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「取り残された島」の参院選 「政治には期待しない」驚異の自己完結
島民89人、働き盛りは50代。20~30代がいない島ではどんな選挙戦が繰り広げられているのか?「候補者がこの島で演説したことかい? まあここ40年はないね」。困ったら自分で何とかする、政治には期待しない…ほれぼれするほど自己完結が徹底された島を訪ねてみた。(朝日新聞名古屋報道センター記者・斎藤健一郎)
5月末に開催されたサミットで各国首脳が集い、世界の注目を集めた三重県志摩市の賢島(かしこじま)と同じ英虞(あご)湾に、小さな島が浮かんでいる。間崎島(まさきじま)。
定期船でつながる賢島からは南へ2キロ。島民89人が暮らす離島で、選挙戦はどうなっているのか。
「平々凡々、ここはなぁんにも変わらんよ」
自治会長の岩城保司(やすし)さん(76)が、閑散とした港で迎えてくれた。
「候補者がこの島で演説したことかい? まあここ40年はないね。票が少ないから来てくれん」。65歳以上が65人。岩城さんが「私なんてまだ青二才」と笑うほど高齢化が激しい。
島きっての働き盛りの長男、由起雄さん(52)は、真珠やノリの養殖で生計を立てる。7人の同級生はみな島を出た。後輩もほとんどいなくなった。
最年少は、由起雄さんの長男で19歳の保人(やすと)さん。次に若いのが妻の恵さん(48)。島に20~30代はいない。由起雄さんは言う。
「取り残されていると感じます。政治にも期待はしません。困ったら自分で何とかする。島で生きるにはそうするしかない」
参院選が始まっても特別なことはない。「どこも立派な公約を出すけれど、その通りやってくれることはないわけだ」と自治会長の岩城さん。選挙期間中も変わらぬ日常が過ぎていく。
間崎島は戦後、豊穣(ほうじょう)な海を味方につけ、真珠養殖で成功した。1950年代の最盛期に島民は約670人まで増え、旅館やホテルが10以上できた。
それが90年代に発生した赤潮や感染症の影響で、真珠養殖は大打撃を受ける。職のないところに食はない。島民は次々と湾外へ移っていった。
坂と空き家ばかりの島を歩いていると、84歳の女性に出会った。脳梗塞(のうこうそく)で倒れた81歳の夫を1年前、自宅でみとったのが誇り。ドクターヘリで島外に運ばれた夫を1カ月で自宅に戻し、薬や食事などの世話をしながら半年間、看病した。
「ハハハ、63年も連れ添ったんだもの、当然だわ」
毎朝4時半に起き、島にある夫の墓をお参りしている。墓では夫が好きだったたばこに火を付け、「父ちゃんに吸わせている」という。
病院も商店もサミット効果もない。超高齢化の離島で生きる人は、どこまでも自己完結の強さがあった。
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