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平昌五輪を逃した選手から教わったこと 何のため?「自分のため」
平昌冬季五輪でスポットライトを浴びる日本代表の陰で、あと一歩のところで五輪出場の夢が絶たれた選手たちが大勢います。なんの「ために」スポーツをするのか? 「出られなくても人生で負けたわけではない」。喪失感を乗り越え、新たな一歩を踏み出そうとするアルペンスキー女子選手を追いました。(朝日新聞スポーツ部記者・平井隆介)
平昌五輪の期間中、テレビのコメンテーターとしてアルペンスキーの解説をした清沢恵美子さん(34)は、選手として臨んだ昨年12月末の全日本選手権にすべてをかけていました。優勝なら初の五輪代表の座を有力にできましたが、結果は3位。「自分の100%の力をぶつけた。すがすがしい気持ちだった」。
年明けのワールドカップ(W杯)でも上位に入れず、平昌への道が途絶えた1月10日、ツイッターで引退を宣言しました。
「本日を持ちましてアルペンスキー競技を引退します」「これまでの競技生活を振り返ると皆様には感謝しかありません」。
清沢さんがW杯から帰国すると、日本は、カヌー界の禁止薬物混入問題で揺れていました。
かねて「結果がすべて」という日本のスポーツ界の空気に危うさを感じていたといいます。スポーツは本来、人間教育の場であると清沢さんは思っています。
「人として成長してほしいとか健康になってほしいとか思うから、親が子にやらせるのでは。勝つことが生きる目的になってしまうような風潮は悲しい」。
3歳でスキーを始め、2005年のユニバーシアードで銅、2007年アジア大会は金メダル。以来、ずっと日本の第一線で滑ってきましたが、五輪には結局、一度も出られませんでした。
「でも別に人生で負けたわけじゃない」と清沢さんは思っています。
そんな清沢選手は1月、フリースタイルスキー・モーグル女子の伊藤みき選手(30)と一緒に、長野・軽井沢へ滑りに出かけました。
伊藤選手は高校生だった2006年のトリノ五輪に出場して20位。2010年バンクーバー五輪は12位。14年ソチ五輪は本番直前の公式練習で、痛めていた右ひざの状態を悪化させ、滑れませんでした。そして平昌五輪には届きませんでした。
今後のことについて迷いも見えた伊藤選手に、清沢選手は「五輪のたびにいろんな味を味わっている。だから、人間としてすごく豊かになれるんじゃないか」と助言したそうです。
計4度出演した平昌五輪のテレビ解説では「後輩の安藤麻、石川晴菜両選手の人間味を伝えたくて話をしました。アルペンスキーに詳しくない人にも彼女たちの魅力を伝えたくて。五輪本番のレースを見ても、私自身がすがすがしい気持ちでいられたことに、変わりはありません」。
清沢さんの話を聞いていて、私が思い出したのは、フリースタイルスキー女子モーグルの上村愛子さんのことでした。
子どものころから夢見た五輪の舞台に一度も立てなかった清沢さん。1998年長野から2014年ソチまで、5大会連続で五輪に出場した上村さん。
スキーヤーとしてのキャリアの明暗は分かれたように見えますが、2人に共通した思いがある気がします。
私は2002年ソルトレーク五輪の直後から、上村さんの取材をしていました。その頃の彼女は、五輪のシーズンを迎えるたびに顔がこわばっていました。
「応援してくれる周りの期待に応えなければ」という思いが強すぎました。最後の舞台と決めた2014年ソチ五輪の前年、ロングインタビューでそんな心境を明かしてくれました。
最後の舞台と決め、34歳で迎えたソチでの上村さんは違いました。
「負ければ悔しいのは自分。勝ちたい気持ちも自分のためのものであるはず」。
だからこそ、「失敗したらどうしようではなく、1番を目指した結果が10番でもいい。やるべきことはすべてやってきた」という心境で臨めました。
結果はメダルにあと一歩届かず4位でしたが、「(記者の)みなさん全員とハイタッチしたい気分。自分の五輪史上最高の滑りができた」。レース直後の取材ゾーンに笑顔で現れました。
五輪は「個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と、国際オリンピック委員会(IOC)が定めた五輪憲章には書かれています。
しかし現実は、我々メディアを含め、見る側は国別のメダル数に一喜一憂します。
でも選手たちはどうでしょう。
競技団体や周囲のサポート、そして強化費という形で活動を支えてくれる国に対し、感謝の気持ちを忘れることはありませんが、「最後にやるのは自分」と思えた時、むしろ輝きが増すように見えます。
だからこそ引退を決めた清沢さんからは「悔いはない。五輪に出られなくても人生で負けたわけではない」という言葉が出てきたのでしょう。
五輪で7位、6位、5位、4位、4位と、ついにメダルを取れなかった上村さんも、ソチでのレース直後、「すがすがしい気持ちでいっぱい」と話してくれました。
選手たちの思いは、「日本代表」のメダルを数える我々を超えている。
2008年北京から2016年リオまで5大会連続で五輪を現地取材してきた私の今の実感です。
清沢さん自身の第二の人生の具体策はまだ固まっていません。ただ、スキーに携わる仕事に就きたいとは思ってるそうです。後輩たちには、次のような言葉を伝えたいと言います。
「勝ちにこだわるのは大事だけど、勝つことがすべてじゃない。スポーツのための人生ではなく、人生を豊かにするためのスポーツ」。
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