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「陣痛きたみたい」日本で産む外国人妊婦の現実 付き添った十月十日

異国で子どもを産み育てるというのは、どういうことでしょうか。いま、日本では約2万人の外国人女性が出産しています(人口動態調査、2023年)。外国人女性の妊婦健診と出産に付き添い、考えました。
「陣痛がきたみたい」
6月26日朝、筆者はスマホにインドネシア語のメッセージが届いているのに気づきました。
受信は1時間前。子どもたちの朝支度に追われてスマホを見ていなかった…!と頭が白くなりました。
送信者は東京に住むインドネシア人妊婦で、同国出身の夫は仕事で数日前から関西方面に行っており、不在でした。
筆者は妊娠初期から、彼女の妊婦健診に通訳として同行していました。近所の友人が車で病院に連れて行ったと聞き、とるものもとりあえず、電車に飛び乗りました。
病院に向かいながら「お産ボード」を見返しました。日本に暮らす外国人女性の産前産後を支援するNPO法人Mother'sTreeJapanが作成したボードで、出産で使う言葉がインドネシア語など12言語とイラスト付きで載っています。外国人妊婦と日本の医療従事者らが指さしでコミュニケーションを取れるもので、ネットで無料で公開されています。
「破水した……アイル・クトゥバン・ムレンベス」「いきんでいいですよ……アンダ・ボレ・メングジャン」「これから胎盤が出ます……」
筆者はインドネシアの大学に留学し、6年間暮らしていました。現地の新聞が読め、生活には支障がないインドネシア語を理解しているつもりでしたが、この数カ月、妊婦健診で聞くのは初めての言葉ばかりでした。
「羊水」「陣痛」「胎盤」「胎囊(のう)」
外国人妊婦の支援についての記事にネットでは「日本に暮らすなら日本語を学ぶべき」などの書き込みもありますが、たとえ日本語を学んでいたとしても、日常で使わないこうした言葉を理解するのは難しいと感じました。
そしてまさにいま出産、という平常心でいられない状態になると、筆者もせっかく勉強してきた「出産用語」が頭から吹っ飛ぶようでした。
妊婦の名前はウェニさん(32)。今回が二度目の出産です。観光業に従事する夫に呼び寄せられ、日本に移住しました。
来日当初はまだコロナ禍でした。日本語を学んで、友人を作って……という志もむなしく、どうしようかと考えていた矢先、第1子の妊娠が発覚しました。
まだ頼れる知人もいない状況。
それでも妊娠中は日本語が話せる夫が妊婦健診に同行して、無事に出産を迎えました。試練は長女が生まれた後に訪れました。
出産で骨盤を痛め、歩くこともままならない激痛に悩まされながら、慣れない赤ちゃんの世話。夫は休みが取りづらく、仕事に出かける時は心細くて毎回泣いていました。
インドネシアの家族や友人とビデオ通話をしても孤独感は薄れませんでした。「『産後ってそんなもんよ』と言われて、誰も私を理解してくれないんだとますます悲しくなりました」
生まれた国にあやかって日本風の名を付けた長女を抱きながら、誰に助けを求めて良いかも分からず、家にこもって泣く日々でした。
「信仰によってどうにか自分も赤ちゃんも傷つけずに持ちこたえていたけど、限界でした」とウェニさんは当時を振り返ります。
産後2カ月たったころ、来日直後にスーパーで知り合っていたインドネシア人から、連絡がありました。毎日泣いていると打ち明けると、すぐにMother'sTreeJapanのインドネシア人通訳スタッフ、ティアラさんとつなげてくれたそうです。
ティアラさんもまた、日本で出産し、2人の子を育てた〝先輩ママ〟でした。約20年前の当時は、産前産後の通訳サポートはありませんでしたが、代わりに「母のように良くしてくれる日本人」がいたそうです。「料理を作り、家に持って来てくれました」。そんな隣人の優しさがなによりの心の支えだったと言います。
今度はティアラさんが、同じようにウェニさんを支えました。家に様子を見に行ったり、食事を作りに行ったり。
Mother'sTreeJapanの事務局長坪野谷知美さんも、産後のマッサージをしながら話を聞いたりして、ウェニさんは孤立感から徐々に持ち直しました。
そして今回、二人目の妊娠。第1子の時に比べ、ティアラさんを始め近所にも友達ができ、地域の子育て支援サービスにも事前に登録するなど、準備を整えました。
ティアラさんが仕事の時は、筆者が〝新米〟通訳として妊婦健診に付き添いました。付き添いはボランティアで、妊婦に費用の負担はかかりません。
妊婦健診での検査の用語は、事前に頭に詰め込んで臨みましたが、実際には英語ができるウェニさんに医師が英語で説明して済むことが多かったです。筆者は、日本語での助産師面談などで、ウェニさんの気持ちを伝えることに専念しました。
第1子の時の孤独感とひどい腰痛のトラウマで、第2子の妊娠も不安が大きいこと。それを知った助産師は「あなたのことをしっかり理解したい」と語りかけてくれ、腰痛予防についても教えてくれて、ウェニさんの気持ちがほぐれました。
また、別の日の同行では、同意書の提出や出産にかかる費用の説明を通訳しました。
ちなみに日本人と同様に、妊娠は病気ではないため、費用は自己負担です。
妊婦健診については自治体から補助金が出ますが、ウェニさんたちも日本人と同様に暮らして税金を納めており、この補助が受けられます。
また夫が働く会社の健康保険組合から、扶養されている配偶者として、出産育児一時金を受け取ることができます。
ところが、日本独自の保険制度や「早期皮膚接触」など、出産独特の言葉を訳すのはなかなか困難。筆者がまごついていると、ウェニさんはさっとスマホをかざしてすぐにアプリで翻訳し、理解してくれました。「完璧ではないけど、理解の助けにはなる」
すごい。出る幕なし。ボランティア通訳がいる意味ってなんだろう……? 少し考えてしまいました。
筆者が付き添いのボランティアをしようと思ったきっかけは、自分の体験でした。インドネシアでデング熱にかかった時、近所の人たちが車を出して病院まで運んでくれ、友人たちが交代で病室に付き添ってくれました。そばに家族はいませんでしたが、孤独を感じなかった、その時の恩返しをしたいと思っていました。
Mother'sTreeJapanの面接では坪野谷さんに「お母さんたちに寄り添ってあげてほしい」と言われました。
医療現場にはプロの「医療通訳」もいますが、ほとんどの場合、自治体や医療機関の要請で派遣されるもの。
「お母さんたちの要請で、気持ちを伝えるための通訳が必要」と考えたMother'sTreeJapanが始めたのが「付き添いサービス」でした。
でも翻訳アプリの精度も上がった今、「通訳」としての役割ってなんだろうか、と自問していた筆者に、答えをくれたのはウェニさんでした。
「自動翻訳や、医師の英語では理解できないことも多い。だから誰かが付き添ってくれるのは心強いの」。ある日の健診の帰り道、そう話したウェニさんは、笑顔でこう言いました。「妊娠出産で、私たちに一番必要なのは『友達』だと思う」
さて、冒頭のウェニさん、第2子出産です。
結局、病院に駆け込んだ筆者は、家族ではないため分娩には立ち会えませんでした。でも、入院手続きを代わりに行って、ウェニさんを「がんばって」と送り出しました。
ティアラさんが「お産ボード」を渡すと、助産師さんにも「これがあれば大丈夫」と喜ばれました。
緊急帝王切開になりましたが、ウェニさんは1人で説明を受けて同意書を書き、無事、元気な男の子を産みました。
振り返ってみると、必要な時に車を出したり、心細い病院で隣にいたり、日本語の手続きを少し手伝ったり。できたことはほんの少しの助けなのかもしれません。
産後、ティアラさんと2人で会いに行くと、術後間もない中でも、ウェニさんは穏やかな顔で授乳していました。「今まで本当にありがとうね。赤ちゃん、かわいいね」と泣き笑いする顔には、もう不安の色はありませんでした。
これからが育児の本番。日本でこの先も暮らしていく母子が地域社会とつながるまで、孤立させないための支援は続きます。
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