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AI、「出禁」から始まった友情 思い出のクラブで「あの曲」熱唱
10年ぶりにクラブでのライブを敢行した歌手のAIさん。自らの「ホーム」と呼ぶクラブでの思い出を語りました。
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10年ぶりにクラブでのライブを敢行した歌手のAIさん。自らの「ホーム」と呼ぶクラブでの思い出を語りました。
歌手のAIさんが、自身の「ホーム」と語るクラブで、10年ぶりとなる本格的なライブを行いました。4・5月に控えるライブ「伝説NIGHT Ⅱ」の事前イベントとして、渋谷のクラブ「ハーレム」でパフォーマンスを披露したAIさんに、クラブでの思い出や出会いの数々について伺いました。
――久しぶりにクラブに帰ってきて、いかがですか。
自分としてはホーム感があるんですよ。すごくやりやすいし、全然久しぶりという感じがしない。やっぱり好きなんでしょうね、こういう空気感が。元々はクラブでばっかり歌ってたんですけど、最近はホールとかが多くて、しばらくやってなかったので。
ハーレムでやったのは、10年よりもっと前かな。あ、でも実は「TOKYO TRIBE」(2014年)っていう映画のイベントがあった時に、個人的にバッと出ちゃったことはありました(笑)。
ほかの人たちがステージで歌っていて、私のパートは音源だけ流すはずだったのに、「うわ、行きたい!」と思って2番から走っていったの。ちょうど妊活中で休んでいた時期だったんですけど、血が騒いじゃって。楽しかったですね。
――そういう飛び入り的なものを除く本格的なライブとしては10年ぶり、ということですね。
そうです。
――ハーレムのためにDJ WATARAIやHI-Dと共作した「Welcome 2 Da Party」(2004年)も歌っていましたね。
かなり昔の曲です。プロデューサーがDJ WATARAIで、きょうもワタくんが出演してくれて。クラブシーンでずっとやってきたワタくんが、レジェンドみたいなDJになって、いまだにシーンを動かしてみんなを熱くさせているっていうのがいいですよね。
私が鹿児島から出てきた時、一番有名なクラブって言えばハーレムでした。パラパラとかがはやってる時代だったんですけど、ここに来れば自分の好きな感じの曲が流れてて。色んなクラブがあるなかでも、ハーレムってすごく「高価」な感じがしたんですね。特別で大人っぽいっていうか。
――様々な出会いもあったのでは。
音楽も好きだけど、やっぱりここにいた人たちがね。誰も私のこと知らない頃から、ラッパーのお兄ちゃんたちが相談に乗ってくれたりして。KAMINARI-KAZOKU.の皆さん、ニトロ(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)の皆さん、妄走族の皆さん…。
最初はみんなピリッとしてて、「何だよ、オマエ」って感じで邪険に扱われてたの。「オマエは来んな」「出禁だ」みたいな。でも段々と友達になって、知れば知るほどいい人で。「いい人」って言うと怒られちゃうかな。なんかプロレスラーみたいだね(笑)。
――ハーレム以外のクラブにも通っていたのですか。
とにかく渋谷が好きで、渋谷によくいたから。2000年代の頃は、ハーレム以外にも「エイジア」とか「ブエノス」とかにいましたね。歌いに行くこともあったし、遊びにも行ったし。誰か出演すると必ず遊びに行って、クラブをハシゴして。近くのダーツバーによくたまってました。
――長年ダンス営業を規制してきた風俗営業法が改正され、昨年から朝までのクラブ営業が条件付きで可能になりました。
すごくうれしいですね。Zeebraさんが(改正運動を)頑張っているというのは聞いていました。私自身ダンスが好きでクラブに踊りにきていたし、何がいけないの?っていう思いだったので。踊るのがダメっていうのはちょっとおかしいじゃないですか。
トイレでドラッグをするとか、大勢で誰かをいじめるとか、そういう行為があるなら、それを取り締まればいいだけで。あとは時間が遅くなるので、親御さんが安心できるように年齢制限をしっかりして。みんなが楽しく踊ったり飲んだりすること自体は、悪いことじゃないですから。
――最後に歌った「ハピネス」(2011年)について、以前のインタビューで「単なるハッピーな曲じゃなくて、本当に泣ける曲なんですよ」と語っています。一般的にはポジティブなイメージの強い曲ですが、どんな思いが込められているのでしょうか。
泣けると言っても悲しい曲というわけじゃなくて、よく聴くと涙が出るっていうか。「そうだね」っていう気持ちになるんです。いつも自分に余裕がないからかもしれないけど、「余裕がなくて 優しくなれない」って歌詞とか。
いいことも悪いこともある。でも悪いことばっかりじゃない。「君が笑えば この世界中に もっと もっと 幸せが広がる」と歌っていると、自分でも「そうなんだよなあ」って思えて涙が出てきますね。子どもができて、余計にしみるようになりました。
――お母さんのバーバラ植村さんも、著書『人生でいちばん必要なもの』で「人生の一番大事なこと、それはハッピネスです」と書いていますね。
母がそんな感じだから、自分もそんな感じになっちゃったのかもしれないですね。小さい時はすごく厳しい親だったんですけど、急に変わったんですよ。朝から「きょうはいい日です」みたいなことを言い出して、妹と2人して「ママ大丈夫?」って心配して(笑)。
でも、それによって母もポジティブになっていって。そういう風に努力しているとこを見せてくれたから、いい言葉を話して、いいことをしていれば、そういう気持ち、そういう人間になれるんだと思うようになりました。
――今回のライブは4・5月に開催される「伝説NIGHT Ⅱ」の先駆けという位置づけですが、そもそも「伝説NIGHT」とは。
自分の曲よりフィーチャリングで歌っている曲が多くなってきたので、せっかくだからフィーチャリングで共演したアーティストを呼んでイベントをやろうと。2010年に第1回の「伝説NIGHT」を開催して、DABO、DELI、JESSE、Char、PUSHIM、土屋アンナちゃん、EXILE のATSUSHI、チャカ・カーンとか、色んな人たちが来てくれました。
自分の好きなアーティストがみんな一緒に出てくれるってなかなかないし、それ自体「伝説」だなっていうことで、「伝説NIGHT」ってつけたんですけど。それからまたフィーチャリング曲が増えてきて。昨年「THE FEAT. BEST」っていうフューチャリングのベスト盤を出したこともあって、「伝説NIGHT」の第2弾をやることになりました。
――東京で2日、大阪で1日の公演で、久保田利伸さんや青山テルマさん、THE BAWDIESら、今回も豪華な顔ぶれが集結します。意気込みは。
たくさんのアーティストが来てくれるのはすごく感謝ですし、本当におそれ多い。このイベントのポイントは、素晴らしいアーティストをみんなに知ってもらうこと。私は主役じゃないんです。
私のことは知ってるけど、フューチャリングの人の曲は聴いたことがないとか、逆にアーティストのファンで私のことは知らないっていう人もいると思う。お客さんが色んなアーティストに出会うことができる、フェスを超えたイベントにできたらいいですね。
〈アイ〉 1981年、米ロサンゼルス生まれ。父は日本人、母はイタリア系米国人。幼少期から中学生までを鹿児島で過ごし、97年にLAのアートスクールへ留学。帰国後の2000年に歌手デビュー。「Story」「ハピネス」などヒット曲多数。2014年に結婚、2015年には長女を出産した。過去にコラボしたミュージシャンが集結するイベント「伝説NIGHT Ⅱ」が、4月30日に大阪城ホール、5月5・6日に東京・豊洲PITで開催される。
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