犬がほえ、我に返りました。
水も喉を通らずに体重は減り、精神的にも追い詰められたゆきこさん。しんどさの原因はわかりませんでしたが、医者は「このままだと死にます。命と学校のどちらが大事ですか」と休学を勧め、ようやく母が家族を説得し、学校を休めるようにしてくれました。
ゆきこさんは、母に本音を話し出しました。「本当は学校に行きたい」「どんなに走っても、ずっとみんなに追いつけない」。同級生の背中がどんどん遠ざかっていく焦りを感じていました。ゆきこさんの言葉を、母は夜中まで何時間でも聞いてくれたといいます。そのとき、「道は一つじゃないよ」と言ってくれた母の言葉が支えになりました。
高1の夏休み明けから休学し、高2になるのを境に退学しました。
退学から1年、横になっていても全力で50メートル走ったように心臓が脈打つ症状が出ていました。17歳のゆきこさんに、ようやくしんどさの原因が告げられました。
免疫に異常が起き、全身に強い炎症が起きる難病「ベーチェット病」でした。
自宅と病院を往復するだけの療養の日々。終わりが見えませんでした。家でできるボランティアにも挑戦しましたが、体調の波で断念しました。「大切な10代の期間に、資格の一つでもとっておけば良かったと、今でも悔しいんです」と、ゆきこさんは振り返ります。
20代になり、体に負担がかかるリスクも背負っていましたが、ゆきこさんは、積極的に外に出るようになります。「病気だからできない、じゃなくて、病気だけどできる、と思えるようになりたかった」
アルバイトもやってみました。しかし、23歳のとき、ベーチェット病の中でも、命に関わる特殊型を発症。内臓が破れて、命を落としかけました。繰り返し炎症が起こるようになり、できる限り避けていたステロイドを常用しなければいけなくなりました。強い薬も増え、副作用で、外での仕事をやめざるを得ませんでした。
「諦めるときは1日ぐらい落ち込んで大泣きします。でも、次の日からは『次何しよう』と探し始めていました。自分ができる範囲のことを見つけようとすることで、『まだ立ち止まることはない』と思える。立ち止まるのが一番怖かった」
27歳のとき発症したのは、ベーチェット病では異例な二つ目の特殊型。呼吸などをつかさどる神経の症状です。特に治療が難しいもので、命の危険はさらに上がりました。
再び長い療養が始まりました。治療の副作用で骨がもろくなり、ベッドの上で寝たきりに。半年後から自宅療養に切り替えましたが、介護ベッドの上での生活が続きました。ゆきこさんの頭に、高校退学後の自宅療養の日々がよみがえりました。何もできなかった後悔。「もう時間を無駄にしたくない」
一つの夢を思い出していました。それはカウンセラーになることでした。
きっかけは、よく知る人の自殺でした。地元では周りの目を気にしてカウンセリングに通いづらく、隠してしまう人もいると聞いていました。自分にも何かできなかったのか、とゆきこさんは後悔していました。もっとハードルを低く、気軽に相談できるような人がいたら……。
家族に「自分の体がしんどい状態でできる仕事じゃない。感情移入しやすいあなたには向かない」と反対され、一度は諦めた夢。でもベッドの上でもできる座学からと、ゆきこさんは心理学のテキストを集めました。「体がぼろぼろになっていくなかで、もしかしたら人の役に立てるかもしれないと思うとやる気になりました」
体が動くようになってからは近くの街や大学に講習を受けに行き、メールカウンセリングの実習にも挑戦し、ついに心理療法カウンセラーの資格を取りました。病状は下り坂で、日常生活ではできないことも増えていきましたが、ひきこもり支援相談士やネットいじめ対応アドバイザーなどできる限りの知識を習得していきました。
相談の実践も積み、「どんな形でもいいので携わらせてください」とさまざまなカウンセリングの団体にアピール。自宅でもできるSNSやメールでのカウンセラーの仕事を始めようとしていました。
カウンセラーの団体にも所属した昨年11月。ゆきこさんは食事をとることも難しい状態になっていました。担当医が家族に告げました。
「今年の冬を越すのはきびしい。ご家族で命の話はしていますか」
家族からこのことを伝えられたゆきこさんは「音がなくなったような感じがした」と言います。「あ、私、死ぬんだ」と無意識に返していました。
「同年代の人よりも、自分は早く死ぬのだろうとは思っていました。ただ、実際に医者から聞いた死は、今まで想像していたものとまったく違い、とてもリアルで、大きくて、ものすごく重いことだった」
泣きわめくこともできず、逆に感情がなくなったように感じ、とっさに死ぬための準備を始めなければと考えたと言います。
そのとき、知人に言われました。「死ぬことを考えるより、生きるためのスケジュールをいれなさい」
まわりに迷惑をかけないように気をつけた上で、冬より先にも予定を入れるようにしました。優先したのは、より良いカウンセラーになるための、カウンセリングや認知症、発達障害の勉強などです。
ゆきこさんは「外に出られなくなったとしても、インターネットもある。できることを探すのは今までと同じ。逆に活動量は増えていきました」と笑います。
奇跡的に冬は持ち越しましたが、強い鎮痛剤を使いながらの生活が続いています。
それでも今夏、ゆきこさんは念願のSNSカウンセラーとしてデビューしました。
自分の人生が残り限られていることを知ったとき、他人の悩みを優先できるのだろうか。
私の率直な疑問に、ゆきこさんは「誰かの役に立っていると思えれば、自分の存在を認められるように感じるんです。私は結局、自分のエゴだと思っています」と言い切りました。「死ぬ前に人生を振り返ったとき、どれだけのことができたのかと、私は考えるはずだから」
10代で自ら命を断とうとしたことがあるゆきこさんですが、命のことを改めて考えたときに、気づいたことがあると言います。
「これまでは『死んだら死んだで仕方ない』と思っていたけど、本当は『やっぱり生きたい』と思っていたんだと思い知りました」
「毎朝、目がさめるとうれしい。『今』の瞬間があること自体、ちゃんと生きていること自体がすごい。その中で何かをやっていこうとしている自分を、ちゃんと自分で認めてあげないとかわいそうじゃないかと思えました」
死を選ぶ子どもたちの数は増えています。
そんなニュースに心を痛めながら、ゆきこさんはなるべく多くの「助けて」という思いを受け止められるよう模索しています。メッセージツールやウェブサイトを使って、特に若い人たちが、相談に踏み出すためのハードルを低くできないか、その方法を作ろうとしています。病気などでしんどい思いをしている人や、それを支える家族からも相談を受けられればと話します。
私がゆきこさんの話を聞きながら考えていたのは、ふつうに暮らしながら「生きたい」と強く思える瞬間がどれぐらいあったか、ということです。特に考えもせず、ふと疲れたときに口癖のように「死にたい」とつぶやいたこともあったと思い起こしました。
そんな私の言葉に、ゆきこさんは少し考え、「本当はみんなの根元に『生きたい』という思いはあるものなんだろうなと思います。それがすごく大事なんだと気付きました。心が折れることがあっても、『生きたい』とつぶやけたとしたら、強い」と答えます。
「『死にたい』と言っている人の思いを受け止めながら、一緒に『生きたい』と思える、何かを探していきたい。『生きたい』の言葉が聞けたら、やった……! となりますね」と笑顔を見せました。
一番つらかった10代の時期に、SNS相談があったとして、今の自分だったら当時の自分にどう声をかけてあげますか。
私の問いかけに、ゆきこさんは、こう話しました。
「『(そのしんどさを)私は信じているよ』、そして『少しでも多くつらさを理解したいと思っている』です」
「誰しも、それぞれしんどさや悩みの種類は違うし、原因がわからない苦しみも多いと思います。それでも、それをわかってくれた上で、一緒に考えてくれる人が、私はほしかった。だから『信じているよ』『1人じゃなく、一緒に悩もう?』という気持ちが伝わってほしいです」
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