お金と仕事
やってみたら案外いけた…着物生活を貫く男性に学ぶ「ささいな勇気」
とかく周囲の視線を気にしがちな日本の社会ですが「まわりから、浮くかな?」と思っていたことも、やってみたら、案外、抵抗なくできるものです。神奈川県に住んでいる外資系会社員の田中達彦さん(51)は、毎日着物で出勤しています。IT系の技術者で、呉服業や観光業などとは無縁の生活。「周りの目」が気になった時期もありましたが、日々のおしゃれを楽しんでいます。(朝日新聞記者・原知恵子)
久留米がすりの着物に市松模様の羽織、ネコ柄の足袋、下駄、手には風呂敷。2月中旬、金曜夕方の品川駅。スーツ姿の人たちが往来するかいわいで、田中さんの装いは人目を引いていました。
「品川でも1日1人は着物の方を見かけますが、9割9分女性ですからね」と田中さん。珍しがられるのは慣れた様子です。
田中さんは、2011年の終わりごろから徐々に着物出勤を始めました。2012年の春から夏にかけ、それが「ほぼ毎日」に。内勤はもちろん、外勤や出張のときも着物だそうです。
着物というと、結婚式や成人式など「晴れ着」を思い浮かべる方も多いでしょう。でも、田中さんが主に着用するのは木綿素材の着物です。かつての庶民の日常着。自宅で洗濯できます。
予算は1着あたり「仕立て代込みで3万円台」。半襟には、手芸店で気に入った数百円の布を使うこともあります。最近では、1万円台で購入した木綿の反物を妻が仕立てることも多いそうです。
実家に日常的に着物を着る人はいませんでした。茶道のような「和のお稽古」のたしなみもありません。20代ごろから花火大会で浴衣を着たり、40歳ごろからはパーティー用に購入した正絹の着物を年に1、2回、ピアノコンサートといった「特別なときに着たりする程度」だったそうです。
大きく変わったのは、妻の影響でした。
2011年ごろから妻が日ごろから着物を着るようになり、「一緒にいる自分が洋服では釣り合わない」と感じました。いざ着始めると、「男着物は着方も簡単だし、半襟を工夫するだけで『おっ』となるし」。
着物のおしゃれに開眼しました。半襟や足袋にインパクトある色柄を採り入れて「遊ぶ」のがお気に入りです。
やがてオフィスでも、セミナーで人前に立つときなど「特別な日」に着用するように。自然な流れで「業務に支障はないし、ふだんから着物で会社に行ってもいいのでは」と思うようになったそうです。
とはいえ、当初は「周囲の目」が気がかりでした。ですが、注意されるのも覚悟で実行してみると、同僚にはすんなり受け入れられ、「ダイバーシティー(多様性)だね」と言う役員もいました。
外部の人から「おしかり」を受けたこともありません。それどころか、着物を自重してスーツで訪問したら「着物じゃないんですか……」とがっかりされ、「次は一番派手な着物で来てください」と言われたこともありました。
初対面の相手から「なぜ?」と聞かれることは多々あるそうですが、「3回も会えば『そういうもの』と思ってもらえる。そうなればもう楽ですよ」。重要なのは「最初の一歩を踏み出す勇気」のようです。
こんなメリットもあります。顔をすぐに覚えてもらえたり、街で話しかけられたり、外国人から記念撮影を求められたり……。着物だからこそ起こるハプニングも楽しんでいます。
海外では特に欧州の方からの反応がよく、フランス旅行中にヴェルサイユ宮殿で記念写真を求める人で行列ができたことは印象的だった、と振り返ります。
デメリットは……。「太っちゃうんですよ。帯だと、ベルトの穴みたいに、はっきりしたものがないから」。
夏には「暑くない?」、冬には「寒くない?」とよく聞かれるそうですが、麻やウールなど季節にあった素材や防寒アイテムを用いれば快適。ただ、障子やふすまのような引き戸とは異なり、開き戸だと着物の袖が引っかかりやすいため、注意が必要とか。
着物のイメージが定着した今では「逆に洋服を着て出社する勇気がない」と言います。スーツを着るのは、ドレスコードの指定がある場合を除き、謝罪と弔事のときだけだそうです。
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