MENU CLOSE

地元

デジモン「伝説の主題歌」生みの親、千綿偉功さんの「佐賀時代」

チャリティーライブで歌う千綿偉功さん=2018年8月4日、佐賀市呉服元町
チャリティーライブで歌う千綿偉功さん=2018年8月4日、佐賀市呉服元町

目次

 日曜の朝9時、リビングのテレビから流れる軽快なイントロに、僕たちは心を躍らせた――。今から20年ほど前に放映された人気アニメ「デジモンアドベンチャー」の主題歌「Butter-Fly」だ。26歳の私たち世代にはカラオケの定番。この「神曲」を作詞作曲した千綿偉功さん(46)がこの夏、私の勤務地かつ、千綿さんの故郷でもある佐賀にライブで帰ってきた! 始まりは伝説のロックバンドのコピーで、「佐賀の高校御三家バンド」として活躍。若さに任せて上京したはいいが大都会での厳しさにさらされ……。そんな昔話から、「不死蝶のアニソンシンガー」今は亡き和田光司さんへの思いまで、「神曲」の秘話を聞いた。(朝日新聞佐賀総局・黒田健朗)

【PR】手話ってすごい!小学生のころの原体験から大学生で手話通訳士に合格

「歌と言ったら千綿じゃね?」

 ――歌手として歌い始めたきっかけは?

 「中学3年の時、同級生から『歌と言ったら千綿じゃね?』とバンドに誘われました。男子は声変わりをすると大きな声で歌うのが恥ずかしいけど、僕はそうじゃなかった。楽しい時も悲しい時も常に何かしら口ずさんでいるような子どもだった」

 「中学では『BO●(Oに/(スラッシュ))WY』のコピーバンドをやりました。佐賀西高校入学後はメンバーチェンジをして、ハードロックの『EARTHSHAKER』のコピーバンドに始まり、2年生ごろからオリジナル曲を作り始めた」

 「他のバンドと一緒にライブハウスを借りて、毎週のようにイベントをやった。自分で言うのも恥ずかしいですけど、その頃、『佐賀の高校生の御三家バンド』のひとつでした(笑)。ほかに空手も書道もやって、高校の応援団も恋もして……、勉強する暇がなかった(笑)」

千綿さんの母校、佐賀県立佐賀西高校
千綿さんの母校、佐賀県立佐賀西高校

「寝台特急さくらに乗って上京したんです」

 ――佐賀西は進学校ですが、卒業後はどうされたのですか?

 「高校の時、NHKの大会があった。僕たちは県予選で優勝して福岡の九州大会で歌わせてもらった。それでこれはいけるんじゃないかと。僕以外のメンバーは『このバンドで東京に行く』と言っていた」

 「ただおやじからは『大学に行け』と。東京の大学に受かったら堂々とバンドができると思ったら、案の定落ちた。おやじに『浪人せずにみんなと一緒に東京でバンドをする』と言ったら、『何を考えている。そんなに甘い世界じゃない』と怒られた」

 「僕もこうと決めたら曲げられない性分なので『やってみないと分からんやろうもん』って。そしたら『分かった。だらだらいても仕方ないから、5年で芽が出なかったら帰ってこい』と言われた。それで住む家も決まってないのに寝台特急さくらに乗って上京したんです」

寝台特急「さくら」=2005年2月28日
寝台特急「さくら」=2005年2月28日 出典: 朝日新聞

「自信があった。世間知らずです」

 ――家が決まってないのに!?

 「最初は知り合いの家に居候。『自分たちはいけるんだ』という自信があった。世間知らずです」

 「東京には全国から数え切れないほどのバンドが集まっていた。少々頑張っても芽が出るわけでもなく、だんだんと生活するにも窮屈になり、練習もおろそかになり、1年ちょっとでバンドは解散した。その後、高校の先輩と2人で『CHASE』というユニットを組んでメジャーデビュー、1998年にソロデビュー。そのころに『Butter-Fly』の作詞作曲を手がけました」


 ――千綿さんが作詞作曲者で、さらにアニメ「金色のガッシュベル!!」のオープニング曲「カサブタ」(2003年)を歌っていたと知ったのは、大人になってからでした。どちらもリアルタイムでアニメを見ていたのですが……

 「いまだに合致していない人はたくさんいると思います。『えっ、一緒だったんだ』『しかも佐賀の人なの』って方はいますね。そう言われることがこの5年くらいで増えてきました」

『Butter-Fly』和田光司

「ごめん、歌う人は決まっているんだ」

 ――「Butter-Fly」発表から来年で20年です

 「長いようで短かったというか。その間、色んなことがありました」

 ――手がけた経緯は

 「当時、所属していたのがアニメ系に強い事務所だった。僕とは関係ないセクションのディレクターから『千綿くん、最近作った曲で、アニメ向きのいい曲ない?』と言われた時、自分が歌おうと思っていた曲のストックがあった。それが『Butter-Fly』でした」

 「アニメ側のプロデューサーさんも気に入って『これを使わせてくれ』って。『やった、俺が歌うんだ』と思っていたら、『ごめん、歌う人は決まっているんだ』と。それが和田光司くんだった」

取材に答える千綿偉功さん=2018年8月7日、佐賀市柳町
取材に答える千綿偉功さん=2018年8月7日、佐賀市柳町

「そんな世の中でもきっと飛べるさ」

 ――アニメ用に作った曲ではなかったんですね!

 「はい。アニメの内容を聞いて、歌詞の言い回しとかはちょっと変えましたけど。ほぼ原曲」


 ――サビの「無限大な夢のあと」というフレーズが印象的でした

 「夢って描くのは無限大じゃないですか。でも、思い描いた後にふっと現実に戻ると、『何だこの世の中は』って思う。『何を信じればいいんだ、何が正解なんだ』って、すごく虚無感に襲われる。『そんな世の中でもきっと飛べるさ』と。前向きな曲ですよね」

「きれいごとばっかり言う大人たち」

 ――「Butter-Fly」も「カサブタ」も世の中の不条理を取り上げていると感じます

 「当時の環境とか、考えていることからしか曲は生まれない。『おまえのことが好きだアイラブユー』っていう歌は当時は作れなかったんです」

 「『対世の中』とか『対大人』とか、自分よりも力のある、権力のある者に対して何か反抗や反発がしたかった。政治とか世の中の色んな動きの中で、きれいごとばっかり言う大人たちがいるように感じていた」

 「あとは、音楽業界の大人たちが『それじゃ売れないよ』『もっとこういう曲を書いたほうがいいよ』と。分かるけど一個人を否定されたような感じで、『じゃあどうすりゃいいんだよ』という思いもあった」

千綿偉功さん=佐賀市柳町
千綿偉功さん=佐賀市柳町

「愛してもらって、ありがたい」

 ――大人になった今なら分かる気がしますが、子どもたちに伝わると思ってはいましたか?

 「子どもの頃は『夢を持て』と言われる。『大人になれない』(カサブタの歌詞のフレーズ)と言われても、『いや、20歳超えたら大人になるでしょ』となりますよね(笑)。ただ、きっと誰もが直面する時が来ますから」

 「大人になって歌詞の意味を考えて、『ああ、そういうことだよな』って思ってくれている。心の中に残っていて、歌い継いでもらっている。そこまで想像して曲を提供してはいなかった。僕もびっくりしている。愛してもらって、ありがたいですね」


 ――病に苦しんだこともあったそうですね

 「2015年12月ごろ、ちょっと耳が詰まった感じがした。気にせずライブを続けていたんですが、だんだん耳鳴りがし始めて。低音が耳にぼこぼこ響いて、ひどい時は音程がずれて聞こえていた。ライブはこなそうと思ってやったんですが、いよいよ歌えなくなった。2016年1月から、春ぐらいまで決まっていたライブをキャンセル。家でも耳栓をして筆談していた。『低音障害型感音難聴』と診断されました」

 「外に出る気にもならず、やる気がなくなって布団から出たくなかった。うつ病手前みたいな状況で精神的にもどん底で。『終わったかもしれない』『歌えないかも』という期間が続いて、ぼろぼろになった」

「まだ歌いたくて歌いたくてたまらなかったろうに」

 ――2016年4月、「Butter-Fly」を歌った和田さんが亡くなりました

 「連絡が来て言葉が出なかった。和田くんはガンを乗り越えて復活して、曲名をかけて『不死蝶』と言われています。まだ歌いたくて歌いたくてたまらなかったろうにって」


 ――和田さんはどんな存在だったんですか

 「『Butter-Fly』を僕が歌っていたとしたら、ここまで認知されていなかったかもしれない。和田君は世界のどこに行ってもあの歌を歌って歓声を浴びていた。あの曲を世の中に羽ばたかせてくれたシンガーだった。有名になってくれた後も年に1回くらい飲んだり、年賀メールをやりとりしたりする仲でした。とっても真面目で音楽にまっすぐ。楽曲の提供者の僕をリスペクトしてくれた」

 「亡くなる前に、昔の仲間たちも交えて飲んだことがありました。和田くんは病気のせいでやせていたけど、楽しそうに、今後こういうことをしたいと夢を語っていた。僕は『じゃあ、一緒にツーマンライブやろうよ』って。和田くんは『いいですね、やりましょう』なんて話していた。その夢をかなえられなかったのが悔やまれてしょうがない」

 「和田くんに比べたら僕の病は屁みたいなものです。和田くんが亡くなり、『この曲を歌い継ぐのは俺しかいない』と思いました」

チャリティーライブで歌う千綿偉功さん
チャリティーライブで歌う千綿偉功さん

「50歳で武道館ワンマンライブ」

 ――耳の病気は今は

 「おかげさまで今はひどい低音はないんですけど、今度は高いキーンとかミーンとかいう音が鳴っています。街中の騒がしい中では特に支障はない。静かな中とか寝る時とかは鳴っているんで、たまにうるさいなということはあるけど歌えています」


 ――新たな目標もあるそうですね

 「『50歳で武道館ワンマンライブ』を掲げています」

 「耳の病気が歌えるところまで治って、今しかないと思った。僕は今、レコード会社や事務所に所属していない。それでも50歳で武道館でできるんだぜ、というメッセージを『Butter-Fly』とともに発したい。『夢を見るのは遅くはないぞ』と。和田くんの魂も連れて行きたいですね」

自身の曲の著作権使用料などを「ふるさと納税」として県に寄付する千綿偉功さん(左端)=2008年12月、森本浩一郎撮影
自身の曲の著作権使用料などを「ふるさと納税」として県に寄付する千綿偉功さん(左端)=2008年12月、森本浩一郎撮影

取材を終えて

 佐賀市内のこじゃれた喫茶店で1時間ほど。緊張しっぱなしだった一方、秘話の数々に取材を終えるのが残念な気持ちになりました。「無限大な夢」を追い続ける千綿さん。武道館ライブが実現したら、ぜひとも足を運びたいと思います。

     ◇

千綿偉功(ちわた・ひでのり)1972年生まれ、佐賀市出身。佐賀西高校卒業後に上京し、1994年にユニットでメジャーデビュー。1998年にはソロデビューし、1999年~2000年放送のテレビアニメ「デジモンアドベンチャー」の主題歌「Butter-Fly」の作詞作曲を手がけた。歌手としての代表曲に「カサブタ」(2003年)など。2008年から発起人として佐賀市でチャリティーライブ「HOME」を毎年続けている。

     ◇

デジモンアドベンチャー 1999年3月~2000年3月放送のテレビアニメ。東映アニメーション制作で、全54話。異世界に飛ばされた「選ばれし子どもたち」と「デジタルモンスター」の冒険を描く。1999年と2000年の劇場版では後に「サマーウォーズ」を手がける細田守氏が監督を務めた。2015年~18年まで新作「デジモンアドベンチャーtri.」(全6章)が公開された。

関連記事

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます