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名古屋城「石垣にビール瓶」の思い出 地味ないたずら?驚きの答え
「最も魅力がない街」などと言われてきた名古屋。「名古屋城=金のシャチホコ」というイメージに世の中は支配されていますが、ほかにも隠れた見どころがあったことをご存じでしょうか。それは石垣にささったビール瓶。建築中にビールが飲まれていた証拠? いまさらですが、謎に迫りました。
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「最も魅力がない街」などと言われてきた名古屋。「名古屋城=金のシャチホコ」というイメージに世の中は支配されていますが、ほかにも隠れた見どころがあったことをご存じでしょうか。それは石垣にささったビール瓶。建築中にビールが飲まれていた証拠? いまさらですが、謎に迫りました。
「最も魅力がない街」などと言われてきた名古屋。過去に赴任していた記者としては悔しい話ですが、今も思い出すのが石垣にささった「ビール瓶」です。そこにあるはずのないもの・オーパーツ。その謎を記事で紹介したところ、予想以上に注目されて、名古屋に「恩返し」できた気持ちになりました。東京にいる今も時折、思い出すあの「ビール瓶」。まだささっているんでしょうか? 近況を尋ねてみました。(朝日新聞東京社会部・岡戸佑樹、デジタル編集部・影山遼)
記者(=岡戸)がビール瓶の存在に気づいたのは2014年春、名古屋に単身赴任していた時のことです。休みの日に、仕事の合間に、と暇さえあればよく訪ねていたのが名古屋城でした。
内堀沿いの歩道を歩きがてら、休憩しつつスマホをいじっていると、名古屋城の瓶を取り上げたブログを偶然にも見つけました。
「天守閣を築いた加藤清正が飲んだものか?」
ブログに書かれていたことに興味を持ち、「ほんとかよ」とも思いつつ、探し始めました
目を凝らすこと20分ほど。ありました、ありました。天守閣の北側の石垣に茶色い瓶が4本ささっていたのです。
上下に連なったり、石の陰に隠れるようだったり。見慣れた茶色い瓶ですが、その配置からは意図を読み取ることができません。ますます謎が深まります。
熊本市から来た男性会社員の推理は「誰かのいたずらでしょうか」。ただ、いたずらにしては、石垣の高さは約20メートルもあります。
さらに、歩道から石垣までは約10メートル。手間のかかるわりに地味ないたずらです。一体誰が何のために、という思いばかりが募ります。考えていてもらちが明きません。
ということで、城を管理する名古屋市の総合事務所に聞きました。すると、謎は驚くほどあっさりと解けました。
瓶がさされた理由は単純でした。それは「石垣のゆがみを知るため」。市が10年以上前にさしたものだといいます。
石垣は内側の土がゆがんだり、基礎工事に問題があったりすると、緩んで石がせり出す可能性があります。その際に押し出される瓶を観察し、石垣の変化を確認していたというのです。ちなみに、光波の反射で測量するようになったことなどから瓶はその役目を終えている、とのことでした。
さっそく原稿にしました。「これはニュースなのだろうか」と戸惑う同僚記者を尻目に、記事は静かに話題となり、テレビや雑誌でも取り上げられました。
そんなビール瓶ですが、現在はもう撤去されてしまったといいます。学芸員の木村有作さんは「古き良き時代のアナログ的な観察方法。当時の人の知恵です。悪い行為ではないですが、今後やることはないでしょう」と優しく教えてくれました。
東京に転勤してからも名古屋のニュースに触れると頭に浮かぶのは、あのビール瓶です。台湾ラーメンでも、あんかけスパでも、イケメンゴリラのシャバーニでもありません。
記事の掲載後に「意外な名古屋城の見どころ」とフィーチャーしてくれるサイトもあり、名古屋にちょっとだけ「恩返し」ができたのではないかと勝手に自負しております。
名古屋に小さな楽しみがあったことを覚えていていただければ嬉しいです。
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