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習近平氏が軍事パレードで着てた人民服、ガチなフォーマル衣装だった
9月3日に中国・北京であった「抗日戦勝利70周年」の軍事パレード。閲兵に臨んだ習近平国家主席はスーツ姿ではなく、人民服でした。国家の威信をかけた大一番での正装ファッション。正式には「中山装」と呼ばれるこの服装が、フォーマルな衣装として定着した経緯を探ります。
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9月3日に中国・北京であった「抗日戦勝利70周年」の軍事パレード。閲兵に臨んだ習近平国家主席はスーツ姿ではなく、人民服でした。国家の威信をかけた大一番での正装ファッション。正式には「中山装」と呼ばれるこの服装が、フォーマルな衣装として定着した経緯を探ります。
9月3日に中国・北京であった「抗日戦勝利70周年」の軍事パレード。閲兵に臨んだ習近平国家主席はスーツ姿ではなく、人民服でした。国家の威信をかけた大一番での正装ファッション。正式には「中山装」と呼ばれるこの服装が、フォーマルな衣装として定着した経緯を探ります。
「中山装」の名前の由来は「孫中山」、つまり辛亥革命で有名な革命家・孫文です。
1911年、辛亥革命によって清王朝が終わり、中華民国が成立しました。新しい時代を象徴するファッションとして、孫文は新しい衣装を編み出しました。孫文は日本への留学経験があり、日本の学生服や陸軍の軍服を参考に、中国服の特徴を入れてデザインしたとされています。これが中山装と呼ばれるようになり、はやるようになりました。
スーツ(背広)との最大の違いは、ネクタイを締めなくてもよいということです。
中華人民共和国の建国の祖である毛沢東が「中山装」をよく着ていたため、英語では「Mao suit」(毛装)とも呼ばれています。
1960―70年代にかけて中国の男性は、ほぼ職業を問わずこの中山装を着るようになりました。中山装に正装と普段着の区別は特になく、都市部と農村部で同様に愛用されていました。もちろん生地の材質によって高級品と普段着の違いはありますが、「人民の服」という意味で「人民服」と呼ばれ始めたと思われます。
しかし、改革開放が進んだ80年代以降、背広やほかの洋服がファッションとして普及し始め、人民服は時代遅れのシンボルとみなされ、着る人が一気に減りました。現在、大都市ではほとんど見かけません。
ただ、芝居や演劇では今でも、農民を演じる際に、分かりやすいアイコンとして人民服が登場します。
例えば中国の著名なコント(小品=寸劇)俳優の趙本山が農民を演じるときには、ヨレヨレの人民服を着て、セットで「解放帽」をかぶります。
その一方で、フォーマルな装いとしての中山装は近年、国家指導者の正装として、鄧小平、江沢民、胡錦濤ら各氏が愛用しました。江沢民氏は訪日の際にも、天皇陛下主催の晩餐(ばんさん)会に中山装を着て出席しています。
9月3日の軍事パレードでも、習近平国家主席の中山装姿が注目を集めました。
いまや中山装が「国民服」の地位を獲得しつつあると考えられます。
香港の映画スターであるアンディ・ラウ、ジャッキー・チェン、ニコラス・ツェー、映画監督のチャン・イーモーらも、様々な場面で中山装を着ており、新しい感覚のファッションとして再評価されているようです。
隣国の北朝鮮でも、金正恩第1書記が公式な場では黒地の人民服を愛用しており、国家指導者の正装として定着しているようです。
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