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パンと郷土愛、幕末の「パン祖」もお怒り? 戸惑う全国の「ご当地」
道徳の教科書をめぐって注目された「パンと郷土愛」。全国には、パンが郷土のシンボルになっている街があります。「すばらしい日本の文化の一つなのに…」。パンを愛する人たちの思いを聞きました。
波紋を呼んだのは、来年度から使われる小学1年生の道徳教科書です。教科書会社が文部科学省による教科書検定を受けて、教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に差し替えました。
文科省はこの教科書について「伝統文化の尊重や郷土愛などに関する点が足りなかった」と指摘していました。パンは伝統文化でも郷土愛にも関わらないのか? 「パンから和菓子」への差し替えは、大きな議論を呼びました。
パンを使った町おこしをしている自治体はどう思っているのでしょうか。
愛知県蟹江町は人気のパン店が集中していることから、店めぐりに便利な地図を作り、町歩きに利用してもらっています。
「パンのまち蟹江」として売り出し中で、イベントには愛知県外からもお客さんが来るそうです。町の担当者は「町にはおいしい和菓子もありますし、パンと和菓子は本来対立するものではないのでは……」と言います。
1869(明治2)年に外国人居留地にパン店ができた歴史を持つ神戸市中央区。毎秋、区内のパン店めぐりを楽しむイベントを開いています。
区の担当者は「差し替えにコメントする立場にはない」と言いましたが、「区内にはおいしいパン屋がたくさんあり、パンは街のにぎわいづくりの大切な資源です」と話してくれました。
日本にパンが伝わったのは、16世紀にポルトガル人が来航した際と言われています。その後、国内でのパン製造は下火になりましたが、江戸時代末期、伊豆・韮山の代官・江川英龍(ひでたつ)が兵隊の携帯食としてパンに注目しました。
江川についての著書がある公益財団法人「江川文庫」学芸員の橋本敬之さん(64)によると、江川は農兵に自ら研究して作ったパンを持たせ、訓練などを実施しました。1カ月パンだけ食べさせられる訓練もあったそうです。
江川英龍は地元では今も「パン祖」とたたえられ、地元の静岡県伊豆の国市では毎年、「パン祖のパン祭」が開かれています。
橋本さんは言います。
「パンは明治時代ごろに日本に来たと思っている人は少なくないと思いますが、実は歴史のある食べ物。西洋や中国大陸の進んだ文化を採り入れてきた、すばらしい日本の文化の一つなのではないでしょうか」
「こんな失礼な話はないですよ」
全国約1500のパン製造業者が加盟する全日本パン協同組合連合会(全パン連、東京)の西川隆雄会長(74)は怒っていました。
加盟業者のほとんどが、学校給食のパンをつくっています。地域によっては、パンをつくる会社が1社しかないようなところもあり、赤字続きでも「子どもたちの給食を守らないと」と頑張っている会社も少なくないそうです。それだけに、「学校の教科書でなぜこんな扱いをされるのか。あきれて物が言えません」と西川さんは言います。
パンマニアで「パン屋さんめぐりの会」代表の片山智香子さん(45)=横浜市=も、差し替えに疑問を持った一人。あんパンやクリームパンは私たちにとっておなじみのパンですが、片山さんによると、あんやクリームといった中身を包んだパンは「日本独特です」。外国人に見せたところ、「何が入っているのか分からない……」と、あまり評判がよくなかったそうです。
「日本の文化って、海外から来たものをカスタマイズするのが好きですよね。こういったパンも日本らしい文化の表れではないでしょうか」と片山さんは言います。
差し替えがあった教科書は、パン屋から和菓子屋への変更を含め、数カ所を教科書会社が修正した結果、検定を通過しました。
文科省は「個別の記述の変更はあくまでも教科書会社の判断。文科省は書き直しを指示していない」と説明しています。
波紋が広がる「パン屋→和菓子屋」問題。政府は4月7日、「パン屋を営むことは『国や郷土を愛する態度』に反するのか」などとする民進党衆院議員からの質問主意書を受けて、「(文部科学省が)パン屋に関する記述に特定して検定意見を付した事実はない」とする答弁書を閣議で決定しました。
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