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帰還困難区域、無人カメラが見た光景は…原発事故「誰もいない名月」
東京電力福島第一原発事故から6年半余りが経った今も、夜間の立ち入りが禁止されている福島県双葉町の帰還困難区域。震災当日の姿をとどめる同区域を中秋の名月の10月4日夜、無人カメラで撮影した。設置したカメラは20台。総枚数1万6166枚の写真には月夜に照らされる街の姿があった。(朝日新聞映像報道部・竹花徹朗、小玉重隆)
帰還困難区域は原則、夜間の人の立ち入りが制限され、警察官などごく一部の人しか入ることができない。今回、夜間の撮影にあたり双葉町や住民の協力を得て撮影が可能となった。
今回の撮影では、カメラマン自身が夜間、撮影場所に滞在できないこともあり、無人カメラを設置することにした。その数、20台。それぞれのカメラが数十秒間ごとに自動でシャッターが切れるように設定し、町内10カ所ほどに数台ずつ置いた。
撮影で一番難しかったのは天気との戦いだった。帰還困難区域に入る際には地元自治体に許可をもらうのだが、「明日お願いします」で入れるような簡単な手続きではなく、一定の期間と手続きを経てから許可が下りる。
そのため、天気を読むことがとても難しかった。天気予報とにらめっこして、月の出方を考え、大体の光の動きを計算するも、雲に隠れてしまう可能性もあった。撮影当日、機材を全てセットした後、天気が持つか不安だったが、薄曇りの隙間に月が顔を出し、何とか撮影できた。
震災前、日が暮れた町には明かりがともり、人々の生活があった。4年しか住めなかった新興住宅地の家。夜遅くまで汗を流す人たちがいたジム。暗くなったホームのベンチで電車を待つ人の姿があった駅。夜遅くまで宴会が続いていた中華料理屋。
双葉町だけではなく、多くの人たちの「故郷」の夜にも似たような風景があったのではないか。弱々しい月の光に照らされた街の様子を見ながらそう思った。
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