連載
#17 みぢかなイスラム
イスラムの恋愛事情「まるで日本」な国も 婚活に悩むバリキャリ…
世界人口の四分の一とも言われているイスラム教徒の人々ですが、日本にいると、なかなか接点がありません。特に恋愛、結婚は謎だらけです。ヴェールで顔が見えないまま、どうやって結婚相手を見つけるの? 日本と同じように晩婚化が進んでいる? 『イスラームのおしえ』(かもがわ出版)などの著者で、現代のイスラムを研究する東京大学特任准教授の後藤絵美さんに話を聞きました。
――イスラム教徒というのはどのような人なのですか?
「世界のイスラム教徒の人口は16億、世界人口の4分の1とも言われていますが、この人々は世界の各地でそれぞれに異なる暮らしを営んでいます。カイロやジャカルタ、ニューヨーク、東京などの大都会に暮らす人もいれば、砂漠のオアシスで遊牧生活を営む人や、島しょ部や農村で暮らしを営む人もいます」
――ひとくくりにはできないわけですね
「『〇〇について、イスラム社会では一般的にどうなっていますか』という質問に答えることは難しいです。それはちょうど、『〇〇に関して、キリスト教社会では一般的にどうですか』『××について仏教徒の女性はどう考えていますか』といった質問が答えにくいのと同じです」
「なので『一般的な話』ではなく、いくつかの具体例をあげつつ、質問に答えていきたいと思います」
――男女を別々にするというイメージがあります
「確かに、歴史的にも、現代でも、男女の空間を分離することをよいと考えるイスラム教徒は少なくありません。一方で、どの程度分離にこだわるのか、制度としてそれが確立されているかは、ケース・バイ・ケースです」
――ここでも国や地域によって違うわけですね
「サウジアラビアのように、銀行窓口さえも男性用と女性用とに分かれている国もあれば、エジプトやトルコのように、空間分離にこだわる人もこだわらない人も、それなりの選択肢が用意されている国もあります」
「フランスや日本など、イスラム教徒が多数派ではない地域の場合、空間分離は困難か、ほとんど不可能です」
――男女別々にこだわる国での出会いは?
「15年以上も前になりますが、イラン北西部の都市、タブリーズという町に行ったことがあります。そこで私はある女性と出会いました。中肉中背のかわいらしい人でしたが、27歳でまだ独身。私が滞在している間にも、いくつかの縁談話が来ていました」
――つまり婚活中だったわけですね
「一度など、『ドイツ人がやってくる!』と本人も周囲も色めき立っていたのですが、実際にやってきたのはドイツに留学経験のあるイラン人でした。花婿候補が家を訪れたときに相手をしたのは彼女の父親で、女性本人はカーテンの隙間から男性の顔を見たり、話し声を聞いたりしていました」
――相手を見るだけ、話はしないまま結婚を進めてしまう?
「イランの場合、女性はコートとスカーフ姿が一般的なので、道端で男女が互いの顔を見ることができます」
――全身を覆うヴェールの場合は?
「アフガニスタンの場合、全身を覆うヴェール(いわゆる「ブルカ」)を着用する女性が少なくありません」
「私が聞いた話では、アフガニスタンでは、男性が適齢期になるとその母親や親戚の女性が、女性だけの集まりや公衆浴場などで若い娘を探すのだそうです。容姿や立ち居振る舞いを見て気に入った娘がいれば、家柄や評判、性格についてひそかに探り始めます」
――本人ではなく親戚にまかせてしまう…
「母親や親戚が目にした結果を受けて、男性は母親たちの言葉を信じて求婚に出向くのです。婚礼の日にはじめて妻の顔を見るということもあると聞きます」
――女性側に選ぶ機会はない?
「アフガニスタンのヘラートの女性たちとこの話題で盛り上がっていたとき、一人がこう言ったことを覚えています。『私たちからは花婿候補の顔が見えるけど、向こうから私たちは見えない。だから気に入らない容姿の場合、パパに断ってもらうの』。女性たちは見られて選ばれる側であると同時に、見て選ぶ側にもなるわけです」
――イスラムにも恋愛のプロセスやドラマがあるわけですね
「男女間の空間分離にこだわる社会であるサウジアラビアで、恋愛や結婚がどのように行われているのかを描いた小説に、ラジャア・アルサニアの『リヤドの娘たち』があります(原著はアラビア語、英訳Rajaa Al Sanea, Girls of Riyadh)」
「若い男女の接触が公には許されない街のなかでも、電話番号を書いたメモが飛び交い、秘密のデートが重ねられている」
「そして紹介や恋愛によって結婚にこぎつけたカップルはその後、どのような新婚生活を送るのか・・・。ヴェールの向こう側にあると思っていた世界は、私たちの知っている場所とそれほど違わないようです。皆さんもぜひ一度読んでみてください。
――日本では晩婚化が進んでいると言われています
「日本で晩婚化や結婚難が話題になったのは2000年代はじめですが、エジプトでも、同じ頃、とくに高学歴で専門職につく女性たちの結婚難が社会問題となりました」
――日本と似ていますね
「そのきっかけをつくったのは、ガーダ・アブデル=アールという女性がはじめたブログでした。当時27歳だった薬剤師のガーダは、日々感じていた結婚をめぐる社会的なプレッシャーや、婚活の失敗体験、花婿候補となった男性のありえない行動を面白おかしくつづりました」
――日本だと最近『東京タラレバ娘』が話題になりました
「『結婚したい』というタイトルのブログは2年間で50万ヒットを超えるアクセスをえて、2008年に書籍化され(原文はアラビア語、英訳Ghada Abdel Aal, I want to get married)、2010年にはテレビ・ドラマ化されました」
――エジプトの晩婚は何歳くらいなのでしょう?
「2005年の調査によると、エジプト都市部の女性の初婚平均年齢は22歳(農村部では19歳)、高卒以上の場合の平均は23歳。30歳以上の女性の未婚率は6%以下、つまりエジプト人女性の大半は、20代のうちに結婚しているということになります」
――ブログの作者の27歳という年齢は、かなりやばい?
「27歳未婚というガーダの状況はまさに危機的で、ガーダは必死に婚活に励みます。ところがお見合いの席(エジプトのお見合いは、女性自身がその場に参加する日本と同じスタイル)にあらわれるのは奇人や変人、ガーダの目から見ると『問題』を抱えた人ばかり」
――日本でも同じような光景が…
「サッカー狂でお見合いの最中にテレビをつけて応援を始める男や、マザコン男性、ガーダの服装にダメ出しをするウザい男。『敬虔(けいけん)なイスラム教徒』という触れ込みでやってきた男性は、顔を覆うヴェールをつけた二人の女性を同伴していました。姉妹かと思って話をしていたところ、それが既にいる『妻たち』だったということがわかります」
「イスラム教徒の中には、男性が四人までの妻をもつことを認める人もいるため、こういうことも起こりうるのです」
――山あり谷ありですね
「何度失望しても前向きに生きるガーダを描いた『結婚したい』はコメディータッチでしたが、その後、より深刻な社会問題としてエジプトの結婚難を扱う作品も発表されました」
「たとえば『エジプトの二人の娘』(ムハンマド・アミーン監督作品、2010年)。この主人公はハナーンとダリアという二人の未婚女性です。ハナーンは30歳、カイロ大学医学部の図書室に勤務しています。ハナーンの従姉ダリアは32歳、同じ大学医学部に勤務する医師です。中流階層出身の二人は、ともに父親がいない家庭で、母親と兄や弟と一緒に質素な暮らしを営んでいます」
――日本でも仕事と結婚の関係で悩む女性は少なくありません
「物語は、結婚を強く望む二人が経験する、いくつかの出会いと別れを軸に展開していきます。職場での出会いが難しいとわかると、ハナーンは、結婚相談所に登録し連絡を待ちます。ダリアはインターネットのチャットで話しかけてきた見知らぬ相手に心を寄せていきます」
――日本と同じですね
「この映画では、結婚を望みながらもそれが叶わない若い男女の戸惑いや苦悩が描かれています」
――現代のエジプトの晩婚化の原因は?
「たとえば『エジプトの二人の娘』では、適齢期の若者とその家族が直面する社会経済的な困難、夫婦関係をめぐる社会通念や法律に原因があることが示唆されています」
「結婚には、ある程度の自己資金と将来的な展望が必要です。新居や挙式、結婚後の生活費用は、多くの場合、男性とその家族の肩にのしかかってきます。一方、経済状況は悪く、若者の就職難や低収入、そしてインフレはひどくなる一方です」
――お金がなくて結婚できないというのは日本にも通じます
「さらに結婚後については、『夫が妻を扶養し、妻は夫に従順である』という夫婦関係のあり方が、社会通念の面でも、法律の文言としても定着しています」
――医師になったダリアのような女性はどうなるのでしょう?
「ハナーンやダリアのような高学歴で専門職につく女性たちは不利になります。キャリアを積んだ彼女たちは、年齢や経験も積んでいて、お金がかかるだろう、男性に従順にはなれないだろうと考えられ、敬遠されるのです。だから理想的な妻とはならない…」
――ますます日本ですね
「社会経済的な困難も、時代遅れとも思われる社会通念も、晩婚化や結婚難の時代にある現代の日本と似ているようです」
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後藤絵美(ごとうえみ) 日本の大学を卒業後、エジプトのカイロにあるアメリカ大学女性・ジェンダー研究所に研究員として在籍。現在は東京大学日本・アジアに関する教育研究ネットワーク特任准教授、東洋文化研究所准教授(兼務)。著書に『神のためにまとうヴェール―現代エジプトの女性とイスラーム』(中央公論新社)、『イスラームのおしえ』(かもがわ出版)など。
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