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都知事選「後出しジャンケン」の法則 浮かんでは消えた「あの名前」
31日投開票の都知事選。告示日直前まで、候補者がそろわず、色んな人の名前が浮かんでは消えていきました。最後に立候補を表明する「後出しジャンケン」が有利と言われている都知事選。本当にそうなのが、調べてみました。
新顔が争った過去4回の都知事選では、いずれも最後に立候補表明した候補者が当選してます。このデータを見るかぎり「後出しジャンケン」は有利だと言えそうです。
1995年は自民、公明両党など推薦の石原信雄氏が立候補表明した3日後、青島幸男氏が表明。街頭活動をしない異例の選挙戦で圧勝しました。
青島氏の姿勢は徹底していました。投開票日も投票に出かけた以外は自宅にこもり、夕方からは家族とともにテレビを見守りました。選挙運動は政見放送、選挙公報、ポスター以外は一切なし。17日間、街頭に立って支持を訴えることはありませんでした。
ポスターは最初5千枚を印刷。家族や秘書らで手分けしたが、とても張り切れませんでした。しかし、支援者から「張らせてほしい」と申し入れが相次ぎ、6千枚を増刷しました。
1999年も石原慎太郎氏が「すばらしい候補者がいればいいが、物足りない」と15日前に表明し、初当選しました。
この時の知事選は当初、再選を目指すとみられていた青島幸男氏が、2月に突然不出馬表明して混迷しました。すでに名乗りを上げていた三上満氏に続いて、舛添要一氏や、鳩山邦夫氏が相次いで出馬を表明。
政権党の自民党が事実上、3分裂する形で、選挙戦に臨んだうえ、多彩な候補者の顔ぶれと合わせ、注目の選挙戦となりました。
2012年は石原氏の突然の辞職をうけ、猪瀬直樹氏が告示8日前に表明。過去最多の434万票を獲得しました。
石原前知事から後継に名を挙げられた猪瀬氏は石原氏が使ったフレーズ「東京から国を変える」を連呼。石原氏も応援に入りました。
「ミカドの肖像」「日本国の研究」などの著作がある作家としての知名度をいかし、「改革路線」も前面に打ち出しました。小泉純一郎政権時代に取り組んだ道路公団民営化をアピール。小泉氏を事務所に招き、無党派層への浸透を図りました。
2014年の舛添氏も表明したのは告示9日前。候補者がそろうのが遅れ、告示前日に企画されていた共同会見やテレビの共同出演が延期になりました。
選挙は、医療法人徳洲会グループから5千万円を受け取った猪瀬直樹氏の都知事辞職に伴い実施されました。舛添氏は日本弁護士連合会元会長の宇都宮健児氏、元首相の細川護熙氏、元航空幕僚長の田母神俊雄氏らを破り、初当選しました。
原発ゼロを掲げた細川氏を小泉純一郎元首相が支援したことに対し、安倍政権は舛添氏を全面支援。原発ゼロは細川氏とともに宇都宮氏も訴え、脱原発を求める有権者の票は分散する結果となりました。
今回の都知事選、たくさんの人の名前が浮かびました。もはや「懐かしい」と感じる人も。ちょっと振り返ってみると…
【名前があがった主な人たち】
長妻昭氏
下村博文氏
長島昭久氏
丸川珠代氏
片山善博氏
橋下徹氏
桜井俊氏
石原伸晃氏
東国原英夫氏
「後出しジャンケン」は有権者にとって、どのような影響があるのでしょうか? 牧原出(いづる)東京大教授(行政学)は朝日新聞の記事で次のように解説しています。
「美濃部亮吉氏は政策革新、鈴木俊一都知事の頃は財政再建が重要課題で、政策を見て投票できた。その後、他府県に比べて東京は切実な課題がなくなり、知事に何を求めるべきかが不明瞭になった」
「ただ、今の都政に対する不信感は国全体に広がっている。著名人が出ないと投票率が下がる危惧もあるが、人気投票はやめ、地味でも真面目に考えている人を選んだ方がいい。最後に出てきた人は、その分政策を聞く時間が少ない。本当に信用できるのか、言っていることをよく聞いて一票を投じるべきだ」
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