話題
俺のことも見てくれ! 大統領選 幻の勝利演説会場で学生が見た米国
アメリカの大統領選挙を見ようと渡米した、大学生2人の突撃レポート。後編は「ヒラリー編」です。慶應大学3年の古井康介さんと樋口慧さんは、ヒラリー・クリントン氏の「勝利演説」を聞くため、ニューヨークに向かいました。そして、あの「ありえない結果」を目の当たりにします。
11月7日、私たちはニューヨークに戻った。大統領選挙投票日の前日だ。
ホステルのドミトリーに到着すると、すぐにTシャツを着替えた。ピッツバーグの集会会場で買ったトランプTシャツを着たままだった。”TRUMP PENCE 2016”と書かれたTシャツは、ヒラリー氏の地元・ニューヨークで着るにはあまりに危険な代物だった。
ロッカーの奥にTシャツをしまい、代わりに1枚のチケットを取り出した。投開票日の夜に開かれるヒラリー陣営の集会のチケットだ。
初の女性大統領が誕生する集会。ヒラリー氏が「勝利演説」を行う集会。そのチケットをバックパックにしまい、私たちは床に就いた。
翌8日。ニューヨークは快晴だった。空気はひんやりと冷たかったが、とても気持ちの良い朝だった。
ホステルの最寄り駅のそばには、ヒラリー陣営の選挙事務所があった。その事務所の前で、ヒラリーグッズを売っているのを見つけた。お手製の缶バッジやバナー、ステッカーなどが売られていた。道行く人が足を止め、缶バッジを買っては服につけていた。
私たちも缶バッジを1つ買った。”Hillary for President!”という文字が入ったバッジだ。
ヒラリー支持者の証をバックパックの背に付け、地下鉄に乗りこんだ。そのバッジは、この街では「標準装備」とでもいった感じだった。
ヒラリー陣営の集会が行われたのは、ジェイコブ・ジャビッツ・コンベンションセンターだった。マンハッタンの西の端にある、巨大なイベント会場だ。
コンベンションセンターに着いたのは午前10時ごろ。開場は午後5時の予定だった。
開場7時間前にも関わらず、既に100人ほどが列に並んでいた。
開場までの間、私たちはヒラリー支持者たちに話を聞いてみることにした。
列の雰囲気はとても和やかで、そこに並んだ人々は、トランプ支持者以上にフレンドリーだった。
最初に話を聞いたのは、ニューヨーク北部に住むという中年の女性。お母さんと一緒に、集会に参加していた。
私たちが日本から来た学生で、前々日にトランプ氏の集会に参加してきたと伝えると、女性は、
「あなたたち、勇気があるわねえ」と、爆笑してくれた。
同じアメリカ人のおばさんにとっても、トランプ支持者は、やはり「攻撃的で怖い人たち」らしい。
女性に、トランプ氏の躍進をどう思うかについても、尋ねてみた。
「今年の選挙は、エンターテイメントと政治が合体したような選挙だったわ。みんな、堅苦しいことを考えるよりも、楽しませてもらいたいのよ」。
トランプ氏は、その欲求に見事に応えた、というのが彼女の主張だった。
「なるほど」
相づちをうつ自分がまさに一昨日、ピッツバーグのトランプ集会で「楽しませてもらった」ことは、すっかり頭から抜けていた。
不思議なことに、ニューヨークに着いた途端、「トランプ支持者=怖い人たち」というイメージが、私たちの頭の中で復活していた。
一昨日会った人たちは、決して怖い人たちではなかった。普通の人たちで、堅苦しいことを、ちゃんと考えていた。ヒラリー氏の支持者と同じくらい、頭が良い人たちだった。
なぜ、それを忘れてしまったのだろう。
列に並んでいる人たちの人種構成は、やはりトランプ集会のものと全く異なっていた。黒人やアジア系、ヒスパニックなど白人以外の人たちがたくさんいた。
近くにいたインド系の20代の女性に話を聞いてみようとすると、逆に質問が返ってきた。
「あなたたち、アメリカに来るのはこれが初めて?」
「はい、そうです。一昨日トランプ氏の集会に行ってきました」
「お願いだから、この選挙だけでアメリカを判断しないでね。お願い」
“I’m with her.”の文字入りTシャツを着たこの女性は、冗談交じりにそう話してくれた。
集会参加者の多様性は、セクシュアリティの面でもだった。
LGBT(セクシャルマイノリティ)の人たちが、たくさん参加していたのだ。
近くにいた大柄の女性に声をかけてみると、彼女はトランスジェンダー(MTF)だったことが分かった。
その女性は、「彼女(ヒラリー)は私たちの代弁者なの」と、かみしめるように話した。
「私たちセクシャルマイノリティの権利をここまで語ってくれた政治家は彼女が初めてなの。トランプは最悪よ。絶対彼女に勝ってほしいし、あんな差別的なトランプが支持されるなんて、信じたくないわ」
彼女の口調は、はじめは穏やかだった。しかし、話を聞いていくと、彼女が徐々に興奮気味になってきているのが伝わってきた。
この選挙で、候補者は、支持者のアイデンティティすらかけて闘っている。アメリカでは一国の政治のリーダーを決めるということが、誰かの生き方すら変えてしまう。そりゃあ日本では考えられないような熱狂を生み出すわけだ。
「いつか、セクシャルマイノリティの権利獲得のために立ち上がったハーヴェイ・ミルクのような、そんな政治家になるのが夢なのよ」
女性は、ニコッと笑った。
午後7時半になり、ついに会場の内部に入ることが出来た。
四方をガラスで囲まれたこの会場の別名は「ガラスの宮殿」。
ヒラリー氏がいざ破らんとする、「ガラスの天井」にかけられた会場だった。
各州の開票結果は、だいたい1時間おきに速報された。
開票時間が近づくと、ヒラリー支持者たちはカウントダウンをし、その場を盛り上げようとしていた。
会場はさながらスポーツバーのようだった。
ヒラリー氏の勝利が伝えられると、会場は大盛り上がりだった。サッカーの試合で言うと、シュートが決まった瞬間に似ている。会場の支持者たちは、半ば狂ったように勝利の雄たけびを上げていた。待っていましたと言わんばかり。
一方で、トランプ氏の勝利や優勢が伝えられると、即座にブーイングが起きた。
得票結果一つ一つに大きな声を出す様子や、候補者への声援が生み出す「会場の一体感」は、トランプ陣営で見たものと同じだと思った。
午後9時を回った頃から、ヒラリー氏劣勢の情報が入り始めた。
会場にいる人々から、笑みが消えた。
”This is really bad” 前にいた女性がつぶやいた。
フロリダ州でヒラリー氏が敗北したことが伝わると、敗北ムードはいっそう濃厚になった。
会場の空気が、歴史的な勝利を心待ちにするものから、お通夜のような雰囲気に変わっていった。
周りにいた何人かが、涙を流していた。崩れ落ちるように座り込み、友達と抱き合いながらテレビを見つめている。
LGBTの人たちも泣いていた。ブロンドの髪の女性も、泣いていた。
トランプ氏のスローガン"Make America Great Again"をもじった"Make America GAY(ゲイ) Again"と書かれた帽子を被った男性も、人目をはばからず泣いていた。
ひとり、またひとり笑顔が消え、会場からエネルギーのようなものが消えていった。
それまでは、前へ、前へ、とにかくヒラリー氏の勝利演説を一目見ようと流れていた列も、今は完全に動きを止め、会場を離れる人たちすら出始めていた。
日付をまたぐ頃、トランプ氏の勝利が報じられた。
会場にいたヒラリー支持者の表情は険しかった。この時、彼らはまだトランプ大統領の誕生なんてことを考えていたわけではないのだろう。全く予想もしていなかったヒラリー氏の敗北に、パニックに陥っていたのだと思う。実際、私たちもそうだった。
ヒラリーが負けた。"あの"トランプが勝った。
その事実は、にわかに信じがたかった。
なにかの間違いだろう。いや、そうであってほしい。
私たちは「ガラスの宮殿」の中で、数千のヒラリー支持者と共に、いざ女性大統領誕生の瞬間を目撃せんと会場に乗り込んだ。たった4、5時間前にあった高揚感は、もうどこにもなかった。
周りにいる人たちは、お互いに抱き合い、慰めあっていた。
彼らにとってこの敗北は何を意味するのだろう。
単純に、自分が応援していた候補の落選に涙を流しているだけなのだろうか。
そうではない気がした。
女性の権利、LGBTの権利、黒人の権利。
ヒラリー氏はマイノリティの名誉と権利を背負っていた。会場にいた多くのマイノリティにとって、今回の選挙は、自らのアイデンティティをかけた闘いだったのだろう。
彼らにとって、負けたのは、自分自身なのだ。
彼らが打ちひしがれる様子は、とても印象的だった。
午前2時ごろ。会場にジャーニーの「Don’t Stop Believin'」という曲が流れだした。明るくてテンポの良い、エレキギターの音が鳴り響く。その曲は、会場の雰囲気には似つかわしくなかった。
しかし、「信じることをやめないで」という歌詞は、メッセージのように感じられた。
明るい歌声がスピーカーから響き渡る。果たしてヒラリー支持者は何を思ってこの曲を聴いていたのだろうか。
曲が終わって間もなく、それまで誰も立っていなかった演台に初めて人が現れた。
ついにヒラリー氏の演説が始まる! もしかしたら何事もなかったかのように現れて、歴史的な演説をしてくれるのではないか。
この期に及んでも、まだそんな期待感が捨てきれなかった。
しかし、そこに現れたのはヒラリー氏ではなかった。演台に立ったヒラリー陣営の選対本部長は、一息吸ってこういった。
「今日はもう遅い。帰って寝よう」
人々が、会場から次々と流れるように出ていった。
ペットボトルなどのちいさなゴミが散乱した青い床。
ガラスの宮殿は、ヒラリー氏が立つことがなかった演台を残し、照明が落ちた。
「ガラスの天井」は、破られることはなかった。
私たちが会場を離れたのは、午前2時だった。
最寄りの駅まで歩いていく途中、若い黒人男性に話しかけられた。何を言われたのか分からず戸惑っていると、彼は笑って去って行った。
「ああ、ありがとう。今日は悲しい日だよ」
ニューヨークの街全体が沈んでいるようだった。
今回、1週間という短いアメリカ滞在の中で、私たちなりに気づいたことがある。
この選挙で、両陣営の支持者たちは、アイデンティティだとか存在意義だとか、そういったものまでをかけて闘っていた。
国民を二分した選挙は、結局は「俺のことも見てくれよ!」と人々が叫び合った、そんな闘いだったような気がする。
大統領選挙にかける人々の気持ちの重さが、日本ではあんなに盛り上がらない選挙との違いなのかもしれないと思った。日本の選挙で、あそこまで自分自身をかける人々は、どれくらいいるだろう。
怖いもの見たさも含めて、私たちがアメリカで見ようとした「得体のしれない何か」。
それはついに、アメリカという世界最大の国を勝ち取ってしまった。でもそれは、ごく普通の人たちがとった「当然の選択」で、本人たちにとっては、決して「ありえない選択」ではなかった。
私たちがトランプ氏の集会で興奮させられてしまったように、自分たちの困っていることを的確にとらえて代弁してくれる力強くてかっこいいリーダーは、人気を得てしまうのだ。
もし日本でも同じようなリーダーが現れたら。
「得体のしれない何か」は海を越え、日本をも覆うかもしれない。いや、もうその芽はこの国の中にあるのかもしれない。そんなことを考えていると、何やら得体のしれない不安感が胸を覆った。
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