地元
知っているのは「名字」だけ 受刑者が描く「マンガ」指導現場の光景
地上から見上げた東京スカイツリー、タクシーがとまった郊外の駅前、奥行きのある会議室……。ちみつに描かれた漫画背景画の作者は、刑務所の受刑者たちです。漫画家や企業などから発注を受けるほか、背景画はインターネット上でも販売されています。そんな全国初の刑務活動に取り組む現場とは? そして一体、どんな雰囲気なのでしょうか?――実際に施設を訪れてみました。(朝日新聞山口総局記者・浜田綾)
漫画の背景描画というユニークな刑務作業がおこなわれているのは、山口県美祢市にあるPFI刑務所「美祢社会復帰促進センター」です。
“PFI刑務所”とは、国(法務省)と民間企業がいっしょに運営している刑務所のこと。“民間企業の経営能力や技術を生かして公共施設を運営する”という意味をもつ「プライベート・ファイナンス・イニシアチブ方式」の頭文字からそう呼ばれています。
全国には約70の刑務所がありますが、PFI刑務所に該当するのは4カ所のみ。山口県のほかには、栃木県、兵庫県、島根県にあります。
このうち「美祢社会復帰促進センター」は国内で最初にできたPFI刑務所です。今年4月で発足から10年が経ちました。
センターに収容されるのは原則的に、初犯で懲役3年以下で入所する時に60歳以下の受刑者のみ。「早期の改善更生」と「再犯防止」を第一の目標にかかげ、出所後に多くの受刑者が職につきやすいようにと職業訓練に力を入れています。
10月中旬の午後――。センター内の作業棟にある一室で、マウスやペンタブを持った男性受刑者12人がパソコンに向かって黙々と手を動かしていました。画面に映し出されるのは、東京都庁の外観、甲冑(かっちゅう)が置かれた和室、日本家屋の玄関先などさまざまなイラスト。どれも細部まで丁寧に描かれています。
作画の指導にあたる同市伊佐町出身の漫画家・苑場凌さん(56)(=本名、渋谷巧さん)が入室するなり、1人の受刑者が黙ったまま挙手をしました。
作業を見守る刑務官に指名され、発言を許されると「交談願います」とこたえました。許可された受刑者はかぶっていた帽子を脱ぎ、描いていた絵についてさっそく質問。手に持っていたかばんを置く間もなく、苑場さんの指導はスタート……これが毎度の光景らしいです。
指導を終えると、今度は苑場さんが「(受刑者)数人を集めて話がしたいのですが」と刑務官に伝えます。刑務官が受刑者5人を呼び、席を離れることを許可すると、受刑者たちは脱帽してすばやく集まりました。
指導の内容は、ある漫画家から発注を受けて描いている背景画について。描きかけのイラストをもとに説明していきます。
パソコンに背景画を1枚ずつ映し出しながら、「ここの屋根のかわらの形に、すこし直しをいれてほしいです」「地面のタッチがちがくて…」と、つぎつぎに指示を出す苑場さん。時おり身を乗り出して画面をのぞきこんだり、うなずいたりしながら聴きいる受刑者たち。その姿は真剣そのものです。
すると、画面に映し出されたある背景画をみた苑場さんが「これを描いたのはだれだっけ?」と口にしました。そわそわと手を挙げた受刑者に「全く問題ないです。よくできてる、すごいすごい」と苑場さんはにっこり。そのとき、受刑者が少しはにかんだ表情を浮かべたのが印象的でした。
その後は個別に質疑応答を重ねながら、作業は静かに淡々と進みました。
1年半ほど作業についている30代の受刑者(詐欺罪と窃盗罪で服役中)は、もともと基本的なパソコンの操作はできたものの、絵が得意ではなかったそうです。
「漫画の背景画なんて描いたことがなかったので、作業をイメージすることすらできませんでした。線の強弱だけで奥行きを表現するのが難しかったです」と、刑務活動を始めたばかりのころをふりかえります。
「いまは、何もないところから自分の力で何かをつくり出していく過程にやりがいを感じています。あとは期日を守ること、そして、どうやったら100%の力を出し切れるのか考えることが勉強になります」
そう意欲的に話していました。
苑場さんは、受刑者がどんな罪を犯して刑務所にいるのか、年齢ですら知りません。分かるのは、作業中のやりとりで感じる「人となり」と作業着に記された名字くらい。
それでも、受刑者との間には師弟関係に似た、たしかなつながりを感じるといいます。
「正直なところ、出所する時は別れのさみしさすら感じてしまいます。とはいっても、やっぱり『おめでとう!これからがんばってほしい』という応援する気持ちなんですけどね」
「よく『漫画家アシスタントの養成教室』と思われがちなのですが、それは断じて違います」
出所後の生活にさまざまな不安を抱えているであろう受刑者たち。そんな彼らの背中をそっとおすのは、辛抱強く地道な作業をこつこつとやりきる姿勢の大切さ、その達成感を受刑者自身で見いだしてもらうことなのではないか――。苑場さんはそう考えています。
受刑者の作業内容は、参加してある程度時間の経った“経験者”と参加したばかりの“初心者”で異なります。また、受刑者間での指導も行われるため、苑場さんが「線のひき方から手取り足取り教える」という開始当初の指導とは、見違える作業風景になっているとのこと。
原則的に初犯で懲役3年以下である受刑者たちは、ひととおり作画を覚えたころに出所しますが、技術は切れ目なく引き継がれています。最近では「背景描画の刑務作業につきたい」と自ら志願する受刑者もいるそうです。
あくまでも“懲役刑”としての刑務作業ですが、意欲を持って自主的にうちこみ、精神面から変わっていく受刑者たちを見守ってきた苑場さんのまなざしには、一定の達成感がにじんでいました。