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「パクリ音楽」の何が悪い? 寛容だった昭和歌謡 炎上で売れた人も
五輪エンブレム問題で注目を集めた「パクリ」。ただ、ポップミュージックの世界では、珍しいことではありません。かつては、「オマージュ」「影響」「パロディー」として寛容さがあったはずが、気づけば「パクリ」という言葉が席巻する時代に。何が変わったのでしょうか?
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五輪エンブレム問題で注目を集めた「パクリ」。ただ、ポップミュージックの世界では、珍しいことではありません。かつては、「オマージュ」「影響」「パロディー」として寛容さがあったはずが、気づけば「パクリ」という言葉が席巻する時代に。何が変わったのでしょうか?
昨年の五輪エンブレム問題で「パクリ」行為に注目が集まったのは記憶に新しいところです。ただ、ポップミュージックの世界では、珍しいことではありません。かつては、「オマージュ」「影響」「パロディー」といった多様な言い回しで、作品の類似に対してある種の寛容さがあったはずの社会。それが気づけば「パクリ」という言葉が席巻する時代に。ポップミュージックをめぐる考察。第2回は「パクリ」です。
「パクリ? 偶然? 盗作疑惑のある音楽、楽曲のまとめ」
「『これは酷い』ってなるようなパクリ疑惑曲教えて」
「○○(アーティスト名)パクリ盗作似てる曲まとめ」
試しに、ネットで「パクリ 音楽」で検索すると、上記のようなサイトが次々と現れます。古今東西、さまざまなヒット曲がやり玉に挙げられ、先行する曲のメロディーや詞、サウンド、雰囲気を「パクった」として、リスト化されています。
その充実ぶりは、まさにこれぞ「ネットの集合知」と言えるほど。ユーチューブをのぞいても、「AKBがパクリだらけだった点」「ゲームもCMもJ POPもパクリだらけだった件」といったタイトルで、楽曲を聴きながら比較できる投稿も溢れています。
また、最近では、昨年12月に、演歌歌手の平浩二さんの新曲「ぬくもり」の歌詞が、ミスターチルドレンの「抱きしめたい」に酷似しているとして、発売半年後に突如、ネット上でパクリ疑惑が噴出。発売元のレコード会社が謝罪コメントを発表し、商品回収する騒ぎに発展しました。
いつからか市民権を得た「パクリ」という語り口。大辞林によると「商品や手形などを、だまし取る」「他人のアイデアを剽窃する」と記されています。
大阪市立大学の増田聡准教授(ポピュラー音楽研究)は「人々が『パクリだ!』と非難する時、そこにはある種の不公正を問題化する視線がある。 『あいつは盗んだ』『ずるをするな』。そういうルサンチマンが、パクリ非難のベースになっている」と言います。
ただ、この潮流は、戦後日本のポップミュージック発展期には前景化しなかった、とも。
「海外の先進的な音楽文化を学習し、日本の音楽水準を高めていこうとする中で 、『模倣』は必然だったからです。どの範囲までが『経済的利益を侵害する、よくない模倣』で、どの範囲までが『表現の水準を向上させるために必須の模倣』か。両者を明確に分かつ境界線はなく、あいまいなものだというコンセンサスが社会に広くありました」
昭和歌謡のヒット曲を分析すると、とりわけ同時代の海外のヒット曲の「メロディー」「コード進行」「サウンド」「リズム」の要素が色濃く反映されていることに気づきます。南沙織さんの「17才」は、リン・アンダーソンの「ローズガーデン」の影響を色濃く感じさせるというエピソードは有名ですし、西城秀樹さんの「ギャランドゥ」がデッド・ケネディーズの「Winnebago Warrior」という曲のメロディーラインに酷似している、というのも知られた話です。
ポピュラー音楽は、大量消費社会に産声を上げた音楽。規格化された「商品」としての側面も持つため、類似は宿命とも言えます。
ただ、それらは、発展期では「盗み」の文脈で指弾されることはありませんでした。
ある音楽業界関係者はこうも指摘します。「昔は音楽の作り手側も、引用、模倣、オマージュという視点で、意図的に他の曲の要素をしのばせ、リスナーに気づかせたり、音楽通をニヤリとさせたりと、そういう遊び心が少なからずあった。大瀧詠一さんなんかが最たるものですね。しかしそれは今では、やりづらいのは確かです」
では変化の潮目はいつなのか。増田准教授は、1980年代以降の時期に目を向けます。
「この頃から、文化表現を、質の違いやジャンルの作法の違いを無視し、ひとしなみに『お金を生み出すコンテンツ』とみなす潮流が生まれた。経済的な論理が文化の領域に持ち込まれた結果、社会が『盗んだ』『盗んでいない』という二分法により模倣を受け取るようになった 」
「パーソナルな空間では、『オマージュがいいね』『パロディーで面白い』と言えても、それが商売の枠組み、社会の公的な枠組みの中では了解されがたい状況が生じてくる 。あいまいさを許さない状況が構造化されたのではないでしょうか」
実際、1987年には、「ドロボー歌謡曲」という書籍が発売されています。ここでは「パクリ」という言葉を明確に用い、様々な歌謡曲が、同時代の洋楽のヒット曲を盗作したものだと指摘。手錠のアイコンを用い、パクリ性の高さを、5段階評価でランク付けしては、辛辣なコメントを添えるという刺激的な内容でした。
その後、類似の書籍は相次ぎ、「パクリ」という言葉が市民権を得ていく過程を象徴するかのように、2001年には「J-POP『リパック!』白書―歌ってみたらアラ不思議??」、06年には「J‐POPパクリ&パロディ!?オール白書」が発売されています。
一方、著作権審議会の専門委員を務め、芸術作品の模倣や引用事案を多数調べてきた情報工学者の名和小太郎さんはこう言います。
「クラシックの世界でも、ショスタコ-ヴィッチの『レニングラード交響曲』の『戦争のテーマ』はラヴェルの『ボレロ』のコピーだという議論はありますし、ルチアノ・ベリオは『シンフォニア』でバッハ、ストラヴィンスキー、マーラーといった有名どころの作品を盛り込んでいる」
「冗談音楽の教祖とも言えるスパイク・ジョーンズは、クラシックのパクリを売りにしていて、例えば『元祖!冗談音楽 クラシック編』では、クラシックの名曲をふんだんに用いています。音楽に限らず、絵であれば、ゴッホの中に浮世絵が出てくるし、1990年代以降のポストモダンの建築は引用でできている……。そもそも、人間の社会活動においては無から何かを生み出すことはできないでしょう」
元ビートルズのポール・マッカートニーさんも最近のテレビ番組で「僕たちは人の技を盗んだ。昔のレコードを聴いて盗まなければ、その後の僕たちは存在してない」と語っていましたが、「模倣しながら創造する」「文化表現は引用の総体」という価値観への感受性は、時間と共に後退しつつあるのかもしれません。
そんななか、増田准教授は冷静に推移を見守っています。
「パクリという批判は、商業的空間の中では、なんらかの対応を必要とし、まじめに受け取られることになるが 、むしろ、多数の人々が不断に『パクリ』を発見し、騒ぎ立てることがありふれたことになっていくことで、パクリという倫理的非難自体の効果はどんどん低下していくのではないでしょうか」
そういえば、冒頭でご紹介した平さん。騒ぎの後、CD回収、購入者への返金といった事態に見舞われたものの、その後、知名度は飛躍的に向上。問題視された作品は、ネットオークションで高値で取引され、過去のヒット曲についても、売れ筋ランキングに上位に食い込むなど、思わぬ反響が起こりました。
盗みだと非難していたはずが、実はまんまと乗せられていた--。そうしたケースが日常化すれば、「パクリ」の非難効果は弱まっていくのかもしれません。
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