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受刑者のマンガを商品に…「正直、がっかり」漫画家が誓ったこと
刑務所の受刑者が描いた漫画の背景画を“商品”に――。そんなユニークな活動をしている漫画家がいます。いまでは販売専用のサイトを開設し、背景画はいろいろな漫画に使われ始めているそうです。最初は「がっかり」で期待はずれだったという、このプロジェクト。発案し、あきらめず指導し続けてきた漫画家に、活動に込めた思いを聞きました。(朝日新聞山口総局記者・浜田綾)
山口県美祢市出身の漫画家・苑場凌さん(56)(=本名、渋谷巧さん)は高校を卒業後、上京して美容学校に通ったものの、幼いころから好きだった絵の道へ。24歳の時に「講談社週刊少年マガジン新人賞」を受賞してデビュー。コメディーやミステリー、幕末の長州を描いた歴史作品など幅広いジャンルの作品を描き続けています。
そんな苑場さんが受刑者に作画の指導をしているのが、山口県美祢市にあるPFI刑務所「美祢社会復帰促進センター」です。
“PFI刑務所”とは、国(法務省)と民間企業がいっしょに運営している刑務所のこと。“民間企業の経営能力や技術を生かして公共施設を運営する”という意味をもつ「プライベート・ファイナンス・イニシアチブ方式」の頭文字からそう呼ばれています。
センターに収容されるのは原則的に、初犯で懲役3年以下で入所する時に60歳以下の受刑者のみ。「早期の改善更生」と「再犯防止」を第一の目標にかかげ、出所後に多くの受刑者が職につきやすいように職業訓練に力を入れています。
苑場さんがセンターで指導し始めたきっかけは、2014年の夏、知人に誘われて刑務作業を見学したことでした。
パソコンの専用ソフトを使って市の観光用チラシをつくる受刑者たちを見て、「人の手のイラストを描いていたのですが、漫画の作画と似ていると思いました。『この人たちは一体どのくらいの絵が描けるんだろう』と興味がわき、ぜひ指導役にと申し出ました」。
初回の指導を終えて数週間が経つころ、センターから受刑者の仕上げたイラストが送られてきました。苑場さんはわくわくしながらデータを開きました。
ですが、「完成品」として送られてきたのは、あきらかに描きかけの自動車の絵や細部が雑に描かれたものばかり。
「正直がっかりしました。なによりこの状態で『完成』と言えてしまう考え方、そういうスタンスにショックを受けました」
もともと漫画を通じて地元を盛り上げられたら、という思いが強かった苑場さん。一般の人たちを対象にしたマンガの描き方を教える教室も定期的に開いています。
「受刑者も市民なんですよね。こういう地元貢献の形もあるのではないかと考えました」
それに加えて、実は苑場さんには“やんちゃ”な高校時代をおくった過去があるそうです。
「当時の自分には、泣きながらおこってくれる先生がいました。いまでも恩師だと思える大人が、幸いなことにすぐ近くにいたんです。もし、そういう出会いがなければ、自分も彼ら(受刑者)側になっていた可能性もあったのかなと思えてしまって……」
なので、どんなに前途多難に思えても、経済的な負担が生じても、受刑者たちの指導を簡単にはあきらめたくなかったといいます。
苑場さんの執筆拠点は東京のため、つきっきりで受刑者に指導することはできません。直接指導するのはひと月に数日間、帰省してセンターを訪れた時のみ。センター職員を介したデータでのやりとりがほとんどです。
苑場さんは、特殊な刑務所の作業現場に、いまでも戸惑うことがあるそうです。
受刑者と話す場合、そのつど刑務官の許可を得なければならず、会話の内容も指導に関係することに限られます。
それに、メンバーは前ぶれもなく入れ替わります。刑期が終わったり、何かトラブルを起こして参加できなくなったり。刑務所ならではの事情が理由なのだそうです。
そもそも刑務作業につく受刑者は、パソコンをある程度使える人の中から無作為に選ばれます。絵を描くのが得意な人や好きな人ばかりが集められるわけではありません。
「どんな人にでも分かるように丁寧な指導を心がけています。『ここを細い線で描くのは、上からライトがあたっているから』とか、指示の理由を1つひとつ説明しています」と苑場さん。
そんな指導が実を結び始めたのか、受刑者の様子は徐々に変わっていきました。絵の細部まで丁寧に仕上げるようになり、「木目の描き方を教えてほしい」「この場面はどういったタッチで仕上げるのがいいのか」「どうしたら金属の質感に変化を出せるのか」といった具体的な意見や質問が増えていきました。
ある受刑者は「苑場さんは、こちらが無理だと思っていることでも『絶対に無理じゃない、できる』と丁寧に教えてくれます。指導してくださるたびに技術の向上を感じられます。そういう風に指導してくださる人がいるのはありがたいことだと思う」と話していました。
また、パソコン操作も絵も苦手だったという20代の受刑者(詐欺罪で服役中)は、作業についてから1年以上が経過。
「『できなかったことができるようになった』という体験を出所後にいかせたらと思います。苑場さんは質問に対して的確にアドバイスしてくださるので、一度で理解できるんです。出所後は、もし可能ならデザイン関係の仕事につけたらと考えています」
さて、受刑者たちが漫画の背景画に挑戦する転機が訪れたのは2015年の春のこと。
推理作家・内田康夫さんの代表シリーズ「浅田光彦」で、センターのある美祢市などが舞台となる作品『汚れちまった道』のコミック化が決まったことがきっかけでした。
小説が出版された当初から「漫画にする時は、ぜひ自分に描かせてほしい」と編集社に頼みこんでいた苑場さん。その念願かなったタイミングが、指導時期に重なりました。くしくも、作中ではセンターが重要な場面で登場します。
指導を初めて数カ月が経ち、受刑者たちの技術向上に手応えを感じ始めていた苑場さんは、全員を集めてこう提案しました。
「地元が舞台の漫画を描くことになったので、その背景画を描いてみませんか?」
受刑者たちはその提案を了承。全体をとりまとめて指示出しなどをおこなうリーダー的存在の「チーフ」、そのサポートにあたる「サブチーフ」といった役職の制度もこの時に導入されました。
苑場さんは、受刑者が手がけた成果物を商業利用するために株式会社「みね友善塾」を美祢市に設立しています。よく誤解を受けるそうですが、刑務作業で受刑者たちに支払われる作業報奨金は税金ではなく、この会社が支払っています。
作品はその年の11月に出版されました。
苑場さんは「彼らは最初、全く乗り気に見えなかった」と苦笑まじりにふりかえりますが、完成した書籍を手にした時、受刑者たちはとてもうれしそうな笑顔を浮かべたそうです。
ある受刑者は思わず「まさか自分の絵が漫画になるとは思わなかった」とこぼしたとか。
現在チーフを務める30代の受刑者(窃盗罪で服役中)は、今年初めから作業に加わりました。
「もともと人の上に立つような人間ではなかったので、そういった役割ができるようになったのは変わったなと。責任もありますし、自分が始める前から積み重ねられてきた技術を、僕のあとにもちゃんと伝えていかなくてはいけないと感じています」
苑場さんは今年4月、背景画を販売するサイト「漫画家本舗」をオープンしました。ずらりと並んだイラストのうち、受刑者が描いたのは約80点。どれも300~500円台で販売されています。同人誌などを描く一般の人も利用しているそうです。
「おぼろげながらもビジネスとしてなんとか形になり始めました。思ったよりも時間がかかってしまいましたが、ようやく活動が実を結び始めたという達成感はあります」と苑場さん。
まわりからサイトの開設をせかされたこともありましたが「『売り物』のレベルに達したと思えるまでは、ぜったい売らないと決めていました」。
ネット上で背景画が売れたり、SNS上で活動への反響があったりすると、素直にうれしいそうです。ただ、最大の喜びは受刑者自身の成長だと断言していました。
「彼ら(受刑者側)から活発に意見が出たり、積極的に提案してきたり。目つきや話し方も目にみえてどんどん変わっていくんですよ。あとは、背景画を使う人の目線になって考えるようになった姿勢、集中して取り組んでいる様子をみると、活動してきてよかったなと感じます」
皆さんの『凄い』『上手い!
— 苑場 凌 (@youzenjyuku) 2017年9月13日
』『驚いた』『頑張って!』の温かい励ましの言葉、先程センター生に伝えてきました。本人達は喜びを隠しきれない様子でした。認められたという喜びでギアが一段上がり、今日の五時間の指導は息をつく暇もないほど作画についての質問責めでした。ありがとうございました。 pic.twitter.com/pRhKSa4Q04
苑場さんは言います。
あくまでも作画の技術ではなく、辛抱強く地道な作業をこつこつとやりきる姿勢の大切さ、そしてその達成感を自ら見いだしてもらいたい、そして――。
「そういう精神的な成功体験を出所後にいかしてほしいと思っています。1人ひとりが何かやりたいことをみつけ、一生けん命こつこつと打ち込みながら真っ当に生きていってもらえたら。そんな思いでこれからも活動を続けていきたいです」
話をきいた受刑者に共通するのは、(1)締め切りを気にしていたこと、(2)現在の技術向上への意志だけでなく出所後の生き方についても前向きで意欲的な発言をしていたこと、(3)苑場さんに感謝の言葉を述べたことでした。
たいして、苑場さんは「彼ら(受刑者たち)のことを尊重して、がんばりをきちんと評価し、丁寧な態度と言葉遣いで接すること」を常に心がけていると話していました。
両者のあいだには一定の距離がありましたが、互いを信頼した上で意思疎通をはかっていることが見て取れました。苑場さんがふと口にした「もう本当のアシスタントと漫画家の関係と、あまり変わりありませんよ」という言葉に、よくあらわれているのではないでしょうか。
取材した日、ある受刑者は苑場さんが退室するまで起立したまま見つめ、最後はおじぎをして見送りました。「ここまでされたのは初めてでした」とおどろきながらも微笑んでいた苑場さん。変化を見逃さないその姿勢がきっと受刑者に影響を与えているのでは、と思いました。