コラム
「御三家」ってそもそもは… 亡くなった西城秀樹さんは新・御三家
あらためて「御三家」を紹介します。
【ことばをフカボリ:16】
歌手の西城秀樹さんが5月、63歳で亡くなりました。西城さんといえば「新・御三家」の1人。なのに職場の若い同僚は、誰が誰だかピンと来ないといいます。これはまずい……。「御三家」を根本から伝承しなければならない時代がきているようです。あらためて「御三家」を紹介します。(朝日新聞校閲センター・坂上武司/ことばマガジン)
「御三家」は、どの辞書にも尾張・紀伊・水戸の「徳川御三家」が由来とあります。
有名なのが、「この紋所が目に入らぬか」でおなじみの水戸光圀公の出身である水戸徳川家。水戸は代々「副将軍」の立場であり、将軍家から跡継ぎがいない時は尾張か紀伊の徳川家から将軍を出すという、ほかの親藩とは「別格」の扱いをされていました。
もともと「御三家」という呼び方をしていたわけではないといいますが、中京大の白根孝胤教授は「五代将軍綱吉の時代から『御三家』という言葉が使われるようになった」と説明します。
また、「もともと日本人は『3』が好きなんです」と話すのは、日本三大協会代表で放送作家の加瀬清志さんです。中国伝来の思想を背景に、日本は一対一の対決より三つのバランスによる「融和」で高め合うことを好む傾向にあるとのこと。
三種の神器、相撲の三役、野球の三冠王、はたまたミスタージャイアンツ長嶋茂雄さんの背番号「3」――。そして「日本3大夜景」など「3大○○」も日本人の大好物です。
「日本人は『おや、まあ、なるほど』と3回うなずいて納得する文化。だから3人や三つで売り出すことが多い」と加瀬さんは言います。
昭和歌謡の元祖「御三家」は、橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さんの3人のこと。その後に続いた西城さん、野口五郎さん、郷ひろみさんの3人が「新・御三家」。あくまで「御三家」は橋さん、舟木さん、西郷さんの3人だということをいま一度、心に深く刻んでおきたいところです。
「御三家」と呼ばれることを、元祖の3人はどう感じていたのでしょう。
「潮来笠」で最初にデビューした橋さんは「雑誌が作ったキャッチコピーでしたけど、うれしいことに一番先輩だった。お互い頑張れましたね」と振り返ります。
一方、詰め襟学生服姿がまぶしかった「高校三年生」でデビューした舟木さんは「三者三様に迷惑だったんじゃないでしょうか」とあくまでクールな硬派路線を貫きます。
2人を追いかけて「君だけを」でデビューした西郷さんは「僕は永遠の年下で、『はいはい』と従っていればいい気楽な立場。でも歌う時は一番だと思っている」と「星のフラメンコ」のリズムにあわせてノリノリです。
「御三家」はみな70歳を超えてもなお、芸能界の「別格」として君臨。全国各地で精力的に公演活動を続けています。そして、日本各地のスナックやカラオケ店には、「御三家」の歌を絶唱してお酒と自分に酔いしれる、「御三家」になりきった私たちがいます。
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