話題
「最後進カースト」這い上がったインドの一家 今も残る思わぬ差別
スクールカースト・ママカースト……。日本でも序列や格差を表す言葉として広まりましたが、カーストとはインドで生まれた差別的な身分制度です。貧しさのため6畳一間に肩を寄せ合って育った子どもたちがIT大手などに就職。一軒家を建てるまではい上がったインドに暮らす低カーストの一家を訪ねました。
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スクールカースト・ママカースト……。日本でも序列や格差を表す言葉として広まりましたが、カーストとはインドで生まれた差別的な身分制度です。貧しさのため6畳一間に肩を寄せ合って育った子どもたちがIT大手などに就職。一軒家を建てるまではい上がったインドに暮らす低カーストの一家を訪ねました。
スクールカースト・ママカースト……。日本でも序列や格差を表す言葉として広まりましたが、カーストとはインドで生まれた差別的な身分制度です。憲法で禁止されていますが結婚や職業選択などでまだ差別が残っています。かつて貧しさのためトイレ・バス共同の6畳一間に肩を寄せ合って育った子どもたちがIT大手などに就職。一軒家を建てるまではい上がったインド南部チェンナイに暮らす低カーストの一家を訪ねました。
普段、何気なく使われている「◯◯カースト」という表現ですが、当事者の生活は、想像を超えるものでした。
ジャガディサン・ダヤランさん一家は、最後進階級(MBC)に属しています。相対的に低い地位におかれたカーストの集団です。
父のダヤランさん(55)は若い頃、厳しい差別に遭いました。
チェンナイ郊外の農村に住んでいましたが、畑がある自宅から3、4キロメートル離れた村の中心部に入るためには履物を脱がなければなりませんでした。
高位のカーストの人たちの家に入るときには玄関ではなく裏口から入り、自分用のコップを持参しなければ飲み物を提供してもらえませんでした。家にあるコップを使わせてもらえなかったのです。
ダヤランさんは「とてもいやだったが、自分の運命だから仕方がないとあきらめていた」と話しました。
長男のマニワンナンさん(30)も11歳のころにつらい体験をしました。
放課後、学校の近くのヒンドゥー教寺院に友達と遊びに行ったところ、その友達の親戚と思われる大人から「寺に入るな」と追い出されました。マニワンナンさんは「当時はカーストについて知識がなかったので状況が理解できなかった」そうです。
カースト研究を続けてきた大東文化大の篠田隆教授によると、一家が暮らすチェンナイがあるタミルナド州では「その他後進諸階級(OBC)」の中にMBCが位置づけられ、州人口の約2割を占めています。
OBCとは不可触民とも呼ばれる最底辺層「ダリット」(被差別民)ではないものの、低い地位におかれた集団として認定された階級です。
篠田教授によると「上位カーストの家のコップを使わせてもらえない」「寺には入れなかった」などの差別は不可触民が受ける典型的な差別だといいます。
このような人々は農業労働者として地域の経済に組み込まれ、死牛の処理や清掃など公衆衛生維持にかかわる仕事を強制されていました。
なぜ、カーストなんていう制度が生まれたのでしょうか。
その始まりは、紀元前にまでさかのぼります。
インド亜大陸を征服したアーリア人が先住民族を肌の色で差別したのがカーストの起源です。
バラモン(司祭)、クシャトリヤ(王侯・戦士)、バイシャ(商人)、シュードラ(隷属民)に分けられ、その下に不可触民がいます。職業や地域などで細分化され、数千のカースト集団があるとされています。
当然、カースト制度は、現代社会では受け入れられない考え方です。インドは1947年の独立後に憲法でカーストによる差別を禁止し、低い地位のカースト集団に対し国公立大学の入学定員や公務員の採用などで優遇策をとっています。
次男、マダンさん(24)は、自分のカーストを初めて知ったのは高校生になる直前でした。大学受験の準備のため、政府が発行する身分証明書を父親から見せられました。最初は「なんの名前だろう?」と思ったそうです。
「今、カーストでインパクトがあるのは大学受験と公務員試験だけ」と言い切るマダンさんは、6歳年上の長男のマニワンナンさんのような子どもころの差別経験はなかったといいます。
大学では部員75人のクリケットチームに所属していました。話す言葉などでなんとなく誰がどのカーストかはわかるものの、それが話題になることはありませんでした。
ただ、優先枠をめぐっては、特定のカースト集団が割り当てを求めて暴徒化し、死者が出る事件も起きています。
子どもたちが小さい頃、家は貧しく家族4人がトイレ・バス共同の6畳一間で暮らしていました。長男のマニワンナンさんは、14歳のときからアルバイトをして家計を助けながら進学。地元の大学で機械工学を学び、インドの大手IT企業を経て、現在はチェンナイに進出している日本のメーカーで生産ラインの設計に携わっています。
次男のマダンさんも大学で機械工学を学び、アメリカのネットショッピング会社のチェンナイの拠点で顧客管理の仕事をしています。
兄弟はお金を出し合い、両親のために家を建てました。
マダンさんは今、休日は自宅近くの日本語教室に通っています。チェンナイでは日本企業の進出も多く、日本語ができると給料が高くなるからです。
日本語教室に通うもう一つの理由があります。それは結婚相手を探すためです。
そして、マダンさんの「婚活」にもカースト制度が影を落としています。
インド滞在時、ホテルで手に取った新聞には、結婚相手を募集する広告が載っていました。そこにはカーストを指定する文字が……。
結婚という人生の大事な場面で、今もカースト差別が残っている現実がそこにありました。
再び、大東文化大の篠田隆教授に話を聞きました。篠田教授によると、現在も約85%が同じカースト内で結婚しているといいます。
ビジネスで起業する際も同じカーストのパートナーを選ぶ傾向があるといい、「カーストには仕事を分業してそれぞれの階層が生活できるようにしてきた側面がある。最終的に信用できるのは同じカーストの人間という意識が依然強く残っている」と分析しています。
昔は親が決めた相手とお見合いをするケースがほとんどでした。そうなると、どうしても同じカースト同士の結婚になりがちです。
マダンさんは「自分で相手を探して親の許可を得て結婚したい」といいます。長男のマニワンナンさんもお見合いではなく、大学で知り合った女性と結婚しました。
篠田教授によると、インド国内で拡大しているIT産業では、多国籍企業や海外と深く関わるトップ企業はカースト以外の基準で採用しているそうです。一方で、下請けや小規模なプロジェクトを請け負ってIT産業の底辺を支えるローカルな企業では特定のカーストが採用されたり、IT産業内でも単純労働の職種では低いカーストが占めたりするケースもあると言います。
「地域差はあるものの農村ではカーストによって住む場所が決まっているため、幼いころから自分のカーストを意識して育つことになります」と農村と都市部との違いもあると指摘する篠田教授。
「今では高等教育やより有利な就業のために、農村から多くの人々が都会に流入しています。都会ではカーストを意識する機会が少ないために、大学入試や公務員試験、結婚の際に初めて自分のカーストを意識するという若者が増えているようです」
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