コラム
客席へ飛び降りた姿に衝撃 西郷輝彦さんに聞く西城秀樹さんの思い出
西郷輝彦さんが、御三家と呼ばれた当時の思いや西城さんとの思い出について、一文を寄せてくれました。
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西郷輝彦さんが、御三家と呼ばれた当時の思いや西城さんとの思い出について、一文を寄せてくれました。
歌手の西城秀樹さんが亡くなって、あらためて注目された「御三家」。西城さんらは「新・御三家」で、その先輩には元祖の御三家がいました。その1人の西郷輝彦さんが、御三家と呼ばれた当時の思いや西城さんとの思い出について、一文を寄せてくれました。(朝日新聞校閲センター・坂上武司/ことばマガジン)
橋幸夫さんを初めて見たのはNHK紅白歌合戦のテレビの画面。当時、僕は鹿児島の中学生でした。
高校1年の時に家出をして、東京で受けたレッスンの練習曲は舟木一夫さんの「高校三年生」。歌謡界は橋さん、舟木さんの絶頂期でした。
そこに僕がデビューしてトリオが完成、「御三家」と呼ばれる時代が始まりました。とは言っても「御三家」なるグループを結成したわけではなく、3人が会うのは、暮れや正月番組、雑誌の表紙撮影くらいのものでした。
初めて3人がそろって食事をしたのが約30年後の全国ツアーでのことですから驚きです。
3人の中で、僕は永遠に年下の後輩でありますから「はいはい」と従っていればいいという気楽な立場なのかなと思いますが、もちろん歌う順番が来たら「俺が一番」みたいな負けん気は持っています。そういう点では永遠のライバルなのかな、と思います。
新・御三家の出現には(御三家の)3人ともさほど不安は感じていなかったと思いますが、郷ひろみさんはアイドル、野口五郎さんはミュージシャンと考えた時、亡くなった西城秀樹さんには、僕には忘れられない思い出があります。
ラジオの公開録音で地方に行った時のことです。ステージで歌っていた秀樹さんが間奏でいきなり上着を脱ぎ、客席に飛び降りたのです。僕は「おー、やるな!!」と思いました。
でも、歌い終わって袖に戻って来た秀樹に対し、横合いからマネジャーらしき人物が現れ、「何やってんだよ!! 上着を脱いだらくるくる回して客席投げて、それから飛び降りるんだよ!! 次ちゃんとやれよ!」と怒られていました。
このパフォーマンスは実は僕が「真夏のあらし」でやっていたアクション(裸にはならなかったけど……)とほぼ同じ。僕は全部自分で考えてやっていたけど、彼には振付師がいて、演出してくれる人がいる。僕はとてもショックでしたよ。
そのあとの僕の曲が「情熱」、秀樹の新曲が「情熱の嵐」……。「ああ時代が変わるんだな」と思った瞬間でした。
あとは「グループサウンズ」というもっと大きな波が押し寄せてきたので、(御三家の)みんなはのみ込まれていきました。でも、同時に、僕の中にも「芝居」という新しい世界が芽生えていて、迷いもなく身を投げて行くことができました。
「御三家」のみんなも今やそれぞれ55周年を迎えましたが、元気に頑張っています。自分もまだまだ頑張っていきたいですね。
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