感動
パリ同時テロから2年 消えかけた「あの人」のメッセージ、銃弾の跡
130人もの命が奪われたパリ同時テロ。日常を取り戻しつつある町並みの中、脇道に入ると壁には今も銃弾の跡が残る。目をこらすと、世界的に有名な「あの人」のメッセージも。事件から2年の現場を歩いた。(朝日新聞映像報道部・竹花徹朗)
パリ同時テロが11月14日(日本時間)で2年を迎える。2年前、事件発生から一カ月後の現地をカメラマンとして取材した。時間が経ち、あの現場がどう変わったのか知りたくて10月下旬にパリを再訪した。
90人が犠牲となったコンサート会場「ルバタクラン」。1年ほど前に営業が再開され、日常を取り戻しつつあるようにみえる。
事件当時はひっきりなしに建物の前に献花する人や祈りを捧げる人の姿があったが、今では花々やメッセージは取り除かれ、多くの人たちは建物の前では立ち止まらず素通りする姿が目立った。
しかし、建物の脇道を歩くと、真新しく塗られた壁には何カ所か銃弾の跡がくっきりと残っていた。真っ白い壁に残るへこみがあの事件の悲惨さを今に伝える。
あのテロから2年。その間にもフランスでは2016年にフランス南部のリゾート地ニースで花火の見物客へ大型トラックが突っ込み100人近くの犠牲者がでた。世界中でもテロの犠牲者は増えるばかりだ。
コンサート会場の壁に残る弾痕のすぐ脇の壁に、以前訪れたときには無かったノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんの言葉があった。
「ペンと本がテロを打ち負かす武器だ」。鉛筆で書かれたのか、目をこらさないと見えないほどうっすらと文字が残っていた。
誰もが標的になり得る卑劣なテロ。マララさんは中学生の時、女子教育を認めない武装勢力に襲われ頭部に銃弾を受け生死をさまよった。
パキスタンの少女が命を危険にさらしながらも訴えた強さを少しでも学んでいきたいと感じた。
テロが起こったあの金曜日の夜。パリでは、サッカーのフランス代表対ドイツ代表の試合が行われ、コンサート会場ではメタルバンドの音楽が響き、料理店やバーには大勢の客がいた。
普段の生活を楽しむ人たちが犠牲となったのだ。現場を再訪し、事件の記憶は時間とともに薄れ始めたように感じたが、壁に残る銃弾の跡のように事件の傷痕はいまだそこにあった。
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