連載
不登校だった映画監督が救われた「あの名作」 苦しんだ他人の評価
集団になじめない、思うような結果が出せない……生きづらさを感じた時、どう乗り越えればいいのでしょうか? 映画監督の太田信吾さん(32)は、高校の一時期、学校に行っていませんでした。その時、部屋で見続けていたのは大好きな映画。つらい状況から離れたことで、映画監督になるきっかけを得た太田さんは「他人との比較をしていませんか?」と問いかけます。生きづらさとのつきあい方を、教えてもらいました。
太田さんはこれまで、自死した友人の生涯を追った「わたしたちに許された特別な時間の終わり」(2013年)や、大阪・西成の若者の姿を描いた「解放区」(2014年)などの作品をつくってきました。作品の中に、役者や撮影スタッフとのやりとりなど制作過程を織り交ぜる作風として知られ、映画の他にもテレビ番組やミュージックビデオなども手がけています。
そんな太田さんが映画にはまったのは高校2年のころ。希望していた進学校に入学したものの、「何がやりたいかわからなくなり」、学校に行く頻度が次第に減っていきました。
映画好きの両親の影響もあり、学校に行かない間は部屋のカーテンを閉め切り、片っ端から映画をみたといいます。映画をみるだけでなく、映画を撮るために必要な勉強をしようと、脚本をイメージし、みた作品の文字起こしをしたりしていました。
学校に行くようになっても、クラスメートとは共通の話題がなく、孤独を感じていました。しかし、自宅に帰り、ネット掲示板で映画の感想を書き込んだりして意見交換をしていました。「孤独を抱えずに済んだのは映画という軸があったからかもしれない」
その時期、最も印象深い作品が、河瀬直美監督「萌の朱雀」。撮影されたのは過疎が進む奈良の山村で、出演しているのは俳優ではなく方言交じりの現地の人たちだったことが強く記憶に残っているといいます。
「知らない場所がある、ということに好奇心をそそられ、旅をしたような、広い世界をみたような気分になりました」
そして、早稲田大学に進学後、映画を撮り始め、現在にいたります。
太田さんが考える「生きづらさ」の正体は、「他人との比較」だといいます。「他人と比較して、『もっとこうしなきゃ』と思うことが生きづらさにつながっている」と話します。
「他人との比較」には、作品を撮る際にも苦しめられた経験があるといいます。
「撮った映画がなかなか評価されなかった頃を振り返ると、自分を出せていなかったし、どこかでブレーキをかけて、思いを出し切れていなかった。体裁をととのえることを大事にし、型にはまっていた」と話します。
太田さんが映画制作において、「型にはまる」という呪縛から解かれたのは、大学4年の卒業制作のとき。長野県で合宿しながら撮影したフィクション作品を撮る過程で、様々なトラブルが起こりました。
ヒロインの女性を巡る恋愛のもつれ、合宿先の民家での心霊現象……。そのトラブルを「異質なものとして排除してしまった」と後悔しているといいます。
「撮影現場での出来事で、フィクションが壊れる瞬間がある。どのような操作がはたらいてその芝居がうまれたのかをみられるようにしたい」と、太田さんは作品の中に、製作過程を織り交ぜる作品づくりをするようになり、現在でも太田さんの作品はその表現方法を取り入れています。
「学校生活でも、テストの点数が悪いことなど『型にはまれないこと』がコンプレックスになっていくと思う。でも、自分は自分でいいんです。自分なりにステップアップしていけば、それでいいし、時間をかけてやりたいことを見つけてほしい」と話しています。
最後に、太田さんから「生きづらさ」を抱える10代へのメッセージをいただきました。
「私自身、これまでの人生で2度ほど人生に絶望したことがあります。一度は失恋、もう一度は将来に悩み。実際に何か行動に移すことはありませんでしたが、今はそれで良かったと心底、思っています」
「映画という表現手段が見つかり、自分の思いをその中に込めています。ただ叫んでも見てくださる人には伝わらないので、そこには自分の生々しい思いにスパイスを加える、表現の仕方に工夫や試行錯誤、修練が必要で、日々試行錯誤しています」
「自分にうそをつかず思いを込めた作品は、自然と独り歩きして誰かとつながることができると今は身をもって感じています。作品を作ったことで、上映する度に色んな国に行ったり、旅するようになり、自然と視野が広がるようになりました」
「日本社会の価値観が全てではないと思います。もし今の環境に『生きづらさ』を感じていて、どうしようもなくつらい、という状況の人がいたら、つらい状況から離れる、旅をする、というのも一つの手だと思います。旅をするお金がない人は、かつての僕みたいに、映画を見て映画の世界を旅するのも良いかもしれません。何か自分にとっての可能性が開けるかもしれませんし、それは『逃げ』ではないと思います」
「僕にとって今、世界と繋がるツールは映画や芝居、ドキュメンタリーとなっていますが、旅をする中で出会った『課題』に対する解決方法を考えると、自然と自分に何ができるか? というアイデアが湧くかもしれません」
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