連載
#1 辺境旅
ドイツ「裸族の宴」に潜入 敷地内は別世界…若者離れで存続の危機
何を隠そう、ドイツは「裸の王国」だ。夏の海や湖の畔で、一糸まとわぬ老若男女が自由を満喫する習慣が脈々と受け継がれている。その名も「自由肉体文化」。ナチス時代や共産主義政権下でも廃れなかった庶民の娯楽が今、存続の危機にあるという。その伝統文化に、裸でお付き合いしてみた。
今夏のとある日曜日、首都ベルリンから車で1時間のモッツェナー湖畔。夏空の下、バドミントンに興じる約30人の男女が歓声を上げていた。ただし、身につけているのはスニーカーだけ。ほぼ全員が素っ裸。日本で少し前にはやったお笑いのギャグではない。正真正銘スッポンポンなのだ。
ここはドイツ各地に点在する「FKK」の専用施設の一つ。FKKとは「フライ・ケルパー・クルトゥア」という独語の略で、直訳すれば「自由肉体文化」だ。
「ドイツの文豪ゲーテ(1749~1832)も、愛好者だったといわれています」。独ヌーディスト・クラブ協会のクルト・フィッシャー名誉会長(74)は誇らしげに語る。
現在、会員は約3万5千人。130支部があり、バルト海沿岸や湖畔にコテージやスポーツ施設を備える。個人会費は月約10ユーロ(約1200円)。一見さんも数ユーロを支払えば施設を利用できる。
FKKの理念は「衣服は自然の姿を覆い隠す偽りのもの」だ。木柵で囲まれた敷地の中は別世界が広がる。バドミントンを楽しむ若者たちも、身につけるのは靴下とスニーカーだけ。湖畔を散策する家族連れは裸にリュックサックを背負う。斧を振るってまき割りに励む老人も、庭先で優雅にお茶をすする夫婦もやはり素っ裸だ。
とはいえ、裸になることを強制はしない。湖やプールに入るとき以外は、脱ぐか、脱がないかは本人の自由だ。一方で「他の会員を尊重する」ことを不文律とする。例えば、相手の体をじろじろ見るのはご法度。写真撮影も事前に許可を得なくてはならない。
その起源は古代ギリシャやローマ帝国の時代までさかのぼるとされる。「裸の本」の著書があるオーストリア人研究者、フォルクマール・エルマウターラー氏(59)によると、20世紀初頭にFKK文化が花開いたのは中欧、とりわけドイツとオーストリアだった。
「カトリックの保守的な思想が根強いフランスや南欧は遅れた。他方、個人でFKKを楽しむ傾向が強いオーストリアに対し、ドイツでは組織化が進んだ」とエルマウターラー氏は分析する。
その伝統は今も受け継がれているようだ。米大手旅行サイト「エクスペディア」の日本語サイト、エクスペディア・ジャパンが今年4月、24カ国の男女計1万1150人にビーチでのヌード経験を尋ねたところ、オーストリア人(28%)が1位、ドイツ人(25%)が2位。3位の米国人(18%)を寄せ付けなかった。
周りにヌードの人がいても「気にならない」という答えも、オーストリア人(76%)とドイツ人(72%)が群を抜いた。
一方、温泉や銭湯で裸文化が根付いているかにみえる日本人は、「経験なし」が87%で各国中で最多。ビーチで周りにヌードがいると「気になる」という人も75%で、1位の韓国(80%)に次いで抵抗感が強かった。
ドイツでは特に、FKKが独自の進化を遂げたようだ。1933年に全権を掌握したナチスの総統ヒトラーは当初FKKを否定したといわれているが、ナチス内部にも愛好者がいた。彼らはアーリア人の肉体美を誇示する宣伝映画の制作など政治利用することで、FKK文化をナチスにも根付かせようとしたといわれている。
第2次大戦後、東独の共産主義政権も「不道徳だ」とFKKを禁じた。それでも、愛好者たちはひそかに活動を続けた。木の上に置いた見張りから警察が近づいてきたことを知らせる合図を受けると、みんなすぐに服を着てふつうのキャンプを装った。
56年、政権側もついに根負けしたのか、FKKをスポーツ団体の一部として正式に認めた。「旧東独の政治家たちはFKKを庶民の余暇として利用する道を選んだ」とフィッシャー氏は見る。
旧東独で警察官だったミヒャエル・アダムスキさん(57)は87年、婚約者に誘われて初めてFKKに参加した。目の前で当たり前のようにスッポンポンになる婚約者とその両親に、最初はあぜんとしたという。「クラブには職場の上司もいたが、FKKでは『ため口』が許された。裸のつきあいの素晴らしさを知った」
そんな純粋な思いとはうらはらに、FKKは次第に「きわもの」扱いされていく。
90年の東西ドイツ統一後、西独から流れ込んだ性風俗産業が「FKK」を宣伝に利用したため、今でも性的なサービスと勘違いする人が少なくないといわれる。
2013年には、若き日のメルケル首相とされる女性が女友達と全裸で海岸を歩く白黒写真がネット上に出回って話題になった。独左派系紙が「メルケル氏の金融政策でロシア富裕層が大損し、報復としてロシア側が写真をばらまいた」という陰謀説を報道。当時、独政府や主要メディアは一切無視したが、今も信じている人は少なくないようだ。
話題にこと欠かないFKKだが、最近は会員の減少に歯止めがかからない。独ヌーディスト・クラブ協会によると、全盛期の1920~30年代には旧西独だけで10万人を超えたが、1975年には約87000人に減少。現在、約3万5千人まで落ち込んでいる。
高齢化も進む。独中部ヒルデスハイム支部の場合、会員210人(男女比はほぼ半々、0~93歳)の平均年齢は、75年の35歳から約10歳上昇。20代の新規会員はめずらしくなったという。
背景には、若い会員の意識の変化がある。ベルリン在住の公務員アンドレアさん(33)と妻のウルリケさん(33)は、親の代から会員だが、湖で泳ぐとき以外は服を着る。「都会の喧騒を逃れて静かに過ごしたいから毎年くるけど、正直、裸にならなくても十分に癒やされる」と言う。
生活スタイルの変化で家族と過ごす時間が減り、会員内で継承が進まなかったことも退潮に拍車をかけた、とフィッシャー名誉会長は嘆く。「今の若者たちは個性的な衣服で自己表現する。シワクチャもデブも不細工も平等。そんな裸の素晴らしさは、なかなか理解してもらえない」
それにしてもなぜ、全裸なのか。日光を浴びたければ、水着で十分なのでは?。私の素朴な問いに、旧東独で愛好者だったアダムスキさんはこう言った。「素肌すべてが太陽の光を浴び、空気にさらされる感覚。試したもの同士でしか、この喜びは分かち合えません」
東京に残してきた妻の「やるならとことんやれ」という言葉が私の脳裏をかすめた。最後の1枚を脱ぎ捨てた。
そよぐ風に心もとなく揺れていた私の羞恥心は、自然の心地よさになじんでいった。気づけば、湖岸で水遊びをする数人の男女の輪に加わっていた。
調子に乗って、全裸バドミントンをやってみたいと言い出す私に、アダムスキさんが優しく諭した。「慣れない人が急にやると、転んで体のデリケートな部分をけがしますよ」。無理は禁物だ。
ひとつ、悟ったこともあった。自分ひとりが裸だと、人は妙に心細い。でも、みんな裸なら性別や肌の色にかかわらず心軽やか。まるで「裸」というユニフォームを着ているかのようだ。
「これが平等というものか」。
湖畔からの夏風が、体の隅々をすがすがしく吹き抜けた。
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