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遺志は継がれるか 翁長氏、抗い抜いた晩年 急逝した沖縄知事の覚悟
沖縄県の翁長雄志知事が8月8日に膵がんのため67歳で亡くなりました。私は朝日新聞那覇総局に2010~11年にいた頃、取材で接しました。ご冥福を祈りつつ、米軍基地問題で日本政府に抗い抜くに至った晩年を振り返ります。(朝日新聞専門記者・藤田直央)
沖縄出身の歌手の安室奈美恵さんは9日、「突然の訃報に大変驚いております」としてこんなコメントを出しました。
「沖縄の事を考え、沖縄のために尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」
翁長氏は2000年から4度当選を重ねた那覇市長当時から県民に人気があり、14年に知事になると広い支持を背に、米軍普天間飛行場の県内移設を進める安倍内閣と対立。それ故にネット上で批判されるなど、様々な意味で現代のシンボルになった政治家でした。
ただ、翁長氏について書く時に難しいのは、在日米軍基地が集中する沖縄の事情も絡んだその政治経歴をどう考えるかです。
沖縄で「革新」と言えば、「基地のない島」という理想を掲げ、日本の安全保障に沖縄の米軍基地は不可欠だとする日本政府に厳しく臨む立場です。一方で「保守」は日本政府の主張をある程度認めつつ協力し、基地負担軽減や振興を進めようとする立場です。
かつて自民党沖縄県連で幹事長を務めた翁長氏は「保守」の位置にいたと言えますが、それが晩年には「革新」のような振る舞いになります。翁長氏の芯はどこにあり、それは変化しているのか。いつも悩ましいテーマでした。
沖縄の政治や日本政府との関係を考える時、いろんなものが見えてくるのは知事選と、そこで常に問われる米軍基地問題です。ここを軸に考えてみます。
私が翁長氏に初めて接したのは2010年の知事選でした。那覇市長で元自民党県連幹事長、そして再選を目指す保守系の仲井真弘多知事を支える選挙対策本部長でした。
知事選の争点は今と変わらず、宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設問題でした。仲井真氏は日米両政府が合意した名護市辺野古への「県内」移設を条件つきで認めていましたが、翁長氏の求めで「県外」へと方針転換しました。
革新系の候補が「県外」を訴えていたので、これで普天間移設問題は争点としては薄れ、仲井真氏は再選を果たしました。私は当時、「翁長氏は名参謀だったけれど自身も『保守』のはずだし、今後の仲井真県政と日本政府の関係をどう考えているんだろう」と思ったものです。
ただ、仲井真氏は知事2期目のうちにまた「県内」へと傾き、翁長氏との関係が徐々に悪化します。前回の2014年の知事選で、翁長氏は革新勢力を中心とする「オール沖縄」という立場で立候補し、仲井真氏を破って初当選。県民への公約として、辺野古移設を進める日本政府に「県外」を求め続け、今に至るわけです。
私は2011年に東京勤務に戻った後、沖縄に関わる日本政府の人たちに会うと「翁長評」を聞いてみました。元は「保守」と思われているだけに大方の反応は複雑で、疑心暗鬼でした。辺野古移設に長年携わる防衛省幹部は、「オール沖縄というのは目くらましだ。より強硬な立ち位置から基地問題や振興でこちらの尻をたたく戦術だろう。したたかな男だ」と語っていました。
翁長氏もそのうち仲井真氏のように日本政府に歩み寄るのだろうか……。もやが晴れないうちに2016年、沖縄県で当時20歳の女性が米軍属に殺される事件が起きました。那覇市の公園で開かれた抗議の県民大会の取材で5年ぶりに沖縄を訪れた時、旧知の県幹部を訪ね、思い切って先の日本政府の中の「翁長評」をぶつけてみました。憤懣やるかたない反応が返ってきました。
「県外移設は翁長さんの信念、知事選で示された民意ですよ。落としどころを探るという話じゃない。県民は基地問題は人権問題だと目覚めたんです。何でこれだけ言ってるのにわかってくれないのか……」
6月の強い日差しの中、主催者発表で6万5千人が集まった県民大会の会場に翁長氏が現れました。他の来賓の時とは違って年配の人たちも日傘を置いて立ち上がり、さーっと拍手の波が広がりました。
壇上での翁長氏の挨拶は、1995年にやはり県内で起きた米兵による少女暴行事件に触れ、今回の事件を悔やむことから始まりました。
「21年前のあの痛ましい事件を受けての県民大会で、二度とこのようなことを繰り返さないと誓いながら、政治の仕組みを変えることができなかったことは、政治家として知事として痛恨の極みであり、大変申し訳なく思っています」
そして、こう結びました。
「政府は県民の怒りが限界に達しつつあることを理解すべきです。私は県民の先頭に立って、日米地位協定の抜本的な見直し、基地の整理縮小、新辺野古基地の建設阻止に取り組む不退転の決意を表明します」
そこで拍手に包まれていたのは明らかに、県民が幸せに暮らせる沖縄の将来のためには、米軍基地問題で今の日本政府と妥協点を探る「保守」の立場でいることはできないと覚悟した政治家でした。
翁長氏の逝去に伴う沖縄県知事選は9月にも行われます。自民党が支援する保守系の候補者は7月に出馬の意向を表明しました。日本政府が辺野古移設を着々と進める中で、翁長氏の遺志を明確に継ぐ候補者が現れるかどうかが、知事選に向けた最大の焦点と言えるでしょう。
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