連載
#3 金正男暗殺を追う
<金正男暗殺を追う>7カ月前の商談「古民家買わない?」収入源の謎
2017年2月に暗殺された金正男(キム・ジョンナム)氏が、ひた隠しにしていた秘密がある。親友にも明かさなかった「収入源」。北朝鮮から送金が途絶え、動静が監視されるなかで、どうやってお金を調達していたのか。それを隠し通さなければならない事情が、正男氏にはあったようだ。(朝日新聞国際報道部記者・乗京真知)
正男氏がビジネスの話を持ち出したのは、2016年7月17日。殺害される約7カ月前の夜だった。
「韓国にある古民家を買ってくれそうな人、いないかな?」
よく知る実業家に仲介をお願いした。古民家が正男氏のものなのか、知り合いに頼まれたものなのかは、言わなかった。
古民家は北朝鮮との国境に近い韓国北西部の島にあった。民話に出てきそうな築100年近い瓦ぶきの平屋は、古木が茂る庭や池に囲まれていた。4年ほど前に改装し、富裕層向けに1泊12万円ほどで貸し出していたという。
10代のころ欧州に渡った正男氏は、留学先で暮らしの豊かさを目の当たりにしたと言われている。留学から帰った後の1990年代には、父の故・金正日(キム・ジョンイル)総書記とともに、国内の農園や工場を視察して回ったという。
当時の状況について、正男氏は友人に「父とウナギの養殖場を見に行ったことがある。(運営がうまくいかない場合は)養殖場の責任者に死刑も含めた厳しい罰が科せられる」と話していた。
日本から強制退去処分を受けた2001年ごろからは、北朝鮮を離れ、北京やマカオで過ごすことが多くなった。国家ぐるみの資金洗浄や密輸に関わっていると、疑いの目を向けられた。
ただ、正男氏本人は、2011年1月の東京新聞の五味洋治氏のインタビューで「武器の販売とか麻薬の販売というのは噓です」と疑惑を否定している(五味氏の著書「父・金正日と私 金正男独占告白」より)。
このころまでは、金総書記や正男氏の後見人だった張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長の援助があったとみられている。
正男氏の生活が追い詰められたのは、その後だ。
2011年12月、金総書記が死去した。2013年12月には、張成沢氏が粛清された。「後ろ盾」を立て続けに失い、窮地に陥った。
正男氏に残されたのは、国を追われた張成沢氏の妻ら、親族とのつながりだった。親族は国外に「隠し資産」を持っていて、それを取り崩しながら生活していると言われてきた。
正男氏が親族にどれくらい頼っていたかは定かではないが、両者は北朝鮮当局の目が届きにくい欧州で落ち合っていた。当局に資産を没収される事態だけは避けたかったに違いない。
また親族のなかには、自らの才覚で不動産業を始めた者がいて、正男氏も起業を後押ししていた。監視をかいくぐり、資金を融通しながら、新しい生活基盤を探る——。正男氏が持ちかけた冒頭の商談は、そんな葛藤の一幕だったのかもしれない。
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【金正男氏と収入源】正男氏が北京やマカオで過ごすことが多かった2000年代は、金総書記や張成沢氏からの送金のほか、中国政府の援助を受けていたとみられている。張氏が東南アジアに持つ秘密資金の管理や武器・麻薬の密輸など非合法活動への関わりもうわさされたが、本人は口をつぐんできた。弟の金正恩(キム・ジョンウン)氏が指導者になって以降、正男氏がどうやって生計を立てていたかは謎だった。
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