連載
#16 平成家族
夢見た「タワマン」は保活激戦区だった 人生設計を狂わされる人たち
認可保育園に入りたくても入れない「待機児童」の統計を初めて国が発表し、対策を始めたのは1995(平成7)年のことでした。ちょうど、共働き家庭が専業主婦家庭より多くなるという転換点を迎えた時期です。その後も待機児童は解消されず、平成時代の子育ては、保育園を探す「保活」で始まります。その保活に敗れた先には、人生設計を狂わされる人たちもいます。(朝日新聞文化くらし報道部記者・田渕紫織、中井なつみ)
タワーマンションが立ち並ぶ川崎市の武蔵小杉駅前。平日の昼間、スーパーやレストランが入る大型商業施設では、ベビーカーを押した母親たちがひっきりなしに行き交う。子育て世帯が多く、全国でも有数の保活激戦地だ。
今月で1歳になった長男の保活をする女性(32)は3年ほど前、夫の社宅があるこの地に引っ越してきた。妊娠中だった2年前の12月、地元の中原区役所を訪ねると、職員からこんな説明を受けた。「第1子で0歳の『加点なし』なら、世帯年収によっては例年、入れていませんよ」
「加点」とは入園選考の基準に加わる点数で、きょうだいがいたり、認可外保育園に預けて復職していたりすると付く。単にフルタイムの共働きというだけでは、当選ラインを下回る可能性が高いと示唆されたのだ。職員からは「認可外の枠をおさえた後で認可の保活に時間を割いた方がいいんじゃないですか」と勧められた。
予定より2カ月早い昨年2月に出産。入院が長引いた。職場から早期の復職を請われ、昨年10月までに戻る予定だったが、経過観察で病院通いも多い。育児休業を今年4月まで延ばした。
認可外園に入るには、直接契約をする必要がある。退院まもない4月から保活を本格化させた。家から徒歩圏内の認可園を15園、隣の横浜市の認可外園「横浜保育室」を15園、そのほかの認可外園8園の計38園を手帳にリストアップ。週4~5回のペースで、片っ端から見学した。
認可外園のほとんどは電話の先着順に予約を受け付ける。実家では固定電話と父親の携帯電話、自分の携帯電話2台、さらに夫が社用携帯に会社の固定電話と、計6台を駆使。予約開始日時になると一斉に何十分間もかけ続ける。やっとつながったと思ったら、「もう締め切りました」と宣告される。「中学生の時のジャニーズのコンサートのチケット取りみたい」と苦笑する。
ようやく見つけた横浜保育室は入園保証金が10万円。入園しなくても返金されない。最寄り駅から徒歩20分ほどで、自宅からは1時間近くかかる。それでも払わない選択肢はなかった。4月から夫の単身赴任が決まり、協力は得られない。昼夜を問わない授乳で睡眠不足のなか、心身ともに限界を迎えていた頃だった。
認可園は15園に申し込んだ。そして先月27日、川崎市から落選通知を受け取った。「『育児休業』なはずが『保活休業』になり、本末転倒だと思いながら、育休中のほとんどを保活に費やした。これ以上延ばしたら、戻りようがない」。焦りが募る。
2001年に小泉政権が「待機児童ゼロ作戦」を掲げ、その後の政権もこぞって待機児童の解消を図る。しかしこの間、子育て世代の収入低迷などで共働きが増え、施設整備が追いついていない。昨春の待機児童は全国で約2万6千人で、3年続けて増えている。
特に東京圏の保育ニーズは右肩上がり。保育士配置などで国の基準を満たし、利用者負担も安くなる認可園は人気が集中して「狭き門」になる。何とか復職しようと認可外園にも申し込みが殺到し、毎年、激しい保活競争が繰り広げられている。
子育て世帯にとって、保活は人生設計にも影響を与える。
東京都品川区の会社員の女性(39)は出産を控えた4年前の秋、家族3人での暮らしを楽しみに中央区の湾岸地区に建設中だったタワーマンションを購入した。納得できる立地、設備、内装のマンションをようやく見つけた。ただ、そこは保活の激戦区だった。
当時1歳だった長女の保育園を探すため、引っ越し前に区役所を訪れた。購入したマンション周辺の保育園への転園できないか相談すると、担当者から返ってきたのは「どこでも、転入者は厳しいですね」の一言だった。中央区では居住年数の長さで入園の優先順位が変わる。このとき初めて、この仕組みを知った。
「どうしよう。保育園がなければ引っ越しできない」
認可外園も探したが、0歳児クラスからの持ち上がりで定員が埋まってしまうため、1歳児からの入園はほぼ絶望的。キャンセル待ちの人数が膨らみ、見学すらできないところもあった。
保育園に入れなければ、夫婦のどちらかが仕事をやめることになってしまう。新しい住まいを楽しみにしていたが、どちらも退職する選択肢はとれなかった。
「マンションを売ろう」。夫と相談し、そう決断するしかなかった。入居しないまま、マンションを手放した。
「住まい選びも、保活も、『どこでもいいのではなく、納得できるところを選びたい』と考えていた。いまは、それがどちらも許されない気がして、悲しいです」
東京都練馬区の派遣社員の女性(36)は、2人の子どもを認可園に入れるため、選考で有利になるように認可外園を利用してきた。かかった費用は、これまで合わせて100万円近くに上る。
14年3月に長男(3)を出産。当時登録していた派遣会社では育休を取れないと言われ、退職した。子育てに幸せを感じていたが、関西の実家から離れた土地で、夫も連日の深夜帰宅。初めての育児に限界を感じ、病院で「産後うつ」と診断された。
長男はまだ生後数か月。「なんとか自分の時間を作れないか」と、14年冬の仕事再開をめざして保活を始めた。保育園が必要な状況をわかってもらおうと診断書も提出したが、認可園は全滅。年度途中で空きがないうえ、専業主婦が選考に不利なことも知った。
インターネットなどでは「認可園に入るには、認可外園に預けた実績でポイントを稼ぐのが必須」という情報が並ぶ。電話をかけ続け、隣の市に空きを見つけた。入園金が約10万円、保育料が月約7万円。認可園の水準よりかなり高かったが、「預けられるだけでもありがたい」と入園を決めた。仕事も少しずつ再開した。
ある朝、長男を預けると、「再来週から、どうするんですか?」と職員から聞かれた。認可園への衣替えが決まっていたが、園の連絡漏れで継続利用が申請できていなかった。
「急に出て行けと言われても……」
次に利用した認証保育所は、区の方針で2歳児までの低年齢児専用の認可園になることになった。3歳になったら出なければならない。「また保活か……」。
昨年5月に生まれた長女は、最初から認可外園に預けて実績作りをした。週1回の利用で月約4万円。先日、認可園の選考結果が発表され、この4月から0歳児クラスに入れることが内定した。
長男も昨年から認可園に入る。ようやく長い保活が終わった。
金銭的なダメージ以上に心に重くのしかかるのは、幼い長男を何度も転園させたことだ。ぜんそくがあり、転園のたびに体調を崩して4回も入院した。「大人でも会社が変われば精神的にも体力的にもきつい。それを、我慢させてしまった」。後悔はつきない。
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取材班は、保活や保育士の仕事についての体験談、ご意見をお待ちしています。メールseikatsu@asahi.comかファクス03・5540・7354、または〒104・8011(住所不要)文化くらし報道部「保育チーム」へぜひお寄せ下さい。
この記事は朝日新聞社とYahoo!ニュースの共同企画による連載記事です。家族のあり方が多様に広がる中、新しい価値観と古い制度の狭間にある「平成家族」。今回は「保活」をテーマに、その現実を描きます。
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