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デモの主役は、もうラップ? ロックはどこへ 叫ぶオルタナ世代
反体制的で、政治的メッセージを内包する「若者の音楽」の代名詞だったロック。ところが、昨年盛り上がりを見せた街頭デモで聞こえたのはラップです。「時代は変わった」と言えるでしょうか。
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反体制的で、政治的メッセージを内包する「若者の音楽」の代名詞だったロック。ところが、昨年盛り上がりを見せた街頭デモで聞こえたのはラップです。「時代は変わった」と言えるでしょうか。
「民主主義って何だ」「安倍は/やめろ」……。ラップのリズムに合わせて軽快に響くコール&レスポンス。昨年盛り上がりを見せたシールズの街頭デモで頻繁に見られた光景です。かつてはロックミュージックが、反体制的で、政治的メッセージを内包する「若者の音楽」の代名詞だったことを思えば、「時代は変わった」と言えるでしょうか。ポップミュージックをめぐる考察。第3回は「ロック」です。
世界各地でベトナム反戦デモがわき起こった1960年代、ローリング・ストーンズは「ストリート・ファイティング・マン」で「♪だって夏が来たんだ/『街路でたたかう奴』にとってはいい季節さ」と歌いました。
今年亡くなったデビッド・ボウイさんは、冷戦時代の87年、旧西ドイツで開いたコンサートで、スピーカーの一部を東ドイツ側に向け、ベルリンの壁の向こうの若者たちに「ヒーローズ」を熱唱。日本では、故・忌野清志郎さんが「君が代」をパンクにアレンジして論争を巻き起こし、ミスターチルドレンの桜井和寿さんは「bank band」で環境問題に積極的に関与して……。
ロックは、その力強いビートに反体制や反骨、社会への皮肉などの精神を込め、若者を熱狂、鼓舞させてきた歴史を持ちます。
ところが、最近注目を集めているシールズや高校生のデモで存在感を見せたのはラップミュージックでした。安保法成立を受けて東京・渋谷で開かれた抗議イベントでは、シールズとラップグループのスチャダラパーの共演が話題に。
小沢健二さんと共作した94年のヒット曲「今夜はブギ-・バック」を披露し、シールズ中心メンバーの奥田愛基さんと共に、「♪民主主義ってなんだ」と呼びかけ、会場を盛り上げていました。
米国音楽史に詳しく、「文化系のためのヒップホップ入門」などの著作もある慶応大学の大和田俊之教授は「震災以降、原発批判を始めとした政治的メッセージを唱える日本語ラップが、ロック以上に数多く生まれ、実は、この手の運動との親和性が非常に高い」と話します。
その上で、大和田教授は「安倍は/やめろ」のコールが二拍三連になっている点に着目。これは、2014年にヒップホップの本場米国アトランタで活動するミーゴスというラップトリオが流行させた節回しだといい、「そうしたコールが違和感なくできている時点で、若者の間にラップが自然に浸透していることがうかがえる」と話していました。
やはり、存在感が薄れつつあるロック。そもそも、ロックが、反抗や反骨精神といったイメージと結びついた源流はどこにあるのでしょうか――。
「解釈が分かれるところですが、それはボブ・ディランが、エレキギターを手にした瞬間ではないでしょうか」。大和田教授は、続けます。
大和田教授によると、アコースティックギターでメッセージソングを歌うフォーク音楽は、米国では、第二次大戦前からコマーシャリズムとは無縁の場所で活動を続け、そこが、プロテスト(反抗)ソングの発信源だったといいます。
60年代に入ると、黒人の公民権運動をバックアップし、存在感を高めますが、そんな音楽シーンから出てきたディランさんが、65年に米国であった音楽フェスティバルで、ロックンロールの象徴『エレキギター』を抱えてステージに登場。その結果、それまで若者向けの娯楽音楽だったロックンロールが、ロックに転じた、と解説します。
フォークがロックンロールと出会い、ロックになった、というわけです。
大和田教授は、「ディランは、フォーク的価値観を内在化させたまま、商業主義の枠組みの中でパフォーマンスをした。この時初めて『反体制的なメッセージを、体制内でやる』ロックの特徴が生まれ、ビートルズやストーンズといった、同時代のミュージシャンの作品、表現に大きな影響を与えた。ロックの作品は、大手レコード会社でレコード化され、大量消費されます。フォークの親密な空間とは比較にならない広がり、影響力を持つことができた」と話していました。
大阪市立大学の増田聡准教授(ポピュラー音楽研究)も「激しい政治的、文化的変動が生じた60年代にロックの祖型が確立されたことで、ロックは、他のどの音楽ジャンルよりも、資本主義や政治的保守への反抗というイメージと強力に接合された。だから70年代、80年代になっても、ドラム、ギター、ベースというロックの音楽様式によるサウンドは、そうした記憶を人々に呼び起こしてきた」と言います。
ただ、音楽の聴き方が大きく変化し、その効果に限界が来ているとも。
「今の時代、人々は音楽に対し、『聴いた時に、自分が心地よくなること』を求める傾向が強まっている。『ロックが反抗の象徴とされた時代があった』といった文脈は、そうした楽しみ方をする上では余計な夾雑物になる。つまり、ロックは歴史アイテムの一つになりつつあると言え、『アイドルがロックバンドをやる』ケースに象徴されるように、ロック的な意匠や様式が用いられたとしても、そこに反抗性を感じ取る人は少なくなっていると言えるでしょう」
そうした流れに大きな影響を与えたのが、90年代に起きたロックのパラダイムシフトだとする声があります。「オルタナティブロック」と呼ばれる新しいロックの出現です。
オルタナティブは「非主流」の意味。それまでのロックの「主流」にそぐわない、全く異質の価値観を持つロック、と言えます。
91年の「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」でブレークしたニルヴァーナを筆頭に、レディオヘッド、スマッシング・パンプキンズ、日本では少し遅れて97年ごろから、ナンバーガール、スーパーカー、くるりといった面々が名を連ねます。音楽的には、シンプルなバンド編成で、徹頭徹尾ノイズを強調した刺激的なサウンドが特徴です。
武蔵大学の南田勝也教授(社会部)は「オルタナは、それまでのロックのように、スターのカリスマ性を前面に押し出して『俺たちのメッセージを聴いてくれ』といった形はとりません。作品は内閉的で、日本の場合、『ロストジェネレーション』の時代とも重なって、『脱・社会的』もしくは『自分探し』を連想させます。そうしたどこか陰鬱な心情を、バンド全体でノイズまみれの『音の渦』として表現し、『とにかく音が今鳴っているこの空間にのめりこんでくれ!!』と聴き手に求めます」
それは、人々のロックに求める機能も大きく変化させます。オルタナ以前のロックは『人の心を時に癒やし、時に感情を高ぶらせる力』『特定の思想信条に引っ張っていくエネルギー』といった多様な機能が託されましたが、オルタナ以降、『音に酩酊する』点を第一義的に考えるようになった、と。
「歌詞を聴いて、メッセージを解釈して……という鑑賞スタイルはオルタナの登場をもって後退した。それよりも、音が鳴った瞬間に、身体を即時的に反応させられるかどうか、ライブやフェスであれば、モッシュ、ダイブできるのかどうか、が大事に。ロックの受容の仕方が、『鑑賞』モードから『プレー』モードへとシフトしたのです」(南田教授)。
オルタナ以降、作品が脱・社会的になり、音楽の楽しみ方がプレーモードに変化……。かつてのようにロックは反骨・反抗の精神を帯びた音楽の代表ではなくなったと言えるのかもしれません。
南田教授は続けます。「確かにメッセージを届けるのは難しい時代になりました。けれども、反骨の精神は失われてはいません。実は、2000年代のオルタナ世代が、ここにきて社会への発信を強く意識し始めています」。
顕著な例として、02年にデビューしたアジアンカンフージェネレーションを挙げます。
「彼らは10年に『さよならロストジェネレイション』という曲を発表し、『自分探しをやめにして、現実に向き合おう』という思いを曲に込めました。震災以降も、反原発ライブなどに積極的に参加し、外部との接続性を強く意識しているのを感じます。ほかにもハイスタンダードやブラフマンなどの90~00年代世代が、年齢を重ねるなかで、社会へのコミットメントを強めています」
今夏の参院選から18歳に選挙権が与えられるなど、高まる若者の社会参加。プロテスト性を帯びたロックのアンセム(讃歌)が、遠くないうちに、生まれるのかもしれません。
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