お金と仕事
校閲ガール「うちなら不採用」 業界でも一目、新潮社員のプロ技
日テレ系の連続ドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」で、石原さとみさん演じる主人公が奮闘する「校閲」の仕事に注目が集まっています。ノーミスが当たり前の職場。業界でもその精密な仕事ぶりで知られる新潮社校閲部に聞いてみました。「ドラマみたいに難儀な仕事なの?」「河野悦子さん採用します?」(朝日新聞文化くらし報道部記者・木元健二)
東京都新宿区の新潮社校閲部を訪ねました。約60人が働いています。ちょっとした河野悦子ブームで「校閲といえば新潮社」と取材依頼が相次いでいるほど。とはいえ職人集団、軽妙な展開のドラマへの評価は、どんなものでしょう……。
「部内の視聴率はかなり高いですよ。勝手な推測で70%は堅い。小道具の校閲済みのゲラもよくできています」と飯島秀一校閲部長。部員の丸山有美子さんも「校閲という仕事が注目されていることはうれしい」と言います。
校閲部で働き20年になる丸山さんの胸中には、しかし、不安もよぎります。「こういう風が吹いているときに、びっくりするような失敗をしたりするので。改めて、引き締めていかないと……と思います」
確認のため、あらゆる手段を使う校閲の仕事には明確な終わりがない、とされます。それでも出版物のミスは避けねばなりません。どうやってチェックの精度をあげるのでしょう。
「初校で1度確認し、再校、念校と段階を踏みます。初校、再校では校閲部員と外部スタッフが2人一組で仕事をし、念校では校閲部員ひとりで見直します。その後に印刷所にまわし、製本前の『刷り出し』を確認。製本後の見本は各部署に回覧して最終的にチェックします」
「初校では、特に事実関係を確認。直しが大幅に入って行数が動く可能性もあるので、早めに落ち着かせたいところです。次に文章の流れを追います。その過程で単純な変換間違いも見つけられる。1度にすべてを終えるのは不可能ですから」
ただ、ひたすらにチェックする。どんな姿勢で仕事に向かいますか。
飯島部長は言います。「校閲の仕事は、冷静に1文字1文字追っていくのが基本です。『河野悦子』の主人公は落ち着きに欠けますから、あの通りの人だと……うちは採用できないでしょうね」
校閲は職人的な仕事、という丸山さん。理想は近頃出会った、ある爪切り職人の姿です。なんでも、週初めに作ったものと週末の最後につくったものが、どこをとっても同じ仕上がりだったとか。そんな職歴ウン十年の人。
「話しかけられて、作業が途切れることも避けたい。集中力勝負。原稿に物差しをあて、一行ずつ読み込んでいきます。ひらがなが続く部分は間違いを見落としがちなので、斜線で細かく区切ってみたりします」
「用字用語の確認には、4冊ほどの国語辞典や、大部の漢和辞典などにもあたります。朝から始めて午後になると、目が疲れて、ルビの確認にもルーペが欠かせなくなります」
間違いを生じさせる「落とし穴」も、見えてきたそうです。
「『おっきいもの』ほど見落としますね。まさか、と言いたくなるような誤りは、表紙に記された大きなサイズであることが珍しくありませんね」
「『知っているはず』という思い込みも危ない。歴史好きで記憶力に自信のある人でも、徳川幕府の4代将軍ぐらいになるとついうっかりするものです」
「『誰かが見てくれてる』という油断も断ち切れない。出版物は校閲部員だけでなく、多くの人の目を通ります。担当の編集者や校閲部長といった管理職……。そうした中、作家名、観光地といった、ごく当たり前のデータに単純な間違いが紛れ込むと、えてして見逃してしまうものです」
丸山さんは、子どものころから読書好きでした。「校閲部なら、ずっと本を読んでいて、お給料をいただける」と就職先を選びました。入社してほどなく、思っていたような仕事でないことに気づきました。
「読むことと校閲の仕事は全然違います。職場では字面(じづら)はもちろん、調べ物を重ねて内容にも踏み込んでいきますが、その本の内容は、終われば自分でもおもしろいほど早く忘れちゃうものです」
「経験を積むごとに、人間のすることの至らなさが見えるようになりました。自分のミスは会社のミスに直結しますから、ゴールキーパーのような役割です。ドラマの河野悦子みたいな、超前向きな仕事ぶりは、まねしようと思っても、私にはちょっとできませんね」
出版物にはミスがなくて当たり前。校閲部員は黒衣のように目立たないことが、平生のことだといいます。
「たとえば本が出るときに謝辞に校閲者の名前を、と言っていただくことがあっても躊躇(ちゅうちょ)します。大変ありがたいんですが、後でミスが分かると、責任の所在が明らかになる。それが怖くて。後ろ向きだと言われるかもしれませんが、それが本音なのです」
小2の女の子のお母さんでもある丸山さん。宿題の文章を読んで、つい口を出してしまうとか。「日記の文が『わたしは』で始まっていたとすると『日記は誰が書いているかわかるから、わたしは、はいらないんじゃないかな』とか(笑)」
娘さんは「また言っているよ」という風に受け流します。でも、母が校閲した本を書店でチェックしては「結構売れてるみたいだよ」と教えてくれます。
正確な表記によって得られる読者の信頼。それは「地味にスゴイ」校閲の仕事あってこそ、と、もう伝わっているのでしょうか。
この記事は11月19日朝日新聞夕刊(一部地域20日朝刊)ココハツ面と連動して配信しました。
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