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「困ったちゃん」でも仲良くするべき? 哲学者と一緒に考えてみた

「公共哲学」が専門の小川仁志・山口大准教授
「公共哲学」が専門の小川仁志・山口大准教授

目次

 自分勝手で、話が通じず、時には周りを傷つけてしまう。そんな「困ったちゃん」であっても、仲間に入れてあげて、付き合っていかないといけないんでしょうか――。新聞の投書欄に寄せられた疑問は、ぶっちゃけ話風に言い換えるとこんな内容でした。思わぬ反響が集まったこの疑問を授業で取り上げ作文にまとめた高校も。「公共哲学」が専門の小川仁志・山口大准教授と一緒に読みながら、バーチャルな「白熱授業」を展開してもらいました。(朝日新聞記者・吉田晋)

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傷つける人も「みんな」?

 

記者

最初に先生、『公共哲学』って何ですか?

 

小川准教授

自分と社会をどうつなぐか、公共の場でどう振る舞うかを、本質に立ち返って考え抜く学問です

 

記者

おおっ、今回のテーマとぴったりな感じがします。では、元の投稿の要約をまず紹介させてください
みんな違ってみんないい、という言葉がありますが、人を傷つけるようなことをする人も『みんな』に入るのでしょうか。そういう人は含まれないとして排除するか、それとも個性として認めて受け入れるか、どちらが正しいのでしょうか
東京都の男子高校生の質問

古代ギリシャから議論

 

小川准教授

なるほど。実は『寛容』と『排除』は古代ギリシャ時代から議論されてきたテーマです

 

小川准教授

理想は一人一人の自由を完全に認める寛容の方だと思うのですが、しかし最初に確認しないといけないのは、寛容も一つの立場であって、唯一絶対の原理ではない

 

小川准教授

また、他者を傷つける自由も認めてしまうと共同体の維持に関わりますから、現実の社会では排除も許されてきました

 

記者

じゃあ、排除が正解ですか?

 

小川准教授

答えを急いではいけません。何を排除するか、どう排除するか、それを誰がどう決めるか、という問題があります。高校生たちの作文を読みながら考えてみましょう
古代ギリシャの時代から議論されてきた「排除」 ※写真はイメージです
古代ギリシャの時代から議論されてきた「排除」 ※写真はイメージです 出典:https://pixta.jp/

「誰しも他人を傷つけることがある」

 

記者

今回、大阪市の私立清風高校3年の文系2クラスで、先の投稿を踏まえた作文が宿題に出されました。ほぼ全員の65人が意見を書き、投稿欄に送ってくれました。これです

 

小川准教授

(作文の束をしばし熟読)ではまず、寛容に近い立場の意見から参りましょう
どんな人にも必ず人権というものがある
他人を傷つけるという理由でその人を排除するのは差別だと思う

 

小川准教授

みなさん、個性を認めるとか人権を守るとか、いろいろな言葉を使っていますが、要は人として受け入れるべきだという発想です

 

小川准教授

この中に、重要な点に着目した投稿がいくつかありました。たとえばこれとこれ、読んでみてください
人には悪い面もあれば良い面もある
他人を傷つけるような人にも愛し愛される家族がいるのだから、レッテルを貼らずに相手を見るべき
誰しも他人を傷つけることがある。大切なのはどんな形で反省するかだ

「何らかの排除は不可避」

 

小川准教授

『人間は同時に多面的な要素を持っている、また時間的に変わりうる』という指摘です

 

小川准教授

例えば、クラスで誰かをケガさせた子がいるとする。危険な人だとして全否定されがちです

 

小川准教授

でも、『あの子は良い面もある』『昔は優しい子だった』『将来良い人になるかもしれない』、そう考えれば排除という行為に歯止めがかかるのではないか。あるいは歯止めをかけるべきだ、という意見です

 

記者

排除に歯止め、ですか

 

小川准教授

私は、共同体において何らかの排除は不可避だと思っています

 

小川准教授

ただ、いま民主主義と私たちが思っているものは、多数者が少数者を排除する、あるいは排除をちらつかせて強引に説得する危険性をはらんでいます

 

小川准教授

だから、排除の中身や手続きを徹底的に突き詰めて考える必要があります。どう考えるかというと、自分がどういう共同体をつくりたいか。最初の質問に立ち返るなら、『みんな』をどう定義するかです

 

小川准教授

1回でも間違ったらもう一切仲間に入れない、そんな『完璧な人クラブ』にしたいですか?

 

記者

え~っ、それは勘弁。私、真っ先に失格です
小川さんは「民主主義と私たちが思っているものは、多数者が少数者を排除する」危険があると指摘する ※画像はイメージです
小川さんは「民主主義と私たちが思っているものは、多数者が少数者を排除する」危険があると指摘する ※画像はイメージです 出典:https://pixta.jp/

「個性とは何でも許されるものではない」

 

小川准教授

人間の不完全な面や多面性に目を向けるなら、それを前提にどういう集団をつくろうとしているのか。そう考えると、排除のあり方はおのずと限定されていきますよね

 

小川准教授

例えば、物を持つと粗暴になる人の場合、出入り禁止にしないで物を持たせない、という方法があり得るかもしれない。排除というより、受け入れ方と言ってもいい

 

記者

でも、生徒たちの中には『被害者のことを考えたら、人を傷つけるような人は尊重するに値しない』という意見もあります。いわば『排除派』ですかね

 

小川准教授

こちらの立場の生徒たちは、『寛容派』に向けて、『個性として受け入れろというけれど、個性とは何かがしっかり議論できていないんじゃないか』と指摘していますね

 

小川准教授

個性とは何でも許されるものではない、という発想です

「共同体の側にも問題はないか」

 

記者

代表的なものは、『個性とは、人を傷つけないという最低限度のルールを守った上で許される個人の自由だ』『だから人に迷惑をかける人は排除されるべきだ』という意見ですね

 

小川准教授

それはその通りなんだけれども、同時に、自分たちが属している集団にも疑問を向けてみないといけない

 

小川准教授

『共同体に合わないからこの個性はだめだ』と切り捨ててしまうのではなく、共同体の側にも問題がないかどうか

 

記者

それって、学校の部活なんかでもありますよね。昔からのナンセンスな練習法が幅をきかせていて、疑問を口にしたら先輩のシゴキに遭うとか

 

小川准教授

そうなんですよ。排除する側の姿勢として、問題のある個性を排除するというなら自分たち自身も公平に審査しないといけない

 

小川准教授

『人を傷つける』のは、一見明らかな排除の対象になりそうですが、それでさえ待てよ、と吟味する必要がある
排除を考える時、小川さんは、排除しようとする共同体の側にも問題がないかどうか、考えるべきだと言う ※画像はイメージです
排除を考える時、小川さんは、排除しようとする共同体の側にも問題がないかどうか、考えるべきだと言う ※画像はイメージです 出典:https://pixta.jp/

「行為だけはやめてもらう」

 

記者

こんな意見もありますよ
人を傷つける行為のみを否定し、その種となる心情は理解すべきだ

 

小川准教授

排除の対象は『行為』である、と。本人の考え方はどうであっても、実質的に迷惑をかけないように行為だけはやめてもらうわけです

 

小川准教授

おそらく現実の社会はこれなんだと思います。『思想』『内面』まで踏み込むのは、慎重でなければなりませんからね

 

記者

戦前の思想統制みたいになっちゃ困ります

「開かれた態度」持てるか

 

小川准教授

ただ、『行為』と『思想』の間の領域がありそうですね。例えば差別や偏見は、そうした態度を生み出す世の中の空気というものがあるのではないでしょうか

 

記者

ネトウヨとか?

 

小川准教授

差別を助長する空気をつくっているのは確かですよね。だからといってネトウヨ排除というのは危険ですが、議論の対象にすることは大事です

 

小川准教授

その際、必要なのは『開かれた議論』。自分も態度を変えうるという姿勢で話し合うことです

 

記者

それ、生徒の作文にもありました
まず考えるべきは、他人を傷つける人を自分が受け入れるべきか否かではなく、その人にどうやって受け入れてもらうか

 

小川准教授

それこそ『開かれた態度』です

 

小川准教授

そもそも気になっていたのですが、最初の高校生の投稿記事に『人を傷つける人も認めるべきか』という見出しがついていました。『認めるべきか』というのは『自分たちは正しく、認める権利がある』という立場ですね

 

記者

すみません、見出しを付けたのは編集部です。態度が閉じていました、反省します

 

小川准教授

(笑)付け直すなら『人を傷つける人をどう受け入れるか』という感じになるんでしょうね

「正しい」って何だ?

 

記者

いま読んだ作文は次のような文章で結んでありました
何が正しいのか両者が共に考えながら理解を深めるのが理想の形

 

小川准教授

そう。『正しい』って何だ、というのは大きな問いです。『なぜ人を殺してはいけないのか』という設問も、共同体を前提にしないのであれば簡単に答えは出ない

 

小川准教授

共同体がなくなっては困るから、共同体においてはダメというだけなんです
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いも、簡単に答えは出ないという ※画像はイメージです
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いも、簡単に答えは出ないという ※画像はイメージです 出典:https://pixta.jp/

対話は共同社会のメンバーシップ料

 

記者

人を批判する前に自分を疑えと。でも『困ったちゃん』のために、開かれた態度で、彼や彼女とひざ突き合わせて対話する。これって疲れますよね

 

小川准教授

学校でも職場でも、大変だから放置しているのがほとんどでしょう。その結果、不満が爆発したり、強制排除しようとしてトラブルになったり、そうして初めてしぶしぶ議論の席につくんです

 

小川准教授

そうなってからの労力より、それを防ぐ方がよっぽどラクだし傷を負わずに済むのではないでしょうか

 

小川准教授

出たり入ったりを簡単に選べない集団、例えば地域社会や学校、会社なんかの場合は、一層必要になってくることだと思います

 

記者

では、対話のポイントを教えてください

 

小川准教授

集団の目的を確認し、それに照らして彼や彼女の行動がどうなのか、受け入れ方をどうするか

 

小川准教授

この労力は、共同社会を営む以上、そこに属するためのメンバーシップ料みたいなものだと思います

取材を終えて……

 「困ったちゃん」に出くわした時、仲間と結託して排除したこと……実はあります。でも心はささくれ立つし、胸に手を当てると自分にも困ったところはあるし、単純に排除して済むものではないと感じていました。

 どんな心構えで対処すればいいか、小川先生のお話をおさらいするとーー。

(1)集団生活では一定の排除は避けられないと心得る
(2)ここで「排除」を「受け入れ方」と言い換えて一呼吸置く
(3)自分たちはどのような集団を目指すのか、まず確認する
(4)人間には善悪いろいろな面があると思えば「寛容」に近づく
(5)集団の目的の邪魔になる行為・態度について、本人と話し合う
(6)多数派に属する自分たちの側にも問題がないか、疑ってみる
(7)自分も態度を変えうるという「開かれた姿勢」で解決策を話し合う

 これでスムーズな人間関係が手に入れば、めでたしめでたし。「開かれた姿勢」はあらゆる議論の場で応用可能なので、今回のインタビューで一番の収穫だと思いました。

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