連載
#14 「見た目問題」どう向き合う?
アルビノは「美しい」「苦難の克服」 二択のストーリー「しんどい」
「アルビノになりたい!」と、ユーチューバーのよききさんが髪の毛を真っ白にする動画を配信したところ、賛否の声が上がりました。自らもアルビノで、アルビノと社会の関係性について研究している立教大学助教の矢吹康夫さん(38)は、「影響力のある人が『アルビノ=美しい』と発信してもいい。ただ、それはアルビノの一面でしかないことを自覚してもらいたい」と話します。
ーーよききさんの動画を見て、どう思いましたか?
無邪気というか、うかつ過ぎると思いました。あれだけの視聴者がいて、経験も豊富なよききさんであれば、批判がくることは予想できたはずなのに。アルビノの人たちにもいろんな受け止め方があることに目配りしていましたか?、と問いたいです。
アルビノが出生を予防すべき遺伝子疾患として扱われ続けてきた歴史や、就職差別を受けたり、生きづらさを感じたりしている人がいることを知っていれば、もう少し違った表現になったのではないかと思います。
たとえば、アルビノの症状や体験が書かれたサイトのリンクを貼るなどの予防線を張れたはずです。「アルビノ=美しい」という表現は間違いではないけれど、アルビノの一面でしかないことを自覚したうえで、取り上げてもらいたいです。
ーーアルビノをユーチューバーがネタにするのはどう思いますか?
いろいろな動画が出てくるのはいいことだと思います。若い人がこうした動画を入り口に、アルビノについて知るきっかけになってもらえれば。だから、よききさんにはアルビノに関心を持ち続けてもらいたいですし、萎縮しないでほしいと思います。
ただ、アルビノを取り扱ったコンテンツには「美しい」か「苦難の克服」というストーリーしかありません。ジャンルとして、もっと多様化し、成熟したコンテンツになっていけばよいと思います。
白い髪の毛にするなら、試しにバイトの面接に行ってみたらどうでしょうか。自分がいいと思ったものが、世の中でどう扱われるのか、知ることができるかもしれません。
ーーアルビノの人に「きれい」とか「かっこいい」とか言ってもよいでしょうか?
アルビノの方々にもいろんな受け止め方があるでしょう。当たり前ですけど、うれしい人もいるし、嫌な人もいます。
私は嫌な気持ちはしません。ただし、アルビノであるがゆえの苦労を語っている文脈の中で、「でも、きれいじゃん!」と言われてしまうと、釈然としません。「でも」という逆説の接続詞で、苦労話が打ち消されてしまうように感じます。
いろいろ大変な思いをしていることに目を向けず、「アルビノ=美しい」と肯定的な側面ばかり強調されることで、アルビノであることに悩むこと自体、否定されてしまいます。
ーーでは、どうやって「きれいだ」と伝えればいいのでしょうか?
私なら「こんなに美しいのに、なぜ差別されるんでしょうかね」と言います。
ーーそもそも、なぜ「アルビノ=美しい」ととらえる人がいるのでしょう?
白人的なものへの憧れが、日本人の身体美意識として浸透している面があります。その美意識にあてあまるから、アルビノが肯定的にとらえられているのでしょう。
ーー動画への書き込みには、差別する意図はないからいいのでは? との声もありました。
動画での無邪気な様子を見れば、差別する意図がないことはわかります。
でも、悪気があったかどうかは、どうでもいいことです。大学の授業で学生たちにも言っているのですが、一般論して、悪気がなかったら何をやってもいいわけではありませんし、やったことがチャラになるわけでもありません。表現者の意図と結果を切り離すことが、議論の出発点です。
ーー矢吹さんについて、教えて下さい。なぜアルビノについて研究しようと思ったのですか?
子どものころは、不特定多数の人たちに対しては、「全部敵だ」って思っていました。すごく見られるので。
大学に入って、アルビノについて調べ始めました。でも、私が知りたいことがどこにも書かれていませんでした。「どうすれば私は納得できるのか」。そんな知的好奇心に突き動かされ、研究をしています。そういう意味で、自分探しです。
私の著書「私がアルビノについて調べ考えて書いた本」(生活書院)では、13人のアルビノの方々に聞き取りをしています。マスコミでは、「苦難を克服したアルビノ」か「楽しく生きているアルビノ」という両極端な人しか出てきません。この本では、メディアでは取り上げられない、普通に生きているアルビノの方々にもアプローチしています。
「苦難の克服」と「楽しく前向きに生きる」の二択しかモデルがないのは、当事者にとってはしんどいです。アルビノの人たちも、もうちょっと楽に生きられるはずです。いろんな生き方があるということを示したくて、この本を書きました。
ーー今もジロジロ見られますか?
東京では多様な人がいるので、見られません。きっと、「別のもの」と勘違いされているでしょうね。外国人か、ファッションか。
ーー見た目問題のマスコミ報道についてはどう思いますか?
水野敬也氏の著書「顔ニモマケズ」(文響社)が、見た目問題をメディアが取り上げるハードルを下げたと思います。
自己啓発作家である水野氏は、見た目問題の社会性を脱色し、当事者9人の前向きな生き方や言葉に焦点をあてることで、読者層を広げました。
一方、マスコミ報道は当事者のストーリーから社会問題を見いだそうとします。作家とジャーナリストとの役割分担ということでいいのではないでしょうか。
ーーアルビノを含めた「見た目問題」の当事者が生きやすい社会になるために、社会にはどのようなことが求められていますか?
まず、当事者の悩みを否定したり、比べたりしないことです。「見た目のことなんかたいしたことない。中身が大切だ」「もっと大変な人がいるのだから頑張りなさい」というのは、たとえ激励のつもりでも、当事者からすれば、悩むに値しないと言われている感じがします。
社会に対し、おびえている当事者もいると思います。だからこそ、社会の方から、一歩踏み出して、当事者に歩み寄ってほしい。当事者が社会に適応するために頑張ることよりも、社会が変わることのほうが優先だと思います。
社会が「いろんな見た目の人がいるよね」という受け止め方になればいいと思います。多様な見た目の人がいることが当たり前になれば、普通とは違うという理由での差別も起こらないはずです。
アルビノであることに悩んでいる方やご家族の方がいましたら、支援団体「日本アルビニズムネットワーク」(JAN、http://www.albinism.jp/)にご連絡下さい。
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