連載
「恵まれてるって、つらい」鈴木先生「手のかからない子」描いた理由
「私より大変な人はいっぱいいる」。そう思うあなたに読んでもらいたい。
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「私より大変な人はいっぱいいる」。そう思うあなたに読んでもらいたい。
漫画「鈴木先生」は、問題を抱えた子どもではなく「手がかからない子ども」の苦悩を描いた作品です。2011年には、長谷川博己さん主演でドラマ化され注目を集めました。作者の武富健治さんは「無意識に『あっち側』と『こっち側』という風に、派閥化するのが問題」と語ります。夏休みが終わり、学校生活の悩みを意識する人もいる時期。武富さんに作品に込めた思いを聞きました。
「今の学校教育は 我々が普段思っている以上に―― 手のかからない子供の 心の摩耗の上に支えられている」(「鈴木先生」5巻より)
これは、2005年から2011年にかけて連載された漫画「鈴木先生」(漫画アクション/双葉社)の主人公・中学校で教師として勤める鈴木先生の言葉です。
「子どもの頃から、熱血教師が出てくる作品も楽しく見ていました。物語の中心にいるのは、問題を抱える生徒で、その苦悩や憂いがかっこよかったりする訳です」
そう語るのは、「鈴木先生」の作者・武富健治さん。
「でも、どこか『自分に向けられた話じゃない』という感覚がありました。誰かに気を遣いながら、『よそ者』として見ている感じがあったんです」
鈴木先生が意識的に実践するのは、学校生活を人並みに過ごす「普通の生徒」にも時間を割くこと。「手のかからない子ども」が持つ苦悩を、敏感にすくいとります。
鈴木先生の思いは、自身の「原点」として描かれるシリーズ「掃除当番」で知ることになります。このシリーズで焦点が当たるのは、中2の「普通の」女子生徒、丸山康子です。
ある日、教室の掃除当番が回ってきたのは、康子のいる1班。しかし、掃除はスムーズには進みません。
不良グループに入っている女子生徒は掃除をサボり、精神的に不安定な男子生徒も早々に教室を出て行ってしまう。それを見てやる気をなくし、机を引きずり適当に済ませようとする同じ班の生徒たち。せっかく掃除している生徒の気持ちを折らないよう、先生は注意しません。
班の生徒に「自分たちだけ真面目にやる必要はない」と言われも、康子は「仕方ない」と納得しようとし、掃除を続けます。
仲の良い友だちがいる。家に帰れば両親も悩みを聞いてくれる。他の子のように、配慮されるべき事情はない。「だから、がんばらなくちゃいけない」――。
その後も、真面目に掃除を続けようとする康子。相変わらず班員は揃いません。「やりたい奴にやらせておけばいい」。ある生徒の言葉で康子は涙を流してしまいます。
みんな事情があるから責めちゃいけない、でもみんなの「事情」って、なにーー?
「恵まれてるって、つらい」と吐露する康子に、読んでいて胸がしめつけられます。
ついには、作品の中で、康子の悲痛な思いが直接解決されることはなく、鈴木先生にとっても心残りとして強く胸に刻まれるエピソードです。
鈴木先生が思い知るのは、問題なく過ごしているように見える生徒も、暗黙の不平等さに心をそがれているのではないか、ということ。「普通の生徒」にもより心を砕くことで、生徒同士の思いやりや支え合いを強くできるかもしれない、と考えるようになります。
「康子からすれば、配慮が必要な事情がある子どもも、康子を追い詰める側になっているんですよね」
作者の武富さんは、「掃除を『やめる』選択肢があることは、続ける人にとってすごくつらいこと」と話します。
「『やるものだ』と決めてしまえば楽だったものが、『続けたいから続けるんでしょう』というプレッシャーになりかねないのです」
嫌な気持ちになるのならやめてしまえばいい、という意見もあると思います。でも、康子の場合、「やめたい」と積極的に望んでいる訳ではありません。
「『やめる』選択をした人と『やめなかった』人、いずれの課題も両立させないといけないと思って描いています」
作中では、掃除をやめたそれぞれの生徒の「事情」も描かれています。その課題に特別な配慮が必要であることも読み取れます。
「目いっぱいな人が掃除ができないこと自体は、責めるところではないです。どう考えてもダメなときは、荒れたり頼ったりするしかないんです。これは僕の経験からも言えることです」
「昔から『お互いさま』という言葉がありますが、困っている人を、余裕がある人が助けるという循環は否定したくありません」
でも、康子はその「お互いさま」を気持ちよく受け止めきれず、苦しみます。武富さんは「たくさんの作品に出合っても、僕の中でずっと『救われない部分』だった」と話します。
特に感じたのは大学時代、編集長として漫画研究会を運営する立場になったときでした。
「仕事や学業でも、遊びでもない。でも、決められたルールの中でやりとげなければならない。いろんな事情を持つ人たちもいる組織で、指導者ではないけれど、まとめなければならない。そういう鬱屈やもどかしさが、解消されないまま積み重なっていました」
その救われない感覚は大人になっても続いたそうです。作品への昇華を考えるなかで、学校生活や「掃除当番」に例えられた、と振り返ります。
「例えば康子が掃除をやめてしまっていたらどうなるでしょう。康子は、かつての康子を悩ませる存在になってしまいます。そういうひとつの選択の違いで、立場がかわってしまう」
「どちらかが被害者でどちらかが加害者にはなりえない、という構造を理解することから始まるのかなと、僕は思っています。無意識に『あっち側』と『こっち側』という風に、派閥化してしまうのが、一番の問題なのだと」
「じゃあどうしたらーー」という質問に、武富さんは「でも、葛藤を消さないでほしいんです」。
「葛藤が苦しくて、『あっちが悪い』『こっちが悪い』と決めてしまうから、人との間に対立が生まれることになります。いま目いっぱいな人も、少し余裕ができたときでいいので、自分の周りにある関係を俯瞰的に考えてみてほしいのです」
康子のような思いをしている生徒に、「『鈴木先生』に触れてみてほしい」という武富さん。
「僕が体制を変えるのは現実的に難しいから、気持ちの部分でやわらげたい。それに、いっぱいいっぱいになっているときに、言葉を受け取ることは難しいことだと思います」
「そういう意味でも、作品があり、創作物をつくる自分の役割なんだと思っています」
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武富健治(たけとみ・けんじ)
漫画「鈴木先生」で、2007年の文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞を受賞。同作は、2011年にテレビ東京にてドラマ化(長谷川博己さん主演)、2013年にも映画が公開された。現在、漫画アクション(双葉社)にて、「古代戦士ハニワット」を連載中。
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