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香港「雨傘革命」若者が怒った「本当の理由」 「1国2制度」って何?

香港の中心部に集まった若者たちを、催涙スプレーで追い払おうとする警察。79日間にわたる香港「雨傘革命」の始まり=2014年9月28日
香港の中心部に集まった若者たちを、催涙スプレーで追い払おうとする警察。79日間にわたる香港「雨傘革命」の始まり=2014年9月28日 出典: ロイター

目次

 香港が英国から中国に返還されて7月1日で20年を迎えます。香港で2014年の秋、若者たちが中心部を79日間にわたって占拠しました。彼らが持ったシンボルの傘にちなんで、「雨傘革命」(雨傘運動)と呼ばれます。日本を含む世界中の若者に影響を与えたと言われるこのデモが求めたのは、選挙の民主化でした。なぜ、香港の若者は怒ったのでしょうか。なぜ、傘が象徴になったんでしょうか。(朝日新聞国際報道部記者・井上亮)

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香港の通貨は中国と別 五輪に代表も

リオデジャネイロ・オリンピックの開会式で行進する香港の選手団=2016年8月5日
リオデジャネイロ・オリンピックの開会式で行進する香港の選手団=2016年8月5日 出典: ロイター

 日本がまだ江戸時代だった1842年。イギリスはアヘン戦争で中国(当時の「清」)に勝ち、香港を植民地とします。以後、香港は独自の発展を進めてきました。

 今もオリンピックやサッカー・ワールドカップなどのスポーツ大会には、中国とは別に選手を派遣。独自の通貨(香港ドル。中国は人民元)も流通しています。

 しかし、20年前の1997年、イギリスは香港を中国に返還しました。

 日本の外務省のホームページは、香港の元首を「習近平中国国家主席」と書いています。香港には行政長官という政治のトップがいますが、その上に中国の国家主席がいるわけです。

 そんな香港の様子を示す、「1国2制度」という言葉があります。この「1国」とは中国のこと。香港は中国の一部です。

中国は社会主義、香港は資本主義

普通選挙を求める声が強まっていた香港で開かれた、中国の建国記念日「国慶節」の催し。中国より一段低い位置に香港の旗が並ぶ=2014年10月1日
普通選挙を求める声が強まっていた香港で開かれた、中国の建国記念日「国慶節」の催し。中国より一段低い位置に香港の旗が並ぶ=2014年10月1日 出典: ロイター

 中国は中国共産党が支配する社会主義国。一方で、香港は1997年に中国に返還された後も、イギリス流の資本主義や民主主義を続けてきました。

 イギリスと中国は香港返還に先立ち、2047年までの返還後50年間は、経済制度や生活様式を維持し、行政、立法、司法の独自性を保つことで合意しました。
 
 この合意をもとに、香港のミニ憲法と呼ばれる「香港特別行政区基本法」(以下、香港基本法)が作られ、返還と同時に施行されました。

 以上のように、「1国2制度」は、中国という一つの国において、異なった二つの社会、経済、政治システムを採用した状態のことです。

香港基本法とは

香港研究が専門、立教大学法学部の倉田徹教授
香港研究が専門、立教大学法学部の倉田徹教授 出典: 倉田教授提供

 ここから先は、よりわかりやすく解説してもらうために、香港研究が専門の立教大学法学部、倉田徹教授にご登場いただきます。

 

井上

香港基本法は、自由や人権、民主主義といった価値観を保証しているんですか。

 

倉田

そうです。香港住民は法の下に平等であり、言論・報道・出版の自由、結社・集会・デモの自由、非合法に逮捕、拘留、監禁されないなどの人身の自由、移動の自由、信教の自由などを持つと、香港基本法に明記されています。

 

井上

であれば、日本とあまり変わりませんね。

 

倉田

違いは選挙制度です。特に、政治トップを決める行政長官選挙では、市民の参加が厳しく制限されています。2007年までの選挙は、800人でつくる選挙委員会が行政長官を選んでいました。

 

倉田

香港には700万人超の人口がいますが、この800人は、財界・金融界や労働・福祉などの業界にいる特権的な人たち、約20万人から選ばれていました。中国大陸から経済的な恩恵を得ている、親中派が多いと言われています。

香港の「選挙委員会」の構成
香港の「選挙委員会」の構成 出典: 倉田徹教授作成

香港では「普通選挙」ができない!

香港で行われた行政長官選挙で、選挙運動をするキャリー・ラム氏(林鄭月娥、右)。のちに当選、7月1日の就任式には中国の習近平国家主席が出席=2017年3月23日
香港で行われた行政長官選挙で、選挙運動をするキャリー・ラム氏(林鄭月娥、右)。のちに当選、7月1日の就任式には中国の習近平国家主席が出席=2017年3月23日 出典: ロイター

 

井上

えっ、そうなんですか。今もそのままですか。

 

倉田

香港基本法は、いつかは1人1票の普通選挙を実現する、と書かれています。その「いつか」は明記されていませんが、2007年以降は選出方法を変えてもいい、と規定しています。

 

倉田

そこで、民主派の人たちは2003年に「50万人デモ」を起こし、「2007年の行政長官選挙は普通選挙にせよ」と求めました。

 

井上

どうなったんですか。

 

倉田

普通選挙の実現には、香港立法会(議会)が3分の2の多数で可決し、行政長官の同意を得たうえで、こんどは中国の国会にあたる全国人民代表大会(全人代)に報告し、承認を求めるという手続きが必要です。

 

倉田

ところが、2004年に全人代は、「まずは改正が必要かどうか判断する必要がある」「その判断を行うのは全人代だ」という解釈を発表しました。

 

井上

つまり中国がゴーサインを出さなければ、改正そのものが難しいわけですね。

 

倉田

はい。結局、2007年に普通選挙はやらないが、選挙委員を少し増やしていい、ということを中国が一方的に決めました。香港の民主派は反発し、2007年の選挙は従来のままとなりました。

そして「雨傘革命」へ

香港中心部で傘を路上に並べ、道路を占拠するデモ隊=2014年10月11日
香港中心部で傘を路上に並べ、道路を占拠するデモ隊=2014年10月11日 出典: ロイター

 1国2制度と言いながら、香港の人たちの民意が政治に反映されず、北京にある中国政府に左右される。

 民主的な選挙の実施を訴える市民のうねりは、「雨傘革命」につながっていきます。

 

井上

2014年秋の「雨傘革命」でも、市民は普通選挙を求めました。

 

倉田

実は2007年の全人代で、2017年には普通選挙をやってもよい、という決定がなされています。

 

井上

それは大きな前進ですね。

 

倉田

そうでもないんです。中国は「行政長官は愛国者であることが必要」として、中国と対抗する者の出馬は認めなかった。

 

倉田

つまり、事実上、民主派が候補になることがほぼ不可能な仕組みにしたんです。

 この決定が2014年8月。不満を募らせた市民は、中国の建国記念日にあたる10月1日に向けて、香港の中心にあるセントラル(中環)地区で座り込み運動をする計画をたてました。

 これに授業をボイコットしていた学生たちが合流し、大規模な抗議運動へと発展したのが「雨傘革命」です。

なぜ「雨傘」なのか

警察の放射する催涙スプレーを傘で受け止めるデモ隊=2014年9月28日
警察の放射する催涙スプレーを傘で受け止めるデモ隊=2014年9月28日 出典: ロイター

 デモをおさえ込もうとする警察の催涙弾や催涙スプレーに雨傘で耐えたことが、名前の由来です。

 香港中心部の占拠は9月28日から12月15日まで、79日間続きました。

警察ともみ合いになるデモ隊=2014年9月27日
警察ともみ合いになるデモ隊=2014年9月27日 出典: ロイター

 長い路上生活で学生たちは疲弊し、生活に支障をきたすとして市民の反発も強まってきたところに、警察が強制排除を進めて中心部の占拠は終わりました。

 その後も民主化を求める運動は続き、雨傘革命の参加者たちは声を上げ続けています。

 しかし、2017年の選挙で香港の行政長官になったのは、親中派とされるキャリー・ラム(林鄭月娥)氏でした。

 選挙前の世論調査では支持率が30%を切り、対立候補の半分ほど。それでも、親中派が多数を占める1200人の選挙委員は、過半数がキャリー・ラム氏に投票したのです。

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