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「音楽と政治」論争の不毛感 「EXILEは?」欠落した体制側という視点
――ロックの反体制うんぬん以前に、音楽と政治そのものから考えるべきだと
「そもそも、ポピュラー音楽、特にロックの歴史に関しては、社会体制に対する反抗的なエピソードばかりが特権的にとらえられる傾向がありますが、娯楽的、体制順応的な側面がないと商業音楽として普及することはない。その矛盾したあり方こそが面白いのを忘れてはいけません」
――確かに『反抗して売れる』というのはロックのお家芸かもしれません
「体制に反抗するスタイルが大衆の欲望を喚起し、ヒットを生み、資本主義体制を補完する。英国のパンクバンド、セックス・ピストルズの『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』(77年)がマスメディアから締め出されながらもヒットしたのは、その極端かつポップな体制反抗的態度こそが、マスメディアの良識的な姿勢に違和感を抱く大衆の支持を得たからです。ロックはそのような『体制に逆らう態度によって体制を補完する』という矛盾を常にはらんでいるから面白い」
――予期せぬ矛盾こそが魅力なんですね?
「大学の授業では『ロックとは何か』という問いについて『資本主義社会の中で、利潤を目的として生産される商業音楽の一つ』と最初に説明します。基本的には体制内的な音楽実践がしかし、プレスリーのケースに典型的なように、時に意図しない社会的摩擦をひき起こすことがあるからこそ、ロックは20世紀の典型的な『政治的音楽』とみなされてきたのです」
――矛盾を楽しめと
「でも大人たちは、その矛盾を覆い隠し、『反抗』『反骨』『反体制』を勇ましく強調し、後続世代に『お前らも戦え』と押しつける。社会体制に順応する音楽を好む多くの人々の存在は無視されがちです。今回の騒動について考えるならば、そんなロックの多面性を威勢の良い左派的な物語に落とし込むことへの世代的な拒否反応が、『政治を持ち込むな』というスローガンに集約されたところがあるのかもしれない」
――一体「音楽に政治を持ち込むな」と言っている人の「政治」って何でしょう?
「繰り返しますが、音楽は本質的には政治的なものです。でも、『政治を持ち込むな』と主張する人たちの政治イメージは、投票や行政といった制度化された政治の領域と、反体制的なスタイルだけに限られており、それ以外の政治的振る舞いをすべて『非政治的』なものとみなす傾向がある」
「そこには『制度化された政治』と『ミクロな日常的政治』との間のグラデーションが存在しない。政治文化自体の未成熟という言い方はしたくないですが、政治的なものと非政治的なものをきっぱり切り離し区分けしたい、という日本社会の大衆意識がそこには反映されているように思います」
――なぜ、今回、音楽がことさら「政治的」に扱われたんでしょうか?
「例えば『マンガに政治を持ち込むな』とはあまり言われませんよね。それはマンガ自体が政治に左右される立場にある文化ジャンルであるからです。表現規制や著作権問題といった形で、自分たちの楽しみがいやおうなく政治的な文脈に関わらざるをえない環境に置かれている」
「だからマンガ関係者は、表現の存立基盤に関わる政治的な環境を意識せざるをえない。音楽でも、風営法問題で揺れたクラブミュージックの世界では『政治を持ち込むな』なんて言われることはありません」
――つまりロックやポップスは平和の地に安住している、と
「こんにちのロックは時代を経て、政治的に安定した文化ジャンルになってしまったわけです。かつてのように『エレキギターは不良の楽器』と言われ、それに反発した寺内タケシさんが学校ライブを続けるといったことも必要なくなった。マンガやクラブミュージックのように、具体的な政治に自分の楽しみが脅かされていたら、『政治を持ち込むな』といった呑気なことは言えない」
――戦う必要がない?
「自分のコミットしているジャンルが安泰であれば、『できるだけ政治を遠ざけておきたい』『音楽や芸術を、自分と対象の関係の中だけで理解したい』。そういう受容態度が支配的になるのは人情としてはわかります。しかし、現時点の快楽ばかりに固執するそのような姿勢は、そもそも政治的で矛盾した音楽の快楽の一部分しか理解しようとしない姿勢でしかないですし、そもそも自分の愛着の対象がマンガやクラブ音楽みたいな状況に陥ることに想像が及んでいないと言わざるをえません。ジョン・レノンは『想像しよう』と歌ってましたけどね」
――今回の論争から何を学べばいいのでしょう?
「音楽を聴く人たちの政治イメージの狭さを広げること、政治というものに抱くイメージの硬直性をやわらげることが必要なのかもしれません。今回の問題で、ロックバンド、アジアンカンフージェネレーションの後藤正文(Gotch)さんが積極的に発言されていましたが、彼はおそらくそういった観点から、音楽を聞く人たちの政治イメージの狭さを広げようとしている音楽家なのではないかと感じます」
――左右の主張ではなく?
「後藤さんは、音楽そのものに主義主張を込めることにはすごく抑制的です。その一方で、自分の音楽をどのような文脈の中に落とし込めば、特定の党派性に回収されることなく、エルビス・プレスリーが果たしたような政治的作用をもたらすことができるかを考えているように思える。1曲に込めた政治的なメッセージで世界を変える、といった意味で『音楽の政治的効果』を捉えていないのです」
「後藤さんの発言を見ていると『音楽を楽しみながらよりよい社会を実現する』上で自分に何ができるか、ということにとても意識的な人なのだろうと思います。少し前の世代なら佐野元春さんなり、故・忌野清志郎さんが担ってきたようなことを、いまおこなっているといえるのではないでしょうか」
――改めて音楽の持つ政治性とは?
「特定の政治的メッセージを言葉で歌って人々に伝えることだけが『音楽の政治性』ではない、ということは何度でも繰り返し主張されるべきです。音の秩序や質感がもたらす快楽と、社会秩序の理念とが個人や集団の中で密接にからまり合い衝突し、『言葉にできない』水準で人々の身体と想像力に働きかけます」
「例えば、60年代のソウルミュージックがアメリカ社会に提示した人種統合の感覚が、のちのオバマ大統領の登場を準備したように、その現れはゆっくりとしたものではあれ、音楽が産み出す新たな身体性と想像力とがやがて社会の古い秩序を組み替えることへと至ります。それが音楽の持つ政治性の本質的な働きなのです」