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「闇は、まだ広がっている」 旧東ドイツ・ドーピング被害者の告白
「闇は、まだ広がっている」
ドーピングの国家計画が行われていた旧東ドイツ。そのプログラムに組み込まれた選手は1万人超ともいわれています。現在、ドーピング被害者を支援するイネス・ガイペル(56)もまた、被害者の一人でした。(神谷毅)
ドイツ・ベルリンにある、旧東ドイツのドーピング被害者を支援する団体の事務所。ガイペルが相談の電話を取ると、何も言わずに切れることが多い。まれに話し始める相手がいても、名前を明かさない。
共産主義の東ドイツと自由主義の西ドイツを隔てる「ベルリンの壁」が崩れ、東西ドイツが統一されて四半世紀がたった今も、彼女はこう感じている。
「闇は、まだ広がっている」
自分も、かつてはその中にいた。ただ当時は闇だと気付かなかった。
17歳で陸上選手として国に選ばれ、トレーニングを始めた。すぐに青い錠剤をコーチからもらう。他の選手は10歳前後から飲み始めることが多かったその錠剤を渡しながら、コーチは「まだ遅くはないから『医療プログラム』に入れるよ」と言った。
これが「ブルーピル」と呼ばれる経口トリナボールであることは後から知った。男性ホルモンを増やし、筋肉を強くする薬だ。
東ドイツが夏の五輪で取った金メダルは、1968年のメキシコから88年のソウルまでで153個と西ドイツの3倍近かった。その裏ではドーピングの国家計画が行われていた。スポーツを使って社会主義体制の威信を高めるためだ。
記録は面白いように伸び、400メートルリレーでは世界記録を出した。
「勝つことだけを考えていた。東ドイツの選手たちはパリやローマなどの外国に行きたくてがんばっていたんです。閉鎖的な国から出たかったから」
トップ選手の仲間入りをしたガイペルは、練習で訪れたメキシコで現地の男性と恋に落ちる。彼が住む米国ロサンゼルスに何とかして行くから、一緒に逃げようと話し合った。
帰国後、このことを隣の家の男性にうっかり話してしまった。のちに彼は秘密警察だったことが分かる。ある日、詳しい原因は分からないが腹部に痛みを感じて病院に行くと、盲腸炎なので手術が必要だと言われた。ずさんな手術の後遺症で選手生命は終わった。
東西ドイツの統一後、関係者の暴露やメディアの追及でドーピングの実態が明らかになっていく。その中でガイペルは、秘密警察が作った自分のファイルを目にする機会を得た。「盲腸の手術」は故意に行われたと知った。
その後、ガイペルは文学を学び、今は作家と演劇大学の教授をしている。ドーピングを犯罪として問う裁判の原告にもなった。統一ドイツは2002年にドーピング犠牲者援護法をつくり、500万ユーロの基金から約300人が支援を受けた。今年6月にはガイペルらの活動もあって新たな法律ができ、約1000人が1人あたり約1万ユーロ(約110万円)を受け取ることになった。
だが、ドーピングのプログラムに組み込まれた選手は1万人超ともいわれる。支援窓口に名乗り出られない人々は、旧東ドイツ市民からの「裏切り者」という批判や、今の生活への影響を恐れているのだ。
「ドーピングは人体実験だった。でも昔の栄光がドーピングによるものだったと知らされたくない人が多い。栄光という、おとぎ話が好きなのです」
ガイペルは、今も国際的なスポーツイベントの後、街に国旗があふれるのは見たくないという。国とスポーツの結びつきが、かつての東ドイツを思い起こさせるためだ。しかし、スポーツそのものに失望したわけではない。
「スローフードってありますよね? スポーツもスローがいい。ゆっくり自分らしく楽しめばいいと思っています」。そう言ってほほえんだ。
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