感動
「妻が生きてたらきっと寄付した」 3万人癒やした「風の電話」の今
会えなくなった人に思いを運んでくれる「風の電話」を知っていますか。東日本大震災の被災地、岩手県大槌町の海を望む丘の上。白い電話ボックスがたたずんでいます。置いてあるのは黒電話。その電話線はつながっていません。老朽化して、倒壊寸前だった「風の電話」。立ち上がったのは、これまで「風の電話」に癒やされた人たちでした。
朝、中高生12人がバスで、大槌町にある佐々木格(いたる)さん(73)の英国風の庭にやってきました。みんなで古くなった電話ボックスを移動させ、千葉県佐倉市の大工、渡辺博さん(49)のトラックから降ろした真新しい電話ボックスを担ぎ込みます。
12人は、茨城県に事務局がある高校生以下の災害ボランティア団体「ピノキオクラブ」のメンバー。茨城県守谷市の中学3年・篠崎涼允さん(14)は「ご遺族のいやしの場がなくなるのはまずい、と思って参加しました」と言います。
「そっちをちょっと上げて、左」と彼らに指示していたのは、代表の元小学校教諭・松村雅生さん(67)。渡辺さんやこの電話ボックスを造った晶成産業(千葉市)の茅原占三社長(53)たちが金具で固定しました。
「風の電話」は、震災がきっかけでできたわけではありませんでした。
震災の2年前、庭師の佐々木格さんのいとこががんで死期が迫り、残される妻子と永遠につながるものを何か造れないか、と考えたのが始まり。
いとこの他界後、佐々木さんは中古の電話ボックスと黒電話を調達し、1000坪以上ある英国風の自庭に設置しました。周囲を「メモリアルガーデン」として整え、完成したのが偶然にも、2011年3月の東日本大震災直後になりました。
電話ボックスの中に掲げられた「風の電話の詩」の筆書きは、書家だったいとこの遺筆。モルヒネの投与で意識がもうろうとして何度も書き損じながら仕上げたそうです。
「風の電話」が新聞で紹介されると、震災や病気で家族や友人を失った人たちが世界中から訪れるようになりました。その数は、7年半で3万人近くにものぼります。
「○○ちゃん、元気ですか? 笑い声が聞こえたよ。 母頑張るからね」
「父さん、やっと話せるところに来たよ。時々、父さんの気配を感じていたけど、いつも私たちのこと気にかけてくれているんだね。ありがとう。残された母さんのことは最期まで大切にするよ」
「あなたを亡くしてから、なかなか心から泣けていなかった いろんな事をもっともっと話したかった でも頑張って生きようと思います」
電話の脇に置かれたノートには、全国からやって来た人たちがつづった、大切な人に届けたかった思いが残されています。
「電話で話すことで遺族の気持ちが整理されるようです」と佐々木さんは話します。
遺族以外にも、佐々木さんの庭は、子供たちの感性を育むために先生が連れてきたり、音楽家が集まってコンサートを開いたりと、「いやしの場」になっていきました。
しかし、木製の電話ボックスは、劣化が進んでいきました。もともと県内のパチンコ店内にあったのを譲り受けたもの。佐々木さんの庭は湿地で、潮風も強く、3年前には強風で電話ボックスが飛ばされたことも。その時は、震災で家族を失い、ここを訪れたことのある大工がかけつけて修理してくれましたが、その後も土台部分がどんどん腐っていき、いつ倒壊してもおかしくない状態になってしまいました。
佐々木さんは「これも天命か」と自然に任せようとも思いました。しかし、全国から訪問者はやみませんでした。「まだ必要とされているなら」と、腐食しないアルミ製の電話ボックスを探すことに。
メディアなどで呼びかけると、50件近い反響が来ました。5月には「まず応急修理を」と松村さんや渡辺さんが来てくれました。
修理の資材を買うお金は「ピノキオクラブ」で子どもたちが木工教室を開いた時に集めてくれました。
他にも「費用の足しに」と全国の団体や個人28件から支援金が集まり、100万円近くになりました。
震災や病気で家族を亡くし、風の電話に来たことがある人からも届きました。隣の釜石市の男性は「妻が生きていればきっと寄付した」と募金したそうです。
そして、千葉市の特注品専門の製作会社「晶成産業」が「無料で造りましょう」と申し出てくれました。近くの釜石市の大工はコンクリートで土台を造ってくれました。
佐々木さんは「みんなの気持ちを生かそう」と思い、電話ボックスは格安にしてもらい、製作・運搬に携わった人たちにもわずかの謝礼を払うことにしました。そして「ピノキオクラブ」の児童・生徒を庭に招待して組み立ててもらいました。
「ピノキオクラブ」は、松村さんが教え子を連れて東日本大震災の被災地にボランティアに行ったのがきっかけで2013年に結成され、今は約100人のメンバーがいます。全員高校生以下ですが、被災地で土砂撤去や掃除だけでなく、電動工具を操り、建物の修理や遊具造りなどもするクラフト集団です。
多くの児童や先生を亡くした宮城県石巻市の旧大川小には毎年訪れて清掃活動をしています。今年は電話ボックス設置の前日に大川小に立ち寄り、雨の中、線香台のペンキ塗りなどをして、夜に大槌町に着きました。電話ボックスの設置だけでなく、ペンキ塗りや庭の草刈りも手伝いました。
西日本豪雨災害の被災地に行く計画もあるといいます。
多くの人の善意が集まり、電話ボックスはきれいになりました。設置した日も早速、県内外から9人が電話をかけに来ました。
庭には、佐々木さんが3年かけて石を積んで造った図書館や、野外コンサートに使える広場など手作りの色んな施設があります。みなさんの訪れを、優しく待ってくれています。
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風の電話は、岩手県大槌町吉里々々(浪板)9-36-9の佐々木格さんの自宅庭にあります。
2019年春に三陸鉄道(JR東日本から移管)が開通するまでは、公共交通機関はバスしかありません。浪板駅下車後、「鯨山」に向かって坂道を10分ほど上ります。車では盛岡から約2時間半、釜石からは約30分です。
風の電話のある庭は「ベルガーディア鯨山」と名付けて無料で開放しています。でも、ご迷惑のないように、訪れる時には、佐々木さん宅( 電話0193-44-2544)か、HP(http://bell-gardia.jp/)にご連絡をお願いします。
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