連載
学校逃げだし「全力で悪さ」踏みとどまった男性の「#withyou」

「学校は居場所ではなかった」。大阪市の松江聡さんは、盗みにタバコ……中高生のときに「全力で悪いことをしていた」そうです。学校をサボることもあった松江さんですが、欠かさず通った場所がありました。そして、26歳になった今、障害者を支援する地元の施設で働いています。生きづらさを抱える10代への企画「#withyou」。自分と同じように学校生活に悩む若者に松江さんは「助けを求められる人になって」と呼びかけます。
全部読まなくてもいいです、これだけ覚えておいて
・言わないと伝わらない
・整理ができていなくても話せる人に話す
・助けを求められる人になる

松江聡さんは現在、大阪市住吉区の「社会福祉法人ライフサポート協会」で働いています。
勤務場所は、主に障害者や高齢者の日中の生活場所としての機能を持つ「住吉総合福祉センター」です。
実家は職場から歩いてすぐ。「生まれも育ちもここです」と松江さん。
現在は障害者の外出をサポートする仕事などに携わり、日々やりがいと障害者理解の必要性を感じているといいます。

「わからない」と言えず、学校が嫌に
金澤
松江さん
でも中学に入ったらもうだめ。一つわからなくなったら、自分のプライドが邪魔するのもあって。
先生に「わからない」と言うこともできなくなり、どんどん学校がつまらなくなっていきました。
金澤
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松江さん
盗んだバイクを乗り回して、警察と鬼ごっこしたり……。全力で悪いことをしていました。
いまとなってはそのバイクの持ち主に謝りたいという気持ちでいっぱいです。
金澤
松江さん
この頃の僕は、人より自分を強く見せたいという気持ちが大きくて。
その気持ちが夜遊びだったり、悪いことだったりになっていました。
友達との関係もあるし、楽しいし、一度入ってしまうと抜け出すのが難しいんですよ。

ボクシングだけはサボらなかった
松江さん
僕、テレビとかでボクシングを見るのが好きで、興味があったので行ってみました。
そしたらハマッちゃって。学校は適当に行く程度。午後の授業をサボったりしていたんですが……。
ボクシングだけは遅刻もせず、週1回の練習は欠かしませんでした。
金澤
松江さん
クラブには、日中この施設に通っている障害者の方も来ていて、一緒に練習していました。
正直なところ、最初は障害者に対して「怖い」というイメージがありました。大きな声を出したりするし。
でも、一緒にボクシングをやっていくうちに偏見がなくなるというか、「普通」になっていきました。
金澤
松江さん

「うちに来いよ」「待ってるよ」の言葉
松江さん
「このままじゃいけないな」と思うようになりました。
ただ、特にやりたいこともなく、このままだったら「(土木作業などの)現場」で働くんだろうなと思っていました。
金澤
松江さん
「将来どうしよう」と思っているときだったからこそ、その言葉がスッと入ってきました。
館長は「就職するならヘルパー2級はとっておけ」とアドバイスもくれました。
高校在学中に資格をとって備えることもできました。

もやもやした10代へ「助けを求められる人に」
金澤
松江さん
金澤
松江さん
いまになって思うのは、「言わないと伝わらない」ということです。
相談するときの第一声は「どうしよう」だけでもいいと思います。
頭の中の整理ができていなくても、話せる人に話してみてください。
そして「話せる人」はできるだけたくさんいるといいです。
見守る姿勢を貫いた館長
松江さんに「うちに来いよ」と声をかけた館長の原田さんは、松江さんのボクシング以外の居場所だった「仲間」の関係について見守る姿勢を貫いたといいます。
「悪い仲間、というのは大人の一方的な価値観で、彼らにしてみればただの幼なじみ。粋がりたい年頃だし、その関係性についてまで大人が踏み込むのは違うと思った」
松江さんに就職を勧めた理由は「聡が一番、真面目にボクシングの練習をしていたから。呑み込みが早いのできっと頭も良い(学校の勉強以外)と思った」
そして、こう続けました。
「あとは……男前が勤めてくれれば広報にもなる(笑)。コミュニケーションや人との距離の取り方も上手です」

withnewsは4月から、生きづらさを抱える10代への企画「#withyou」を始めました。日本の若い人たちに届いてほしいと、「#きみとともに」もつけて発信していきます。以下のツイートボタンで、みなさんの生きづらさも聞かせてください。
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