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元ジュディマリTAKUYA、デビュー25年の今「あの感動味わいたくて」

目次

 20代に一時代を築いた後の人生ってどうなるんだろう? 元ジュディマリのTAKUYAさんは、コツコツ作り上げた個人スタジオでの活動を、福岡という街レベルに広げようとしています。「YUKIという『選ばれし子』がいて、絶対に結果を出そうと誓ったメンバーがいて、それを形にしてくれた佐久間さんがいて……あの感動をまた味わいたくて音楽を続けているのかな」。デビュー25年を迎えたTAKUYAさんの今を聞きました。

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ぶち上げた「福岡スタジオ構想」

 解散した「JUDY AND MARY」(ジュディマリ)のギタリストで知られるTAKUYAさん。前身のバンド時代から数えると今年、デビュー25周年を迎えます。

 ジュディマリ解散後、都内に個人スタジオを構え、自らが理想とする音作りに力を注いできました。時代はデジタル全盛となりCDの売り上げが減り、聴き放題のストリーミングサービスが誕生。音楽業界は大きく変わりました。

 「10年くらいここで仕事しているんですけど、やれることはやり尽くしたというか。デジタルが進化してハイレゾとかが出てきて、でも、それ以上、ミラクルが起きたわけじゃなくて。楽器を奏でる、バイブレーションを作る、やっぱギター弾く方がいいっていう流れが出てきている気がするんです」

 そんなTAKUYAさんが力を注いでいるのが福岡でのスタジオ作りです。

 「音楽って、絶対なくならないもの。そう思ってくれている人はIT業界とか、音楽以外の分野の人に多い。逆に、音楽を生業(なりわい)にしている、という名目のところほど傷が深い。音楽はダメだから、音楽以外で売り上げ立てないとって思っている」

曲作り、レコーディング、ミックスダウンなどができるTAKUYAさんのプライベートスタジオ=竹谷俊之撮影
曲作り、レコーディング、ミックスダウンなどができるTAKUYAさんのプライベートスタジオ=竹谷俊之撮影

「レコード会社の人からも、いいリアクション」

 TAKUYAさんの福岡スタジオ構想は、2015年4月、福岡で開かれたベンチャー企業や投資家が集まるイベント「Slush Asia」で発表されました。

 アジアの玄関口でもある福岡に本格的なスタジオを作る。一線で活躍するミュージシャンがツアーの合間にレコーディングに参加したり、街中のカフェで気軽にセッションをしたり。文化としての音楽の魅力、何よりアジアのアーティストとの交流、そしてビジネス、それらのハブになるのような存在をめざしています。

 構想を発表したTAKUYAさんの元には、音楽業界以外からも興味をもった人が連絡をしてくるそうです。

 「実はレコード会社の中の人からも、いい感じのリアクションしてくれる人が出ていて。そこは手応えを感じています」

インタビューに答えるTAKUYAさん=竹谷俊之撮影
インタビューに答えるTAKUYAさん=竹谷俊之撮影

「危機感は佐久間さんと重なっています」

 日本を代表するギタリストとして知られるTAKUYAさんですが、福岡での活動には、名プロデューサーとして知られた佐久間正英さんの存在があるそうです。

 「音楽業界への危機感は佐久間さんと重なっています。今、こんなにアジアが元気。佐久間さんだったら、絶対、向こうに乗り込んでいるなって思う」

 日本の音楽業界に欠けているのは、海外経験だと言うTAKUYAさん。

 「佐久間さんは、英語もできて、海外ツアーもやっていた。有名なプロデューサーと仕事をしたり、BOOWYを連れてベルリンに行ったり。そういう経験を日本人の中でもしてきた人。もっと制作陣が外と交流しないと。ガラパゴスにもほどがあるよ」

名プロデューサーとして知られた故・佐久間正英さん(右)との写真
名プロデューサーとして知られた故・佐久間正英さん(右)との写真

「人生でもう1人あのレベルに会えるとは思っていない」

 音楽業界が逆に音楽に悲観する中、スタジオ構想をぶち上げたTAKUYAさん。業界では異端と思われることを貫く姿勢は、ジュディマリ時代から変わっていないと言います。

 「当時は海外の成功したスタイルを持ち込むのが大半だった。でも僕は、内から出てくるアイデアを音楽の形にしたかった。僕の奇抜な発想と世間のニーズをすり合わせてくれたのが佐久間さんだった」

 結成時のメンバーはデビュー経験のあるミュージシャンばかり。「共通してたのが、売れないとだめだ、ということ。どんなに格好いいこと言っても結果を出さないとほざいているだけ。そういう意味ではすごくプロ集団でした」

 1人、新人だったのがYUKIさんでした。

 「会った時から『選ばれし子』だった。レコーディングをしていて、魔法というか奇跡かと思う瞬間があった。言葉のセンスとかも、人生でもう1人あのレベルに会えるとは思っていない。ただ、あんなような感動を味わってみたいと思って、自分はまだ音楽をやっているのかもしれない」

「GUITAR DE POP」「JAM」などがペイントされている赤いテレキャスター=竹谷俊之撮影
「GUITAR DE POP」「JAM」などがペイントされている赤いテレキャスター=竹谷俊之撮影

「やめるにはちょうどよかった」

 そんなジュディマリは2001年に解散します。

 「やりつくしたとは誰も思っていないんじゃないかな。でも、やめるにはちょうどよかった。あそこでやめたから、今も、言ってもらえる。本当にやめどきに成功したというだけで……」

 再結成を望む声は今もあるそうですが「『あの時のようにはならないよ』というのが年々、強く言えるようになった」と笑います。

 「佐久間さんいてくれたらねぇ。また、みんなでスタジオとか入っても、ちょっと楽しかったかもしれないけど。佐久間さんいないと、よりイメージがわかなくなったかなあ」

 思い出に残っているライブは、1997年の横浜スタジアム。冒頭に歌った「夕暮れ」です。

 「毎日ね、日の入り時刻を調べて。スタッフは『早く始めてくださいよ』って言うんだけど『絶対、日が暮れてからしか始めねえ』とか言って。ちょうど夕暮れの時刻に『夕暮れ』っていう曲から始めるんです。あの光景は今も思い出します」

【左から】「GUITAR DE POP」「JAM」などがペイントされている赤いテレキャスター、ジュデマリの名曲「LOVER SOUL」でTAKUYAさんが弾いていたレスポールカスタム(ギブソン)、TAKUYAさん愛用の赤いテレキャスター(ジャーニーマン)=竹谷俊之撮影
【左から】「GUITAR DE POP」「JAM」などがペイントされている赤いテレキャスター、ジュデマリの名曲「LOVER SOUL」でTAKUYAさんが弾いていたレスポールカスタム(ギブソン)、TAKUYAさん愛用の赤いテレキャスター(ジャーニーマン)=竹谷俊之撮影

「佐久間さんに手伝ってほしかったなあ」

 ギタリストとして、プロデューサーとして、今度は、スタジオ作りの仕掛け人として。今も時代を切り開いているTAKUYAさん。

 「本当は、佐久間さんに手伝ってほしかったなあ。スタジオ構想は、あの人のために考えたところもあるので」


 実現のめどが立ち、あとはどこまでプランを膨らませられるかだという福岡スタジオ構想。再来年のオープンをめざしています。

 「個人で動くというより、もっと色んなところを巻きこんでいきたい。ベンチャーだと思っています。元々、僕が、そういう人の行かない新しい道が好きなんで。時代の中の自分の立ち位置が、そういう道に向かわせているのかもしれませんね」


TAKUYA(タクヤ) 1971年生まれ、京都市出身。2001年に解散したロックバンド「JUDY AND MARY(ジュディアンドマリー)」(ジュディマリ)のギタリスト。現在はギタリストとしての活動のほか、ボーカリストや作詞・作曲、他のアーティストのプロデュースなども手がけている。

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