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さすが京都…「八ッ橋」320年前の起源めぐり法廷闘争 法要も別々

「井筒八ッ橋本舗」と「聖護院八ッ橋総本店」。創業年をめぐって訴訟に発展している
「井筒八ッ橋本舗」と「聖護院八ッ橋総本店」。創業年をめぐって訴訟に発展している

目次

 京都銘菓「八ッ橋」の老舗大手「井筒八ッ橋本舗」が、ライバル社の「聖護院八ッ橋総本店」に、創業を元禄2年(1689年)とする表示の使用禁止と、600万円の損害賠償を求める裁判を起こしました。8月22日、京都地裁で審理が始まります。広く知られる老舗の両社はどんな主張、立証をし、裁判所は八ッ橋のルーツや320年以上前の創業年についてどんな判断をするのでしょうか。(朝日新聞京都総局記者・徳永猛城)

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「客や取引先を誤認させている」

 井筒が裁判所に提出した訴状を見てみましょう。

 聖護院はのれんや看板などに、「創業元禄二年」「since1689」と記しているのですが、当時、八ッ橋が作られていたとする文献はなく、八ッ橋を320年以上にわたり作っているように客や取引先を誤認させていると井筒は主張しています。

 聖護院が1969年、創業の由来を同業者に説明した文書では「正確な創業年は『不詳』」とされていたとも指摘しました。

聖護院の商品
聖護院の商品
紛争の元となった記述「since1689」
紛争の元となった記述「since1689」

双方の主張は?

 井筒は提訴した6月4日、6代目の津田佐兵衛(さへえ)代表取締役グループオーナー(94)や、代理人の折田泰宏弁護士らが記者会見を開きました。

 津田オーナーは「創業年がでたらめだ。業界全体への影響が大きく、やめてもらいたい」と述べました。その井筒は文化2年(1805年)創業といいます。

 井筒によると、聖護院は10年ほど前から創業年を強調した表示を開始。業界団体「京名菓八ッ橋工業協同組合」が昨年5月、聖護院に根拠のない表示の中止を求めて京都簡裁に調停を申し立てましたが、聖護院は「民事紛争に該当しない」と主張し、調停は不成立に終わったそうです。

 裁判所に訴えられた聖護院は「提訴は驚くばかり。対応を検討する」とコメントしています。

聖護院八ッ橋総本店の本店=京都市左京区
聖護院八ッ橋総本店の本店=京都市左京区

そもそもどうやって生まれた?

 八ッ橋は、江戸初期に活躍した近世箏曲の祖・八橋検校(やつはしけんぎょう)(1614〜1685)をしのび琴の形状に似せたとする説や、平安時代の歌人・在原業平が詠んだカキツバタの舞台とされる無量寿寺(むりょうじゅじ)(愛知県知立市八橋町)の板橋にちなむ説があります。

 米粉や砂糖、ニッキが材料で、板状にのばして焼いて作るのが八ッ橋です。現在、京都市内では十数社が製造・販売し、京都を代表する土産の一つとなっています。

 いまでは、昭和になって誕生したあんが入っていて、焼かない「生八ッ橋」のほうが人気かもしれません。

法要も別々に

 井筒と聖護院は6月12日、それぞれが八橋検校をしのび、334回忌の法要を執り行いました。

 井筒は午前、京都市左京区にある金戒光明寺の塔頭(たっちゅう)・常光院で開催しました。ここには八橋検校の墓があり、検校に感謝する「八橋祭」には約70人が出席。津田オーナーは「ずっと八橋検校にお世話になって感謝の法要をしている。京都の商人の信用を高めていきたい」と語りました。

 その日午後、近くの法然院では聖護院が「八橋忌」を開き、同業者や取引先など約190人が出席しました。鈴鹿且久(かつひさ)・代表取締役社長(69)は「みなさまには心配をおかけして心からおわび申し上げる。色々な問題がある。検校様が一番お困りになっている気がする」とあいさつしました。

 現代の裁判所が、江戸時代に起源を持つとされる銘菓の由来にどう決着をつけるのか。訴えられた側の聖護院の主張と審理の行方は。8月22日、京都地裁で第1回口頭弁論が開かれます。

【写真左】聖護院による八橋忌で舞を奉納する歌舞伎俳優の尾上右近さん=京都市左京区の法然院、【写真右】井筒による八橋祭であいさつする津田佐兵衛・代表取締役グループオーナー=京都市左京区の金戒光明寺常光院
【写真左】聖護院による八橋忌で舞を奉納する歌舞伎俳優の尾上右近さん=京都市左京区の法然院、【写真右】井筒による八橋祭であいさつする津田佐兵衛・代表取締役グループオーナー=京都市左京区の金戒光明寺常光院

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