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甲子園の優勝旗、珍エピソード 盗難で占い師・糸抜かれお守りに…
甲子園の優勝校に渡される深紅の大優勝旗。「家一軒建つ値段」と言われた初代の優勝旗とともに、数々の歴史を見守ってきました。
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甲子園の優勝校に渡される深紅の大優勝旗。「家一軒建つ値段」と言われた初代の優勝旗とともに、数々の歴史を見守ってきました。
甲子園で熱戦が繰り広げられた第97回全国高校野球選手権大会。東北勢初の優勝を目指した仙台育英でしたが、東海大相模に惜しくも敗れ、悲願は持ち越されました。「白河越え」をさせたかった深紅の優勝旗は、現在二代目。西陣織の中でも最高級の技法で作られています。「家一軒建つ値段」と言われた初代の優勝旗とともに、数々の歴史を見守ってきました。
1915(大正4)年、「全国中等学校優勝野球大会」の名称で始まった大会。初代の優勝旗は、朝日新聞社が高島屋に発注しました。京都・西陣の名人たちが綾錦織(あやにしきおり)という技法で作ったものでしたが、天皇旗と同じため、その事実が明かされたのは戦後になってからでした。大卒の初任給が30円だった時代に、費用は1500円。家が1軒建つと言われました。
今の優勝旗は二代目です。初代の傷みが激しくなって第40回記念大会(1958年)のときに、高島屋に発注して新調しました。当時の優勝チームの選手らが、金糸や生地の糸を引き抜くなどしてお守り袋に入れ、翌年の大会に出場したり、汗や泥がついたまま「ほおずり」するなどしたためでした。。
戦前には大阪の証券会社員の間で、旗の周囲を飾る房が「お守りにすると勝ち運がつく」といううわさがたったと言われています。戦前には房だけをつけ変える修繕が行われています。
二代目の色やデザイン、大きさは初代と同じです。京都の西陣織の中でも最高級の綴(つづ)れ織りという技法で、絹100%の正絹を使っています。専門業者が5カ月かけて織り上げました。複雑な部分は1日に数センチしか織ることができなかったと言われています。二代目の優勝旗を最初に手にしたのは山口県の柳井高校でした。
1954年11月、名古屋市の中京商(現・中京大中京)から優勝旗が盗まれる事件がありました。校長室に飾ってあった旗が、そっくり別の旗に入れ替わっていたのです。警察に届け出るなど、大騒ぎになりました。学校は占い師も頼りますが、出てきません。「出してくれたら、とがめない」と新聞を通じて犯人に訴えました。
年が明け「新調しなければ」の声も出始めたころ、旗は出てきました。盗難から85日目。学校から600メートル離れた中学校の床下で風呂敷にくるまれていました。中日ドラゴンズへの入団が決まっていた優勝投手の中山俊丈さんは、自主トレ先で知らせを聞き、バンザイをして喜んだそうです。
この事件以来、優勝旗を銀行の貸金庫に預ける学校が多くなりました。
2004年8月23日午後、大阪・伊丹空港を飛び立った全日空777便でアナウンスが流れました。
「深紅の大優勝旗も皆さまとともに津軽海峡を越え、まもなく北海道の空域へと入ります」
東北勢による「白河越え」よりも先に北海道勢として初優勝を果たした駒大苫小牧のメンバーが乗る飛行機でした。歴史の瞬間に立ち会えた喜びが漂い、乗客から拍手がわきました。しかし、激闘の疲れからか、選手たちは眠り込んでいたため、「海峡越え」を祝った人の多くは一般客でした。
漫画「ドカベン」の中では、大阪代表・通天閣高校の投手、坂田三吉が、優勝したら金糸を売って家族の入院費にしようと思い立つ場面があります。見事に優勝した坂田でしたが、優勝旗を実際に手にしてみて「重み」を感じて断念します。
作者の水島新司氏はこう話しています。
「球児であれば、本物を見たら気持ちが変わると思った。優勝旗にはその重さがある」
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