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辰吉丈一郎、今も王座狙う理由「目標じゃない、なるからやっている」
「浪速のジョー」こと辰吉丈一郎選手は、47歳になった今も世界王座を目指し練習を続けています。しかし、2009年3月、タイでの敗戦からリングには上がっていません。そんな辰吉選手の姿を伝えるメディアを作ろうと同級生らが「Project Joe」を結成。クラウドファンディングで資金を募集しています。「その年からでも何かできる、という発見もあると思う。人間あきらめたら終わりですよ」と語る辰吉選手に話を聞きました。
ーー辰吉選手を支援するプロジェクトは朝日新聞が運営するクラウドファンディング「A-port」で資金を募集しています。プロジェクトの代表者は辰吉選手の中学校の同級生、山本昭三さんです。
「(山本さんは)健全にバスケットやってて、僕は健全に不良少年をやってて(笑)。全然違うんですけど、授業中はようくっちゃべってましたね。子どものころからつきあっていったら、お互いの腹の底が見えるじゃないですか」
「(今回のプロジェクトは)自分が『こうでありたい』としゃべって、(山本さんが)それに協力するわ、と。ツレやから。そうして色々一緒にやり始めたら、中学と変わらずにやかましい(笑)」
ーー47歳というと、多くのスポーツ選手がリタイアしている年齢です。
「僕も年齢を狙ってやったわけじゃなくて、気がついたら、こうなっとっただけ。年を取るのは早いな。うちの父ちゃんがよう言うとった。『あっという間に年を取る。今したいことをせにゃいけん』」
ーー2009年3月、タイでの敗戦が最後の試合です。その後に引退を考えたことはなかったんですか?
「ないです、ない。昔から『3度目の正直』って言うでしょ。2度目の正直はないんで。次をとって3度目の正直になる」
ーー目標は4度目のチャンピオンですか?
「目標じゃなく、なるからやっている」
ーーいつごろまでに達成しようと思っていますか?
「30代前半が狙いやったんやけどね。気がついたら、この年になってしまった。僕自身もびっくりですよ。47歳。うっそー。孫おるで(笑)。おじいちゃんボクサーや」
――今はどんな日常を送っていますか?
「朝起きて、走って、休養をとる。夜にまたジムワーク、というのが毎日のサイクル。朝走るのは4~5キロ。試合が決まれば10キロ以上走りますけど。ジムワークは気さくに『使っていいよ』と言ってくれるジムに、曜日のローテーションを組んで行っています」
――若いころと今の練習の違いは?
「なにかの練習を止めたり、量を減らしたりというよりも、こっちをやったほうがいいんじゃないかと中身を切り替えて、練習の密度は以前よりも濃くなっている。ただ、スパーリングやったりとかミットを打ったりとか、相手がこんなスタイルで、こういう動きをするからこう打つという実践練習は、試合が決まらないとできない」
――応援してくれるファンへ伝えたいことはありますか?
「50歳前の同世代、20代のころに僕の試合を見てくれていた方々が多いと思うんですけど、そういった人らが『うちらの年代すごいやろ』と思えるように、盛り上げていきたい。僕らの年代ってベビーブームのときの子なんで、日本で一番人口が多いと思う。僕が世界のトップを狙ったら、見ている人間側もおもしろいんちゃいますか」
「網膜剝離のときとか、今までに僕も色々と助けてもらったんで、恩返しではないんですけど、『まだ世の中捨てたもんじゃないよ』『まだ面白いことあるよ』と一緒に楽しみたい」
「この年になったら、それは無理、あれは無理というのもあるでしょうけど、その年からでも何かできる、という発見もあると思う。人間あきらめたら終わりですよ。自分の人生、一回しかないんですよ。やりたいことをやる。失敗したら、またもう一回やればええやん。死んだらそれまでですやん。生きてる限りは努力せんと、もったいない」
――辰吉さんのそうした考えは、お父さんの教えが大きいんですか?
「父ちゃんが亡くなると同時に後ろ髪を伸ばしたんですよ。親がおるというだけで、子どもって安心するじゃないですか。こういうふうに毛を伸ばしておくと、自分のすぐ真横に父ちゃんがおって、親が嫌うような悪いことはできなくなる」
「(現役を続けるのも)⽗ちゃんの背中を⾒てたから、こうなった。 教えというか、⽗ちゃんはそういう考えなんで」
「自分が興味のあることに対して、これをやってみたいというのは出発でしょ。それを行動に移すということはチャレンジじゃないですか。そこいくまでに勝手に『無理だ』とルールを決めてるんですよ。ダメなルールを。なんで、ええルールを作らないのかな。年だからできるものもあるやろうし、年とったからこそできることを考えたらええやん」
――国内のプロライセンスも切れ、試合をすることは厳しい状況です。前回の試合後にマッチメイクの話はなかったんですか?
「負けた時点で『辰吉は終わった』という方が強かった。終わった人間に対してかける言葉はないでしょう。自分の中では終わってなかったけど、周りはそう考えていたんじゃないですか。あきらめてしまうとすべてが終わり」
「自分ができるんであれば、行動にうつした方がいい。それを指くわえて見ているような人間にはなりたくないですね。どっちかといえば『指をくわえて見とけや』と。自分自身の目標は決まっているし、16のころから大阪に来て、30年以上ずっとボクシングをやっている。自分の人生に何の悔いもないんで」
辰吉丈一郎(たつよし・じょういちろう) 岡山県出身。中学卒業と同時に大阪帝拳ジムに入門し、1989年9月に19歳でプロデビュー。91年、国内最短記録(当時)の8戦目でWBC世界バンタム級王座を獲得。1997年には3度目の世界王座奪取に成功した。2008年9月に日本のプロライセンスが切れ、2009年3月のタイでの一戦が、最後の試合となっている。今夏、「辰吉選手をもう一度リングに立たせたい」という趣旨に賛同するカメラマンや映像監督、ライターらが集まってProject Joeを結成した。2018年2月に公式サイトを開設するため、朝日新聞社の「A-port」でクラウドファンディングを実施している。
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