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ノーベル賞、今年も注目の村上春樹 世界進出支えた「米最強の布陣」
「ビンキーとクノップフがそろうというのは、米国で本を出すにあたって最強の布陣だ」
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「ビンキーとクノップフがそろうというのは、米国で本を出すにあたって最強の布陣だ」
13日に発表される予定のノーベル文学賞。日本では今年も、村上春樹さん(67)の受賞の期待が高まっています。2006年に「ノーベル賞の登竜門」ともいわれる「フランツ・カフカ賞」を受賞し、国外でも人気を誇る村上さん。そのきっかけとなった四半世紀前のアメリカ進出には、「米国最強の布陣」の支えがありました。(杉崎慎弥)
まだ、マンハッタンにツインタワー(WTC)がそびえていたころ。昼下がりのニューヨーク中心街で6人の男女がテーブルを囲んでいた。
英語版の「羊をめぐる冒険」を1989年に出版したものの、まだまだ米国では無名作家にすぎない村上春樹、村上が翻訳を手がけた米作家レイモンド・カーヴァーの妻で、自身も作家のテス・ギャラガー、トバイアス・ウルフ、ジェイ・マキナニーら人気作家の面々だ。
彼らを連れてきたのは、敏腕文芸代理人“ビンキー”ことアマンダ・アーバン。「ハルキはうれしそうに彼らと会話し、家族の仲間入りをするような感じでした」。そう振り返るのは、「羊をめぐる冒険」の出版元である講談社インターナショナル(KI社)の編集者だったエルマー・ルーク(68)だ。ビンキーは、日本で「ノルウェイの森」を大ヒットさせて米国の出版業界でも注目され始めていた村上の代理人になることを望み、ルークにアプローチしてこのランチをセットしたのだった。
日本では、出版界における「代理人」という存在はなじみが薄い。米国では、代理人が自らの人脈を駆使して書籍の魅力を出版社や書店、書評を執筆する批評家らに売り込む。その腕次第で、本の売り上げが変わるというのが業界の常識だ。
その後ビンキーは村上との代理人契約を結び、作品を次々とベストセラーにのし上がらせていくのだが、それは10年ほど先のことだ。
現地法人のKI社が米国進出の足がかりを作ってくれたものの、その営業戦略に村上は満足していなかったふしがある。「羊をめぐる冒険」の発売に合わせ、妻を伴ってNY入りした村上は89年10月21日、KI社の会議室で責任者の白井哲(69)らを前にこう切り出した。
「日本でお世話になった出版社を尊重したい。でも、海外では一番広く読者に届けられる方法でやりたい」。
白井は「こんなことを言い出す日本人作家はいません。普通は英語版が出るだけで満足してしまう。村上さんは進出当時から世界を見据えて、純粋に自分の作品が世界中で読まれることを願っていたんでしょうね」と語る。
当時の心境について村上自身は、近著「職業としての小説家」の中で「日本国内で批評的に叩かれたことが、海外進出への契機になった」と認めつつ、「僕の作品が外国で通用するかしないか、ひとつ試してみようじゃないか」という挑戦的な思いがあったと述べている。それだけに、数千冊程度にとどまっていた米国での売れ行きに歯がゆい気持ちを抱いていたのかもしれない。
転機をもたらしたのは、名門誌「ニューヨーカー」だ。90年9月に村上の短編「TVピープル」を掲載した。ニューヨーカーは約100万部を発行する雑誌で、90年以上の歴史を持つ。短編小説やエッセー、詩など多彩な作品を掲載するが、厳しい掲載基準で定評がある。
99年から村上のフィクション作品を担当する編集者のデボラ・トリースマン(46)は「ニューヨーカーに載ると、出版界が注目するのは事実です。ニューヨーカーの掲載基準を満たしたぐらいの作家なら、本を出しても売れるとなるのです」と語る。以来25年間で、村上の26本のフィクションが掲載されている。
ニューヨーカー誌に掲載され、米国での「土台」を固めた村上人気を代理人ビンキーが一気に加速させる。
大手書籍出版社ランダムハウス傘下のクノップフから93年3月に短編集「象の消滅」が出版されることになった。クノップフはノーベル文学賞受賞者が多く輩出した出版社。元KI社のルークによると、クノップフとの交渉にあたったのはビンキーだったという。
ニューヨーク・タイムズ・マガジンの記者で書評家のサミュエル・アンダーソン(39)は「ビンキーとクノップフがそろうというのは、米国で本を出すにあたって最強の布陣だ」と断言する。
その後、クノップフは米国で村上作品を継続的に出版することになる。「海辺のカフカ」は、ニューヨーク・タイムズ紙が選んだ2005年のベストブック10に入った。11年10月に「1Q84」を売り出したときは、午前0時から販売を始める書店がNYで続出した。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(14年)は、ニューヨーク・タイムズ紙でベストセラー1位を記録した。
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