IT・科学
医薬系企業も根拠のない「免疫力記事」 医師の発言、確認せず鵜呑み
「体温が1度下がると免疫力は30%下がる」って、聞いたことないですか? だから「体を温めた方がいい」とか。医薬・健康系の企業が提供する健康情報サイトにも紹介されているのですが、どうもこれ、科学的な根拠がはっきりしないんです。
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「体温が1度下がると免疫力は30%下がる」って、聞いたことないですか? だから「体を温めた方がいい」とか。医薬・健康系の企業が提供する健康情報サイトにも紹介されているのですが、どうもこれ、科学的な根拠がはっきりしないんです。
「体温が1度下がると免疫力が30%下がる」という健康情報を検索すると多数のサイトが出てきます。医薬品や健康機器を扱う有名企業のサイトまでもが取り上げるこの情報ですが、実はこれ、科学的な根拠はなさそうです。まるで都市伝説のような真偽不明の情報が信頼性の高そうな企業サイトに載ること自体、問題がありますが、健康情報なら場合によっては読んだ人の不利益にもつながりかねません。この「免疫伝説」が各企業サイトに載った経緯と課題を調べました。
調べた中で、公式サイトにこの「体温と免疫力」の記述を載せていたと確認できたのは、健康、医薬系企業ではオムロンヘルスケア(京都府向日市)、沢井製薬(大阪市)、中京医薬品(愛知県半田市)。そして、健康系ではありませんが、通信教育などで有名なベネッセコーポレーション(岡山市)も掲載していました。それぞれ別の文章で、独自に書かれたものです。
各社とも、一般向けの健康情報記事として、「だから体を温めた方がいい」などのお役立ち情報を追加してサイトに掲載していました。その他、しょうがドリンクの販売サイトなど、医薬系企業や有名企業でなければ、同じ情報はもう、本当にたくさん出てきます。
免疫とは、もともと自分の体内になかった異物、つまり外から侵入した敵を倒し、排除することで体を守る生物の防御機能です。もし、体温1度の差でその力が30%も前後するのなら、日常生活にとっても大事な情報のように思えます。
科学的根拠はあるのでしょうか? まずはチェックです。
実は、社名を挙げた4社のうち、沢井製薬は昨年12月、具体的な「30%」などの表現を削除しています。桑満さんから、根拠となる論文が調べても見つからない、と指摘されたことがきっかけでした。
沢井製薬の広報担当者に聞くと、桑満さんからの指摘後、様々な論文検索サイトで調べても「体温が1度下がると免疫力が30%下がる」ということを示した医学論文は見つかりませんでした。つまり、事実である「根拠がない」として、削除を決めたそうです。
もともと、沢井製薬の記事は、ある医師への取材などを元に書かれたものでした。ですが、科学の世界では、専門家がしゃべっただけでは事実の「根拠」(エビデンス)とは認められません。研究した本人以外の吟味(査読)を経て発表された論文だけが、「真実性が高い」ものとして扱われるのです。
とはいえ、本当に論文はないのでしょうか?
念には念を、と2012年にマウスの免疫機構の一部が体温上昇で活発化する仕組みを突き止め、論文にまとめた生理学研究所(愛知県岡崎市)の教授、富永真琴さん(温度生物学)にお聞きしました。
「当時、体温と免疫に関する論文を調べましたが、本当に少なかったですし、人間について調べたものはありません。ただ、医師が一般向けに書いた書籍に、体温1度で免疫力が30%下がる、という話はありました」
なるほど。その医師なら、根拠となる論文を知っているはずです。この医師のマネジメントをしている会社を通じ、ご本人にメールで論文の名前を聞いてみました。
が、返ってきた回答に論文名はありません。「西洋医学的にエビデンスで説明しようとなると難しい」とも。要するにこの医師も、少なくとも科学的に「根拠」たり得る論文は、ご存じないようなのです。
今回、東洋医学者も含めた複数人にお話を伺い、「発熱時は免疫が活発になる」という感覚を持つ医師は多いらしいということまでは分かりました。しかし、あくまでも経験則的なことで、少なくとも「1度で30%」というまことしやかな情報の根拠となる論文は、見つかりませんでした。
しかしなぜ、これだけ調べても科学的根拠が出てこないような話が、社会的信用の高い企業のサイトで紹介されてしまったのでしょうか。
さらに言えば、オムロンヘルスケアの「免疫力」の記事には、「体を温める食べ物」も紹介されています。が、温度と生命反応の関係を研究する富永さんが「食べるとぽかぽか感じるが、体温を上げるまでには至らないのが一般的」と指摘するものも混じっていました。体温と免疫力の話以外も、必ずしも正確とはいえない要素が混じっているようです。
当時の担当者が退社して詳細がわからない中京医薬品を除く3社は、いずれもこの「免疫力」の健康記事を、外部業者に委託して作っていました。
もちろん外部委託がダメなわけではなく、きちんと内容がチェックされていればよいはずです。ただ、たとえばオムロンヘルスケアは、3人以上の医師の著書に同じ記述があることを掲載基準にする社内ルールに従ってチェックしています。論文までは求めていませんが、結果的にこの話を載せてしまっています。
ベネッセコーポレーションでは、委託業者に指示し、取材協力してくれた専門家に原稿を見せてチェックしてもらっていますが、それでも同じ結果です。
(なお、ベネッセコーポレーションに取材協力した専門家は、私の取材に、専門外の「免疫についてコメントすることは絶対にありません」と述べています)
ある会社の広報担当者は「専門家に伺っても、専門家が書かれた本で確認しても、確認しきれないとは、どうしたらいいのでしょう」と、困惑していました。結局、いくらハードルが高くても、根拠となる論文をチェックしなければ、万全を期せそうにはありません。
が、少なくともそこまでの確認作業をしていた社はありませんでした。
こうした科学的根拠のあやふやな情報はいったい、どの程度存在するのでしょうか。
日本免疫学会で科学コミュニケーション委員長として、一般の人に免疫学の知識を広める活動をしている東京理科大学教授、久保允人さんに伺ってみました。
「そもそも、免疫力という言葉自体が漠然としたものです。数値的な指標もありません。専門家は使わない用語ですが、一般にはよく使われていますね。イメージしやすく、なんとなくわかりやすいということは、分かりますが…」
そうした漠然とした情報が世に出回ることって、どうお考えになりますか?
「免疫はとても複雑な仕組みです。リウマチなら、それに関連する免疫を弱めて治療します。他方、がんに関連する免疫を強めて治療に使う、という研究もあります。一概に『強まればよい』というものではない免疫に対して、単純で間違った理解が広まることは、良くはないと思います」
「とはいえ実際のところ、きりがないんですよね。こういう話。マスコミも間違った情報を載せることもありますし…」
と、最後は我々の業界にも耳の痛いところを突かれてしまいました。
医師に聞いても根拠のあやふやな情報が出てくることのある健康情報。今回伺った各企業のチェック方法を見る限り、この「免疫力」話以外のあやふや情報も載ってしまいそうなのが、現状のようです。
◇
ベネッセコーポレーションは今回の私の取材後、健康記事作成時に取材した専門家からの申し出で、当該記事を削除しました。専門家が私の取材で事態を知り、申し出たためです。10月11日時点で「体温が1度下がると免疫力が30%下がる」という情報を掲載しているのは、この記事に示した4社のうち、オムロンヘルスケアと中京医薬品の2社になります。
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